三 「はかなさ」と「つつましさ」

 紫式部が内面的な苦悶をもつてゐたことは、御子御降誕の條に、

  殿いでさせ給ひて、日ごろ埋もれつる遣水、つくろはせ給ひ、人々の御けしきども、心地よげなり。心の内に思ふことあらむ人も、唯今はまぎれぬべき、世のけはひなる中にも、

とあつて、暗に自分自身に心の内の思ひがあることをほのめかし、次いで「行幸近くなりぬとて」の條に、

  思ふことの、少しもなのめなる身ならましかば、すきずきしくももてなし若やぎて、常なき世をも過ぐしてまし。めでたきこと、面白き事を見聞くにつけても、ただ思ひかけたりし心の、ひくかたのみ強くて物うく、思はずに嘆かしき事のまさるぞ、いと苦しき。いかで今はなほ、物忘れしなん、思ひ出(イがひ)もなし、罪も深かりなど、あけたてば打ち眺めて、水鳥どもの思ふことなげに遊びあへるを見る。

とある。其の大意は、自分の考へ方が少しでも世間並であつたなら、かうして宮仕に出てゐるのであるから、若やぎはしやぎ、常なき世をも明るく快活に過ごすであらう。所が自分はめでたき事、面白き事を見聞きしても、心に思ひかけてゐる事に強く牽かれて物憂く、ともすれば心の内の嘆きがまさつて苦しいといふのである。この「思ひかけたりし心」といふのは如何なる意味であらうか、尼にでもならうといふのか、創作に精進しようといふのか、それとも煩悶をもち初めた心といふのであらうか、一寸その解釈は困難であるが、何れにしても花やかな宮仕の生活をしてをりながら、心の内にむすぼほれた蟠りがあつて苦しいといふのである、大体紫式部としては宮仕など自分の身分に過ぎてゐると考へるので、行幸の日の條に、

  御輿迎へ奉る、船楽いとおもしろし。寄するを見れば、駕輿丁の、さる身の程ながら、階より上りて、いと苦しげにうつぶし伏せる、何のことごとなる、高きまじらひも、身の程限りあるに、いとやすげなしかしと見る。

とあつて、駕輿丁も自分も全く同じであると考へるのである。次いで「御前の池に、水鳥どもの多くなりゆくを見つつ」といふ所に、

  見所もなき古里の木立を見るにも、ものむづかしう思ひ乱れて、年ごろ徒然に眺めあかし暮しつつ、花鳥の色をも音をも、春秋に行きかふ空のけしき、月の影、霜雪を見て、その時来にけりとばかり思ひわきつつ、いかにやいかにとばかり、行末の心細さはやる方なき物から、はかなき物語などにつけて、うち語らふ人、同じ心なるはあはれに書きかはし、少しけ遠き、たよりどもを尋ねてもいひけるを、ただこれを様々にあへしらひ、そぞろ事に徒然をば慰めつつ、世にあるべき人数とは思はず乍ら、さし当りて恥づかし、いみじと思ひしるかたばかり、のがれたりしを、さも残せる事なく、思ひしる身の憂さかな。試みに物語を取りて見れど、見しやうにも覚えず。云々。

とある。其の大意は、里住みの時代の生活はあぢきなく寂しく、行末のことを考へると心細かつたが、それでも物語に就いて友人と意見を書き交はして徒然を慰め、人数とは思はないが、とにかく現在のやうな恥しさは免れてゐたのに、今は何から何まで恥しい事ばかりで、試みに物語をとつて見ても昔のやうな感興が起らず、あはれに書き交はしてゐた友人とも疎遠になつて悲しいといふのである。又多くの女性を批評した部分の後にも、

  かくかたがたにつけて、一ふしの思ひいで、取るべき事なくて過ぐし侍りぬる人の、殊に行末の頼みもなきこそ、慰め思ふ方だに侍らねど、心すごうもてなす身ぞとだに思ひ侍らじ。その心なほ失せぬにや、物思ひまさる秋の夜も、端に出でゐて眺めば、いとど月や古へほめてけむと、見えたる有様を、催すように侍るべし。世の人の忌むといひ侍るとがをも、必ずわたり侍りなんと憚かられて、少し奥に引き入りてぞ、流石に心の内には、つきせず思ひつづけられ侍る。

といひ、我が身に何のとりえもなくて過ごして来た事を空恐しく思ひ、又行末の希望もないことを悲しみ、内面の憂鬱には気をかけまいと思ひながら、やはりそれが思はれて物思がまさると嘆くのである。又憂き世の噂評判のうるさいことを記した後に、

  いかにも今は言忌し侍らじ。人といふとも、かくいふとも、ただ阿弥陀仏にたゆみなく経をならひ侍らん。世のいとはしき事は、すべて露ばかり、心もとまらずなりにて侍れば、聖にならんに懈怠すべうも侍らず。ただひたみちにそむきても、雲にのぼらぬ程の、たゆたふべきやうなん侍るべかなる。それにやすらひ侍るなり。

といひ、遂に救を宗教に求め、ひたみちに世をそむきて尼になつてもよいが、ただ後に残る子女の行末を思ひて動揺し躊躇するといふのである。
 以上見来つた如く、式部の心境は底しれぬ不安に脅かされ、刹那の身じろぎの外は空々寂々といつた様なはかなさである。このはかなさは寡婦である為の寂しさや不安から来る外、仏教からは無常観を説かれ、感受性が鋭ければ鋭いほど、身を委せうるやうな人生観が打ち立てられぬといふ悩みもあり、身の才能にも言行にも自信がもてないし、そのくせ物事の考ヘ方が人並でなくて、さう無造作に浮かれはしやぐ事ができない、かういふ綜合的な悪い自覚の下に、かやうな果てしないはかなさを体験するのである。然もこの無常観は単に式部個人のものではなく、当時の花やかな文化に浮かれることなく、真に時代の底を体験する人であれば、一応はそこに思ひ及ぶべき文化の悩みといふべきものであらう。
 次に紫式部の生活理想を考へて見よう。式部が自分の生活をつつましくしてゐる努力は、日記の随所に見える。「つつまし」とは包み隠すといふのが原の意で、その根柢には「恥かし」がある。五節の童女の御覧の日、童女が歩み出て来たのを見て、式部はあいなく胸をつぶし、定めし恥しいことであらうといとほしく思ひ、曇りなき昼日中に、扇もろくにかざさないで、多くの公達の見てゐる前に出て来たこと、初めからその覚悟はできてゐるとはいへ、いかに臆することであらうと同情し、とはいふものの自分がかう考へるのは、畢竟わが心が「かたくな」ためであらうかと疑ひ、童女は恒例によつて扇をさし置いて退出するのであるが、六位の蔵人が扇を受取らうとして傍によると、童女たちは自分からぱつと扇を投げやる、その有様はやさしく見えるが、又「女にはあらぬか」と見えるといひ、相当手厳しく他を批評しながら、又自らにも同じ批判を向けて、

  われらを、かれがやうにて出でゐよとあらば、又さてもさまよひ歩くばかりにぞかし。かうまで立ち出でんとは、思ひかけきやは。されど目に見す見すあさましきものは、人の心なり。されば今より後の面なさは、ただなれになれすぎ、ひた面にならんもやすしかし。云々。

といひ、十二月廿九日の條にも、

  始めて参りしも今宵の事ぞかし。いみじくも夢路にまどはれしかなと、思ひ出づればこよなく立ちなれにけるも、うとましの身の程やと覚ゆ。

といひ、段々と恥しさの薄れて行くことを悲しんでゐる。かくいへばとて紫式部はただ消極的退嬰的になつて了ふといふのではなく、つつましくする事の本質は、女性美を発揮する所以で、徒らに隠れて了ふのではない。されば宮の上臈中臈が「余り引き入り、ざうずめきてのみ侍る」のを見て、「さのみして宮の御ため物の飾りにはあらず、見苦しとも見侍り」と批評し、又「などか必ずしも面にくく、ひき入りたらんがかしこからん」といつてゐる。勿論紫式部の意見としては、物のあはれに進み、艶だち気色ばむのは悪いのであるが、さりとて余りにつつましくて引き入つて了ふのもいけない。そこで過度につつましくなる事を救ふ為の原理として「ただ大方を、いとかく情なからずもがなと見侍る」といふやうに、やはり宮仕する女房としては「情なからず」といふことが必要であるとし、朝夕上達部殿上人に立ち交り、をかしき事をいひかけられた場合、その応答を「恥なからずすべき人」が世に稀になつたといひ、之を要するに「よき程に、折々の有様に従ひて用ひんことのいと難きなるべし」といつて、臨機応変に程々なるがよいとし、いづれにも偏しないで中庸を得ることを以て理想としてゐる。かやうに式部が宮仕する女房としての態度のあるべき様を論じてゐるのは、理想主義的な文明批評とみるべく、それはやがて源氏物語といふ大文学を生み出す原動力となるのである。

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