六 更級日記
一 日記の特色
此の日記は菅原孝標の女(寛弘五年生)が晩年の寂しい気持から、一生の思ひ出を短篇の形で記したものである。此の日記に著しい特色は、第一に作者の生活から見て、物語と夢の世界にあこがれ、その物語と夢の生活が今にも我が身に実現するかもしれないといふ、誠にはかない希望を抱いてゐるといふ事である。第二には作者の性格から見て、実に純であどけなく、猜疑とか嫉妬とか、凡そ女の身には必ずつきものの悪徳を微塵も持ち合せてゐない、実にやさしい、いたはり深い、なつき易い女であつたといふ事である。第三には作者の文学的資質から見て、感受性の鋭い、実に印象的な描写をしてゐるといふ事である。第四に作者の思想的発展の上から見て、少女時代のロマンスが到底実現しない単なる夢であつたことを自覚し、ひどい幻滅の悲哀を感ずると、今まで心の奥に潜まつてゐた神仏の信仰が澎湃として表面にあらはれ、ひたみちに信仰生活に入り、物語のことなんかすつかり忘れて、物詣の生活を始める。殊に三十歳を過ぎてから橘俊通の後妻となり、子供もできると、一層まめまめしい気持になつた。処がその俊通に先立たれ、寂しい寡婦生活が始まると、実に神秘幽玄の世界にはいつて行き、猶そこから少女時代の夢を追想して此の日記を書くのである。かやうに浪漫的、現実的、神秘的と思想が三変して行く次第がはつきりと日記の中から指摘されるのである。第五には国民思想の発展の上から見て、和泉式部や紫式部は直接に自己を批判し、目の前の現実の中から満足すべき状態を見出さうとしてゐるに対し、此の日記の作者はその思慕性が非常に深く、思慕の対象が無限のかなたにある。随つて作者の心がおちつく為には、その無限のかなたにある思慕の対象が現前して作者を押し包まねばならぬが、さういふことは絶対に不可能であるので、作者の生活は何となくはかない感傷の響を持つのである。つまり此の日記の作者に於ける理想主義は、根本的抽象的であつて、自己の現実とあまりにも懸け離れてゐるだけに、実現性が乏しく、彼の女の溢れる浪漫精神も新しい文化の暗示にまで到達しなかつたのである。さうして彼の女の浪漫精神は、百年も隔てて源実朝に継承され、その時には既に日本の文化情勢が大いに変化し、その内から新しい国民精神をほの見ることも困難ではなかつたに対し、此の日記の作者の時代に於ては、爛熟した平安朝文化が次第に頽廃の道を辿つてをつたので、自然この作者はその思慕の対象を過去の文化の中に、又は夢の中に求めざるを得なかつたのである。普通の作者であるならば、頽廃して行く文化に押し流されて享楽的となり、耽美的となり、俳諧的となり、露骨放漫となる筈のものであるが、彼の女の真剣な気持は時流に流されることを許さず、熱烈なる浪漫精神を燃え立たせたのである。
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