三 現実的な時代
十二月二十五日、宮の御仏名に召されて参り仕へ、その後日記の記事は絶えてゐるが、長久元年(作者三十三歳)のころ橘俊通の後妻になり、随つて宮仕も退いて家庭の人となつたであらう。それで作者の思想もすつかり変つて、
物語の事も、うち絶え忘られて、物まめやかなるさまに、心もなりはててぞ、などて多くの年月を、徒らにて臥し起きしに、行ひをも物詣をもせざりけむ。このあらまし事とても思ひし事どもは、この世にあんべかりける事どもなりや。光る源氏ばかりの人は、この世におはしけりやは。薫大将の宇治に隠しすゑ給ふべきもなき世なり。あな物狂ほし、いかに由なかりける心なり。
と思ひしみ果てた。先にお仕へ申上げてゐた中宮は長暦三年八月崩御あらせられ、その御腹の祐子内親王・禖子内親王は頼通の邸におはしまし、作者の姉の子に対し「若い人参らせよ」とお召しになり、それにひかされて作者も時々出仕したが、昔のやうにあてのない頼みをかけて徒らに心おごりをするやうな事もなく、我よりまさる人があつても羨しからず、誠に心安くおぼえてゐた。かくて長久三年四月十三日両宮が御入内遊ばされたお供にまゐり、内侍所を拝み奉つたのである。
有明の月いとあかきに、我が念じ申す、天照御神は内にぞおはしますなるかし。かかる折に参りて拝み奉らむと思ひて、四月ばかりの月のあかきに、いと忍びて参りたれば、博士の命婦は知るたよりあれば、灯籠の火のいとほのかなるに、あさましく老い神さびて、さすがにいとよう物などいひゐたるが、人とも覚えず、神の現れ給へるかとおぼゆ。
廿日、両宮は御退出になり、作者は猶奉仕してゐたが、十月朔日ごろのいと暗い夜、不断経の行はれて、作者はふとしたことから蔵人の源資通と行きあうて、世の中のあはれなることなど細やかに語り、折から星の光だに見えず、木の葉にかかる時雨の音のをかしきを聞き乍ら、春秋のあはれは何れがまさると語り合ひ、誠に印象深い夜であつて、少女時代に夢に描いてゐたやうな世界が出現してきたかの如くも思はれたが、作者の思想もかはつてゐたし、人妻でもあるし、それで心の動くやうなことはなかつた。それどころか、この頃の作者は昔の由なし心をはかなく思ひ、どうして若い時に物詣をしなかつたかと後悔し、この上は子供の成長を楽しみ、自らは物詣をしようとまめまめしい心になり、家も豊かなる勢になつて幸福であつた。かへる年の永承元年十月二十五日、大嘗祭の御禊とののしつてゐたが、作者は初瀬の参詣を思ひ立ち、必ず仏の御しるしを見ようと心に深く期待し、三日さぶらひて、暁まかでんとしてうち眠つた夢に、すは稲荷より賜はるしるしの杉よとて、物を投げ出づるやうにすると見たのである。それから数年は物詣の生活がつづき、道のほどを苦しともをかしとも見るに、自ら心も慰められ、さしあたり嘆かしいこともなく、幼い人を思ふさまに仕立てあげ、夫の任官を待つのみであつた。
天喜五年七月、夫は信濃守に任じ、八月任地に下つたが、子の仲俊は同行し、作者は京に止まつた。
八月廿七日に下るに、男なるは副ひて下る。紅のうちたるに、萩のあを、紫苑の織物の指貫きて、太刀佩きて、しりに立ちて歩み出づるを、それも(夫の俊通も)織物のあをにび色の指貫、狩衣きて、廊のほどにて馬に乗りぬ。
妻として母としての喜びを十分に感じたのであるが、供をして行つたものが翌日帰つて、この暁にいみじく大きなる人魂の立ちて、京の方へ来たと語り、不吉な前兆とは思つたが、よいやうに解釈して気にもかけずにゐると、翌康平元年四月、夫は任地から帰り、夏秋を過ぎ、九月廿五日から煩ひ出して、十月五日夢のやうにはかなく身まかり、今まで幸福であつたに引きかへて再び悲しい運命を嘆くやうになり、去年の秋はいみじく仕立てられて父について下つて行つた仲俊が、今は黒い喪服をきて、泣く泣く野辺の送りをして行くのを見て胸がつまるやうな思ひがし、昔より由なき物語や歌にのみ心をしめてゐたが、も少し神仏を信仰してをつたら、かうまででもあるまいと後悔の臍をかみ、それでもただ一つ頼みになることがあるとて、夢を記してゐるが、如何にも印象鮮明である。
天喜三年十月十三日の夜の夢に、ゐたる処のやのつまの庭に、阿弥陀仏たちたまへり。さだかには見え給はず、霧ひとへ隔たれるやうに、すきて見え給ふを、せめて絶間に見奉れば、蓮華の座の、土をあがりたる高さ三四尺、仏の御たけ六尺ばかりにて、金色に光り輝き給ひて、御手かたつ方をば広げたるやうに、いま片つかたには印を作り給ひたるを、こと人の目には見つけ奉らず、われ一人見奉るに、さすがにいみじくけおそろしければ、簾のもと近くよりてもえ見奉らねば、仏「さは、このたびはかへりて、後に迎へに来む」とのたまふ声、我が耳一つに聞えて、人はえ聞きつけずと見るに、うちおどろきたれば、十四日なり、この夢ばかりぞ後のたのみとしける。
四 神秘的な時代
夫に死に別れたのは作者五十一歳で、それまで朝タ一緒に住んでゐた甥どもも、今は別々に住むやうになり、誰も手許にはゐなかつたが或る暗い夜、六郎にあたる甥が尋ねてくれ、珍しう覚えて、
月も出でで闇にくれたる姨捨になにとて今宵たづね来つらむ
といふ歌をつくつた。その後年月は過ぎ変つて行つたが、それまでの夢のやうに過ぎ去つた時の事を思ひ出すと、心地もまどひ目も涙にかきくらすやうで、寡婦になつてから後の事はさだかにも記憶してゐないと記してをり、ただ古里に一人いみじう心細く悲しく眺めあかしたといふだけの記憶しか残つてゐないのである。その時代は相当に長くつづき、浪漫的な時代、現実的な時代を通つて来た作者が、今は神秘的な生活をしてゐるのであると考へられるが、作者自身としてはそこを自覚せず、ただ少女時の夢を追ひ、夫の死を悲しみ、とかく失つたものへの思慕を深くするのである。その心境でこの日記は記されたものであらうが、その故に彼の女の浪漫精神がはかなげに見えるのである。
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