二 特色

 (イ)宮中の御模様 紫式部日記、枕草紙にも仕へ奉る皇后・中宮の御前のありさまを相当委しく記しまつつてはゐるが、此の日記が純一に宮中の御模様を記しまつり、聊かも私事を交へてゐない程度には及ぶべくもない。殊に此の日記が、天皇の御悩より崩御に至る迄、御身近く仕へまつり、御悩の一刻も早く平癒し給はんことを祈り奉り、御苦しみを拝しては立つても居てもゐられないで、必死と御介抱申上げてゐる。それは遠くから拝し奉つてゐる御模様ではなく、恐懼の為に何も見奉ることができなかつたといふやうなものでもなく、お慈しみをひしひしと身に感じ、十分にお親しみ申上げながら御介抱申上げた次第が、目の前に仰ぎ見るが如く、ありありと再現されてゐるのである。かやうに此の日記は畏き御あたりの御模様を委しく記し奉つてゐる。此の点に於て読者は此の日記をよんで恐懼し、忝く、勿体なく、尊く、畏い感にうたれるのである。
 (ロ)至純の情 我が日本の君臣関係は義は君臣、情は父子といはれてゐる。此の意味からすれば、此の日記はその情の方面を遺憾なく書きあらはしたもので、作者が如何に至純の誠を捧げて奉仕してゐるか、天皇が作者を如何に御慈しみ遊ばされたか。奉仕の生活を記した日記、随筆は他にもあるが、かくまで慣れ親しみ奉つた情の書きあらはされたものはないであらう。実に作者の心情は、忝い、勿体ない、尊い、畏いといふ情で胸が一杯であり、さういふ心情が如何にも具体的に鮮明にありありと記されてゐる。さうして日本に於ける各種の国民的感情の内、忝い、勿体ない、尊い、畏いといふ情ほど最高の価値をもつものはない。されば此の日記は最も大切な日本の国民的感情を表現したもので、日本人のもつ最も純粋な国民的感情の実感はどんなものであるかを問はれた場合は、示すに此の日記をもつてすればよい。
 (ハ) 印象の鮮明 日記に記されてゐることは何れも印象鮮明でありありとしてゐる。これほど印象鮮明な記述(枕草子の如き写実的な文章は別として)は一寸例が珍しいであらう。作者の心理的な性格は、物事を非常に深く強く印象する人、その印象をはつきりと再現しうる人、その再現された印象の中に没頭しうる人、現実的認識の外に幻想的認識のはつきりとした人であつたと考へられる。かういふ傾向は平安朝の女性一般に共通なことで、その力が文学を生み出した最も有力な素質となつてをり、現実の世界の外に夢の世界、物のけの世界、うらなひの世界など、神秘的な世界をはつきりともちえた理由であるが、此の日記の作者はかういふ傾向を特に強くもつたのである。何れにしても作者の胸に再現された世界は現実の経験と殆んど同様で、そこで作者は現実と同様に憂い嘆き、惜しみ悲しむと共に、現実の如く鮮明に再現されたそこへ対して慕はしく、なつかしく、ゆかしく思ふのである。日記の執筆された年は日記の文面には記されてゐないが、その余りにも鮮かなる印象からすれば、日記の記事が終る天仁元年十二月晦日より幾らも隔ててゐないやうに思はれ、さうして日記の執筆された季節は冒頭に記されてゐるが如く、五月のころであるから、その五月は必ずや天仁二年五月であらうと思はれる程であるが、事実は猶その間に一年又は二年位は隔ててゐるかもしれないのである。
 (ニ) 客観的態度 此の日記は純一に先帝を慕い参らせることに一貫されてをつて、その間には私事といふものを交へてゐない。土佐や蜻蛉は徹頭徹尾私生活又は私的生活の日記であり、紫式部日記は現存本の形では奉仕日記の中に私生活を交へてゐる。私生活を記した日記には懊悩や動揺や煩悶や懐疑があるが、此の日記にはさういふ個性的な精神蕩揺は全然見えない。此の精神的態度が、直ちに作者の全生活態度そのものであつたか否かは容易に決定し難いが、此の日記よりも約四十年前の成尋阿闍梨母集が、我が子の身上を案ずる母性愛を中心とした精神蕩揺を記してある点から見て、此の頃の文学傾向は我を離れて彼に移り、次第に客観的立場をとるやうになつたものではあるまいか。道長時代を批判的態度で叙述して行かうとする大鏡の記伝体も、千余の説話を集めて且つ分類し、その中から生活原理を見出さうとするかに見える今昔物語集の実証的な態度も、みな同一思潮のあらはれではあるまいか。

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