軽口露がはなし

凡例  巻二  巻三  巻四  巻五


軽口露がはなし 巻之一

  第一 文盲なる人物の書付を批判する事

 一 ずんど文盲なる田舎侍、供人少々めしつれ、京むろ町をとほり給ひ、家々のなうれんの書付を見て行きけるに、よめたる字一軒もなし。或所に戸をさし借家かし蔵と書き付けしを、しばらく立ちどまり、ひそかに下人を呼び、「あれは何といふ字ぢや。」と問はれけるに、かし家かし蔵ありと申す。主人うちうなづき、「尤も手はよろしからねど、いかにとしても文章がよい。」といはれた。(『元禄笑話』14「文盲なる田舎侍書付を批判す」)

  第二 京の何がし丹波へ婿入する事

 一 京の何がし丹波のおく山より縁をむすび、程へて婿入するに、土産物には大きなる生鯛一枚、小者にもたせける。七條大宮にて道中の用意にとて、ふのやき*を買ひ道すがらくうて行きけり。扨舅の家に著きければ馳走に水風呂をたき入れけり。小者も水風呂へ入るとて、懐中よりふのやき一まき落しける。山家の者共これを見て、「扨も合点のいかぬ物ぢや。」と色々評判すれども、遂に見しりたる者もなし。さらば堂の坊主と荘や殿をよびてこれを見せるに、坊主のいふは、「爰らの衆のしらぬが道理なり。是れは天狗殿の灸の蓋ぢや。」といふ。又荘や殿に、「此の魚は何と申す物ぞ。」ととへば、荘やの申さるるは、「是れは京祇園の小宮にも有り、えびす殿の腰にさしてゐらるる太刀ぢや。」というた。(『元禄笑話』50「京の某丹波へ婿入り」。*「麩の焼」)

  第三 筆まめなる書付の事

 一 ある人のかたへ、夏の頃客きたりて、素麺をふるまひけり。からしの粉をたづねるに、紙袋に書付なくて、気のせくままにあれこれと捜し、漸う取り出し振舞ひ過しけり。日暮におよびむすこ外よりかへりき、親父いふやうは、「あのかみぶくろにはそれぞれの入りたる物を書付せよ。総じてかきつけのない物は、いそぐ時のやくに立たぬぞ。」と云ふ。「いかにも心得ました。」とて、頓て親父ねられける時、紙帳に大筆にて此の内におやぢ有りと書き付けた。(『元禄笑話』51「筆まめなる書付」)

  第四 本国寺大門にうゑ松の事

 一 本国寺大門の南は、十年ばかり以前まで民家なりしを、近年は小松植わりけり。此の松に付き植木やを呼び、「あの大門より北にはむかしより大木の松八本あり。あれは法華八軸をかた取り八本なり。然るに此のたび南の空地には、法華二十八品をかた取り二十八本うゑべし。直段如何程。」といへば、木屋申すは、「とかく法華経の義理はそむかれますまい。直段一歩八貫文に御買ひ下されよ。」と云ふ。寺にも差当り高直とてねぎるべきやうもなし。其の中に小ざかしき男罷り出で、木屋の宗旨を問へば、「浄土。」といふ。「然らば其方の宗旨にて金子三歩経にまけよ。」というた。

  第五 茶といふ言(ことば)を利口に取りなほす事

 一 利口なる者の咄に、茶道坊主といふ言葉をそばにゐける人聞きていふ様は、「尤もちやを立つるなれども、あれはさだうといふ物ぢや。総じて茶にはさといふ言葉を用ゐる。」とをしへければ、彼の者が云ふ。「それは其方の申されやう無理なり。さとちやと同じことならば、笹屋の三郎兵衛を茶々屋の茶ら兵衛というても大事ないか。」と云うた。(『元禄笑話』53「茶といふ語を利口に取直す」)

  第六 重言くるしからずといふ事

 一 重言をいひ付けたるくせにて、「夜の夜中にてもあらばこそ、昼の日中に、山中の山なかにて、馬からおちて落馬して、うでのかひなを打ちをりて、医者のくすしに懸けて、養生してりやうぢしたれば、やうやうなほり平癒した。」といふを、友達聞きて、「扨も言葉はみな重言なり。よそにて左様の言をかならず申されな。」とかたく意見すれば、彼の者へらぬ口にて返答せしは、「其方は文盲な人ぢや。聖人賢人の語に多く重言有り。」といふ。「それは何の書物に有る。」といへば、「諷(うたひ)の本に有り。高砂の浦に著きにけり著きにけりと有り。」「それは目出たい事故苦しからず。」「然らば跡とふらひてたび給へたび給へといふ謡も有るぞや。」(『元禄笑話』52「重言苦しからず」)

  第七 大尽と太鼓の謂れの事

 一 「今時のわけしりは、世間せんじやうのために、一町あゆみ行くにも、太鼓といふしやれものをめしつれありくなり。それに付きあの太こといふ義理は何といふ事ぞ。」といへば、さかしきをとこが頓作をいふは、「総じて大じんも太こもみなみな六斎念仏の宗旨であらう。其のいはれは大じんはかねもちなり、太こといふ者はからりからりの身体なれば、かねもちに付いて歩まねばならぬ。」というた。

  第八 目は欲のもとでといふ事

 一 田舎人はじめて京へ上り、方々見物せり。大仏の釈迦を見てにはかに欲心発り、つれの友にいふやうは、「目は欲の元手ぢやといふ。あの仏の御手程おれが手も大きならば、京一番の両替屋の門に立ち、手に一ぱい小判をつかみ取りたい。」というた。

  第九 涙は人も尋ぬるたね

 一 うつくしき女中、ひとり途中にやすらひて、ものあはれさうになき居たり。ゆきあうたる人、「何事のかなしみありて、さやうに涙にむせび給ふ。」ととひければ、女聞きて、「さればこそ、あれあれあそこへ衣を著て、あみ笠めしたる人は、都にかくれなき歌念仏説教ときの林清(りんせい)といふ人なり。あの人のむねの内にいか程あはれしゆしようなる事の侍らんやと、おもひやられて袂をしぼる。」というた。(但しぬれかけのある女かしらぬ。)

  第十 六波羅の勧進といふ事

 一 無意気なるにはか道心、六はらの勧進というて門々をありくなり。人々不審に思ひ、「何と六はらの堂が立ちなほるか、慥か昨日も東山へ行くとて通りたるに、作事の体は見えず、いかさま此の坊主は似せ勧進にて有るべし、いざいざよびて尋ね申さん。」と、二三人立ちよりて此の坊主に謂れを聞きけるに、「御不審尤もなり。愚僧が庵室は六はらの片原町に罷り在り、庵に許り居たるは片原よ。」とそのままむねをひろげ腹をたたきてをしへ、「勧進と申すは此のろく腹へ。」というた。

  第十一 老いてもわかきにまけぬ事

 一 或在郷に七十ぢかき姥あり。にあひたる者の方へ嫁入をするに牛にのり、二十ばかりの孫に牛の口を引かせ行くなり。道にてさはる荷物の有るをみて、孫牛に声をかけ、「のいてとほれ。」と云ふ。姥これを聞き、「そうて通れといはんこそ本意なるに、のいてといふ言葉は気にかかり不吉なり、いやいやけふは行くまい。」と嫁入をやめけるも興あり。

  第十二 推量と違うた事

 一 ある所に久七といふ下人有りけり、かたのごとくよくはたらき、主人の気に入り奉公せしが、或時主人他行の折ふし、お内儀へ、「近頃はづかしながら、私が心底を包まずはなし申し度し。」といふ。内儀は面を赧めて、「あらきやうこつなる人や、何をいふ事の有るべし。」と申されける。久七、「かやうに申すうへに、御聞きなきにおいては覚悟いたした。」といふ。内儀申すは、「それほどに思ひ侍らば、重ねて折も有るべし。」と申されけり。「さいはひただ今は人もなく、よきしゆびにて候まま、ぜひ今申さん。」と、つかつかと耳のはたへより、小声にささやく様は、「あすより飯のしやくしをおし付けて下されよ。」というた。(『元禄笑話』16「推量と違うた」)

  第十三 人をけしてはまりのはやき事

 一 ある人、「京にめづらしき軽口咄はないか。」と、とはれけるに、「さして思ひ付きたる咄も御座らぬ。此のほど京中のとほり道をよくいたし、門の真中をたかくかまぼこなりにいたす。」といひもはてぬに、「そのはなしはふるいぞふるいぞ。」とけされければ、「さればこそ其のふるひによつてかまぼこにいたした。」といふ。(此の人は肴やではないか。)

  第十四 人はそだちの事

 一 ふり暮したるつれづれの折節、二三人呼びあつめ、とろろ汁を振舞ひける。其の中にこびたる人の申さるるは、「色々の御馳走、ことにけふのことづて汁は、いつにまさりて、一入出来たる。」とほめ給ふ。そばに相伴したる人、これはめづらしき御言葉やと思ひ、其のしさいをとふに、「されば此の汁にてはいか程も飯がすすむゆえ、よくいひやるとの縁により、ことづて汁といふならん。」「聞えたる作意や。」と感じ、宿にかへりてやがてくだんの汁にて客をよぶに、ことづてをとはれて、「めしのままをやる。」とぞ申しける。

  第十五 恥をいはひなほす事

 一 或町に寄会有りけり。二階座敷にてつとめける。事過ぎてかへるさに長座にくたびれ、そさうなる者はしごのもとにて、大あくびするとて、尻の辺よりぽんと音のせしを、そばなる人とんさくを申された。「扨も天下太へいで御座る。」といへば、彼の者も、「さればこくとあんどいたした。」というて笑うた。(『元禄笑話』15「恥を祝ひ直す」)

  第十六 小僧が利口で却つてめいわくといふ事

 一 去る寺にうつくしきお児有りけり。檀那参られて小僧をちかくよびて、「あの児はどなたの子なれば、あのやうにうつくしいぞ。」といふ。小僧、「あれは屋敷方のお子なり。爰の弟子になりに御出で有る。」といふ。檀那ききて、「おれが思ふやうならば、あの児を女子にしてほしい。」と申せば、小僧がいふやう、「いづれ人の目は九分十分ぢや、さたはない事、長老様も左様に御申しある。」と云うた。

  第十七 悪性の名付親

 一 然る所に二十許りの悪性なるむすこあり。夜々外へ遊びに出でけり。親大きに腹立して、懇なる人を両人かたらひ、「御大儀ながら、今ばんむすこ奴が居る所へ同道頼む。」よし申して、さて親父は鉢巻よりぼうなどもちて、常に子が行く所を見とどけ、あわただしく表の戸をたたき、「爰にこちのむす子はゐぬか。」と急にたづねければ、子は親父が声ときき、やがて二かいへはしりあがり、かくれ所のなきままに天井へとび上りければ、腰より上は天井にてかくれたり。親父友三人ながら二階へ行き見れば、何かはしらずこしより下許りの物有りけり。子も絶体絶命、爰なりと息づむひやうしに、大きなる屁を一つぽんとこきたり。扨一人が云ふ様は、「是れは定めてろくろ首といふ物ぢや。」又一人がいふは、「いや首は見えぬほどに、ろくろ尻にてあらう。」といふ。親父も興をさまし、「いづれもの量見とはちがうた。ろくろくびでもろくろじりでもない、先のなり音を聞くからは、六郎兵衛にてあらう。」というた。

  第十八 羨ましきは食物の火事

 一 四條河原にうつくしき野良(やらう)あり。古郷親里は京の西じゆらくの者なり。五月十五日は今宮の神事にて親里へまつりに行きけり。常はつとめの身なれば、隙なく往来する事更になし。さるにより親も一しほ珍らしく不便に思ひ、何がな馳走せんとて餅をつきくはせけり。野良も逢うた時かさをぬげとかや、人目も恥もかまはず、したたかにくひけり。されども夕陽西に入りあひのなるころ、我がすむおやかたの内へ帰り、ねてもおきてもくるしさうに見えけるを、ほうばいの野良見かねて、「そなたの病ひはここちいかが有り。」と問ひければ、「唯けふのもてなしの餅をくひすごして、むねのやけがくるしい。」といひければ、「おれもちとその類火にあうて見たいよ。」(『元禄笑話』48「羨ましきは食物の火事」)

  第十九 親父がはたらき三国一

 一 夫婦おどけ者にて、嫁も娘もあつまりて、冬の夜寒の折ふし、とうふを二三丁もとめ田楽にする。親父いひ出すは、「おのおの秀句をいうてくふべし。」と。嫁やがて、「われは仏のつぶり*。」と申して三くし*取りてのくなり。むすめは、「いなば堂。」とてやくし*取りたり。母は屏風の陰より出づるをみれば、髪をばつとみだしたすきをかけ、左右の手にて目口をひろげ、「われは鬼なりみなくはう。」とて、有りたけ取りたれば、せんかたなさに親父はふるき手ぬぐひをあたまにかぶり、手をさし出し、「乞食に参りた一つづつとらして下され。」といふ。(『元禄笑話』47「親父が働き三国一」。*「頭(つむり)」*「三串〔御髪〕」*「八串〔薬師〕」)

  第二十 苦身も品によるといふ事

 一 上戸なる親あり。町内に伊勢参宮の坂迎へとて出でけり。暮におよび内にかへり、むねをなで額をとらへ、「あらくるしくるし。」と、時すぐるまでかなしがるを、利口なるむすこ有り、「ととはそれほどくるしい酒をよいころにのみもせで。」と申せば、親は目を見出し、「おのれはこざかしく何をしりがほにぬかすぞ、此の酔ひのさめるがくるしやというてあそぶに。」(『元禄笑話』21「苦しみも品に依りけり」)

軽口露がはなし巻之一 終

目次  次巻