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【翻字】
芭蕉翁桃青(ばせをおうとうせい)
仏法(ふつぱう)は 障子(しやうし)の 引手(ひきて) 峯(みね)のまつ 燧袋(ひうちぶくろ)に うぐひすの声(こゑ)
〇翁俗称(ぞくしよう)は松尾甚四郎 伊賀上野侯(うへのこう)の家士(かし)たり 其主公卒去(そつきよ)し給ふに及(およ)び 世を迯(のが)れて薙髪(ちはつ)し芭蕉 菴桃青(とうせい)と号し又風羅坊(ふうらぼう) と称(しよう)す東武深川に隠栖(いんせい)し俳(はい) 諧(かい)を以(もつ)て世に鳴(な)る時々臨川(よりよりりんせん)寺 の河南(かなん)禅師に参(さん)じて教外(けうげ)の 旨(むね)を得(え)たり元禄五年十月 十二日難波(なには)の旅舎(りよしや)に卒(そつ)す春 秋五十一

【校訂本文】
 芭蕉翁桃青
 仏法は 障子の引手 峯の松 燧袋に 鶯の声
 〇翁、俗称は松尾甚四郎、伊賀上野侯の家士たり。その主公、卒去し給ふに及び、世を逃れて、薙髪し、芭蕉菴桃青と号し、又、風羅坊と称す。東武深川に隠栖し、俳諧を以て、世に鳴る。
 時々、臨川寺の河南禅師に参じて、教外の旨を得たり。
 元禄五年十月十二日、難波の旅舎に、卒す。春秋、五十一。

【語釈】
燧袋:火打ち道具を入れて持ち運ぶための袋
伊賀上野侯:伊賀上野城は津藩・藤堂家の一門である藤堂釆女家が城代を務めていた。松尾芭蕉が仕えていたのは侍大将・藤堂良清の嗣子・良忠である。
家士:家に仕える侍。家人。
東武:武蔵国東部
深川:現江東区深川
よりより:ときどき。ときおり。
臨川寺:現江東区の臨済宗寺院
河南:仏頂河南。臨済宗の僧。
教外の旨:禅宗
元禄五年:1692年。松尾芭蕉の没年は正しくは元禄7年(1694年)である。
春秋:年齢

【解説】
 42人目は松尾芭蕉です。紹介文には略歴の他、禅との関わりが記されています。
 歌は禅味溢れています。「松や鶯などの美しい自然だけでなく、障子の引手や火打ち袋など、日々の暮らしの道具も、それらがそのままで仏法なのだ」と詠んでいます。