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【翻字】
拙堂(せつだう)和尚
八百(はつひやく)のうそを 上手(しやうず)に ならべても 誠(まこと)ひとつに かなはざりけり
〇師名は如雲(じようん)号は拙堂難(なに) 波某の寺(てら)の住僧(ぢうそう)なり天(てん) 生禅機(せいぜんき)の外に無心(むしん)の哥(うた)を よくす一夜紫玉笛(しぎよくてき)を拾(ひろ)ふ を夢見(ゆめみ)て別号を紫笛 老人と称す是(これ)より用処(ようしよ) 電(でん)のごとくにして夷曲(ゐきよく)哥に 妙を得(え)たり明和の末其寺(そのてら)に 示寂すかな法語(はふご)あり世に 行(おこな)はる

【校訂本文】
 拙堂和尚
 八百の 嘘を上手に 並べても 誠一つに かなはざりけり
 〇師、名は如雲、号は拙堂。難波・某の寺の住僧なり。天生、禅機の外に無心の歌をよくす。一夜、紫玉笛を拾ふを夢見て、別号を紫笛老人と称す。是より、用処電のごとくにして、夷曲歌に、妙を得たり。明和の末、その寺に示寂す。
 仮名法語あり。世に行はる。

【語釈】
天生:生まれつき
禅機:無我の境地から禅の宗旨を体得した者の心の働き
無心:滑稽・卑俗な表現を狙いとする和歌や連歌
玉笛:美しく作り上げた笛
用処電のごとし:「なすべき事が電光のように鋭い」意か。
明和:1764年~1772年
夷曲歌:狂歌

【解説】
 43人目は拙堂如雲です。この人は黄檗宗の僧であり、狂歌師(如雲舎紫笛)でもあった人物です。紹介文はその略歴です。
 歌は「真実こそが強い」という、たいへん真面目な内容です。この歌は拙堂如雲による道歌として、さまざまな道歌集に収められて広く知られていたようです。