元禄笑話
鈍太郎編

 01 下座違ひ:3-16
 02 児の摘喰ひ:3-15
 03 始めて呼ばれし祇園会の客:4-1
 04 金剛の念仏講:4-2
 05 焚物の取違へ:4-4
 06 嘘講の参会:4-5
 07 物の哀れは人の行末:4-6
 08 印判屋の息子:4-7
 09 船の仕方:4-8
 10 文盲なる者仔細を習ふ:4-9


01 ■下座違ひ

去る人、番に当り、裃を著けて勤め居た。すると、東の方より網代の轎(かご)に、天鵞絨(びろど)の立傘、挟箱なんど物々しく立て、大勢の供人を連れて通りかかられる容子。番の者、「これは如何様由緒あるお方のお通りさうな。座上は慮外の至りであらう。」と、道端に下り打蹲(つくば)ひ謹んで待受け居った。乃(やが)てお列は近々と進んだ。乗物の主人とは浄土宗の長老。この様を見て、お辞儀をするものとは思ひもよらず、「十念の望みでがなあらう。」と、其儘乗物の戸を排(ひら)き、瞑目合掌して、
『南無阿弥南無阿弥。』
これを聞いた番の者、興醒顔に袴の塵打払ひながら、
『ヘン』

□昔は町々に自身番を置き、町中交代で勤めたものである。

校訂者注)「裃」底本は「衣偏に上」「衣偏に下」の二字。

02 ■児の摘喰ひ

去る家に、茗荷の膾を拵へて在った。そこのお児(こ)これを見付出して摘(つまみ)喰った。側に居合せた人、それを見咎めて、
『コレコレ、これは昔からどんごん草と言うて、喰へば物忘れするとて、滅多には喰はぬものぢや。お身のやうに此先き物読み覚えようと嗜む人は、これからもあること、屹度喰ふまいぞ!』
児は聞いて、
『それなら、己はもっと喰はう。シテ此飢(ひだ)るさを喰うて忘れう!』

03 ■始めて呼ばれし祇園会の客

六月は祇園会とて、京洛中の男女綺羅を競ふのである。ここに祇園の氏子に、一人の富貴な人が居った。この人、生国は去る片田舎で、十歳の時から京へ上り、怪しからず嗇(しわ)うして金を溜込んだ。まづ寒い時には、神棚の灯明で背中を暖め、暑い折といへば、煮締めた越中一筋で稼上げ、今では銀で八千貫ばかりも贏(まう)け、毎年諸方へ貸付けては銀利を徴(はた)って、只管殖行くのを楽しみに暮して居た。が、偖つくづく思ふやう、「己も幼少の時より京に上り、これまでの身代になった。が、遂ぞ故郷の親類一人呼んだこともなし、幸の事今度の祇園会には呼んでくれう。」と、ここに初めて客設けした。何が相手は田舎者のこととて、従弟初子孫玄孫まで、在所中を催して、宵宮から泊懸けに上って来た。さて亭主が神事の膳分はと見れば、摘(つまみ)大根の汁、玄米の飯、瓜の膾に、甘酒一杯より外には、香の物一切も喰はさぬ始末に、中でも亭主に最も近い人、眉を顰めて、
『テモ初めて呼ばれに上った神事には、余り料理が麤末ぢやないか。』
『さればサ、今年ほど仕合(しあはせ)の悪い年はない。さるによって、其方達を呼んだも縁喜(まん)直しぢや程に、悪うは思うて下さるな。…………来年は屹度仕合して、結構にお振舞ひ申さう。』
『それは亦近頃気の毒な。シテ如何様なことで?』
『その容子は、これ見せう。』とて、皆々を導き、奥の五間四方なる土蔵の扉を排(あ)けて見せた。中には銀十貫目入の箱を、物の見事に積重ねてある。亭主指さして、
『あれ見や。何時もここには一箱も無いに、今年は貸所がなうて、金殿がこの様に昼寝をして居られる。』

04 ■金剛の念仏講

野郎に使はれる草履取をば、異名に金剛といふとか。去る金剛途中で念仏講の同行に行逢った。同行衆は呼止めて、
『其方は此節自前に宿を持たれたげな。それで此月の講は其方が当番ぢや。が、どうぢやお勤めやるか。』
件の金剛、承はって、
『如何にも明晩手前所で勤めませう。余の衆へも左様に申伝へて給もれ。』
とて、互に別れ、偖宿に帰つて女房に云々(しかじか)と計らへば、女房は呆れて、
『此方はまだ此頃の宿這入りで、仏も無いのに、何とお仕やる?』
『イヤ気遣ひするな、其才覚はチャッと分別したぞ。』
と呑込み、「幸ひ夜の事故、人の見知ることはあるまい。」と、何処からか立像の仏一体を調へ、夜具入をば持仏堂に宛てて、香華など殊勝らしく備へて勤めた。日暮頃から同行衆はゾロゾロ詰掛け、何れも我一にと凝(しこ)り懸って責念仏を唱へ、巳に回向と覚しき頃、これはしたり、かの仏の御顔はクルリと横へ回ると見る間に、身の毛も弥立つ程恐ろしい鬼の顔に化けた。何れも念仏どころか、
『恐ろしヤノ恐ろしヤノ…………。』
と唇の色を変へて打戦(わなな)いで居た。亭主これを見て、苦笑ひしながら、
『イヤイヤ其筈ぢや。苦しうないぞ、糸が切れたわ。』
と言ふに、何れも訳が解らず、怖々寄って穿鑿して見た。処がこの御仏と申すは、芝居から借用して来た機関(からくり)の張抜人形でおはした。

05 ■焚物の取違へ

去る男、招かれて由緒ある方のお振舞に行(ゆ)いた。偖飯の後で湯を出された。其風味殊に香ばしく得もいはれぬに、客ども口々に、
『これは大きに結構なお湯でござりまする。』
と褒めちぎった。此家の内儀聞きつけて、嬉しげに襖の蔭より顔さし出し、
『香ばしうござりまするか。それは薫物を焼(く)べましたもの。』
座敷の人々耳にして、さても心利いた仕方よ。と、感じ合った中にも先の男は、一入羨ましきことに思ひ、宿に戻って、女房に云々(しかじか)と語った。処が、女房は手も無く、
『それ位のことは誰でも言ふわ………………。』
と一向に嗤(あざ)笑って居た。或日のこと、知己の誰彼を呼並べて、心ばかりの振舞事をした。さて以前のやうに飯の湯を侑(すす)めた。人々、
『さてさて香ばしいお湯ぢや。』
と、お上手に褒めそやしたので、女房は暖簾の間より顔を突出し、
『お湯は随分香ばしからう。それも其筈、柴を三束足らずも焼べたもの!』

□当時は饗応の仕舞に、必ず飯の湯を出したものと見える。

06 ■嘘講の参会

日頃仲好い朋友、十人ばかり寄って講を取結び、切々(さいさい)参会し居った。シテ、講の名は嘘講とつけた。此講、何が目的かと問へば、互に色里へ往来せん為の手管の沙汰を研究するのである。が、或日のこと講中の一人、途中で甲乙(たれかれ)に行逢ったを機会に、
『今晩は手前所で内々の講を勤めるほどに、皆々誘うてお出でなされ。ヤ、』
と、固く契約して別れた。偖暮に及んだ頃、講中誘合せて、彼の人の家に行いた。すると取次の者、『主人は昼過ぎより他行致し、生憎宿には居ませぬ。』とのことに、講中詮方なく帰り去った。翌(あけ)の日、彼の人また甲乙に逢うて、
『昨夜皆々己所へ参られたのを、聞いては居たが、態(わざ)と留守を使うた。』
と言はせも敢へず、口々に、
『それは近頃届かぬ仕方ぢや!』
と敦圉(いきま)くを、彼は平気な顔で、
『デモ、もともと此衆に、手筈の違ふことは苦しうない。これへ寄る程の者は、皆嘘吐きぢやものを。』

07 ■物の哀れは人の行末

去る男、以前は大金持の大尽であつた。が、世の盛衰とて近年は禿(ちび)れ果て、彼の雑色が鉄棒(かなばう)よりも痛き貧乏に擲(たた)かれ、脚腰も悩み果てて、詮方もなく乞食に零落(おちぶ)れ、或時は清水、又は北野七本松の辺に出でて、往来の人に袖乞うて居た。其処へ、当流の大尽と見えて、大勢の女児供に取巻かれ、幇間交りで、上下さざめきながら来懸った。件の乞食、破編笠に面を蓋ひ、肩あたりの抜けた綴衣(つづれ)を身に纏うて、
『モーシ、旦那様エ、どうぞ………………。』
と、手の内を乞ふ刹那、フと一人の幇間と顔を見合せた。が、これはしたり、以前目を懸けてやった男、余りの恥かしさに、ツと其処を避けうとした。処が、この幇間なかなかの通り者と見えて、昔の恩を思ひ忘れず。かの乞食の側に寄添ひ、
『モ-シ、お前はそんじよう何方様ではござらぬか。偖も久しや。シテこれは亦、如何なことでかやうのお姿にはならしやった?』
と、泌々(しみじみ)と訪ねた処、彼の乞食も以前はさる者、
『コレコレ、声が高いわ高いわ。必ず沙汰はないこと!態(わざ)と此様な姿になって、親の讎敵(かたき)を狙うて居るぢや。』

08 ■印判屋の息子

或所に印判屋がある。ここの親父年更けて眼疎(うと)く、常に眼鏡を当てて細工し居った。去る人、印一つ誂へて、前銭を渡し、何時何日は出来と契約しおき、偖其日になって取りに行いた。処が、折節親父は不在で、店には、百の銭から十二三文抜けたやうな、二十歳ばかりの息子が居て、
『其方様は知りませぬ。』
といふに、客は、
『イヤ、先日誂へ申した時、其方は此処に居て、能く存じてお居やるはずぢや。………………今夜はどうでも夜船で大坂へ下るよって、是非貰うて行かう!』
息子暫らく打案じて、『一寸お待ちなされ。』と、いひつつ、親父の眼鏡を取出し、我が目に当てて客の顔をつくづくと見遣り、ハタと小膝を打って、
『解りました。………………私は存じませぬ。けれどもが、此眼鏡で見まするに、偖は先日お出で下された御仁ぢや。それではこれを!』とて、註文の印を渡した。

09 ■船の仕方

町人四五輩打寄って酒飲むことあり。其中に始めての衆が二人あった。が、一人まづ酒盃の滴を切って、
『ママ一つ………………。』
と献(さ)したので、今一人、
『イヤ、これは忝なう!』
と、受けた。すると先の人箸を把って、前の肴を挟む容子。それと見た一人、「さては己にくれるよ。」と、受けた酒盃を下に指置き、両手を重ねて差出せば、其人には遣らで、自分で挟み喰った。かの手を出した人、如何にも跋が悪く、苦し紛れに、左右を見回し、
『モーシ何れも様、沙汰はないこと、此私が手は船に能う似てませぬか。』
とて、漸々手を引いた。

10 ■文盲なる者仔細を習ふ

二六時中医者の家へ出入する男あり。或時そこの医者、病人に向ひ、『瀉しまするか、結しまするか。』と言はれたのを聞いて、其言葉の仔細を問うた。すると医者は、『瀉するとは下ること、結するとは下らぬことぢや。』と教へて遣はした。件の男承はって、「これはまた媚びた言葉ぢや。一番己も使うて見よう。」と思うて居る矢先、親類で諸国へ取引きする人来って、
『明日長崎へ罷下るが、何も御用のことはないかナ。』
と言った言葉の尻を受けて、
『何とナ、明日は長崎へ瀉するとや、随分道中気を注けて、乃て無事で結しやれ。ヤ、』