元禄笑話 21~30
21 苦しみも品に依りけり:1-20
22 卑怯者の喧嘩:2-16
23 綺麗好:2-15
24 欲ふかき姥:2-12
25 風呂入り:2-11
26 疱瘡の養生:2-9
27 道化者が挨拶:2-10
28 順礼と捨児:4-17
29 嘘説にもせよ小気味の好い話し:5-1
30 葬礼の七五三:5-2
21 ■苦しみも品に依りけり
上戸の老爺、町内に伊勢参宮の坂迎へとて出掛け、夕暮の頃、グタグタに酔ひさらばうて家に帰り、胸を撫で額を叩いて、『アー苦しい苦しい。』と、時過ぎるまで喚くを、この家の息子聞きかねて、老爺が部屋に到り、
『父はそれほど苦しい酒を、好い程に飲みもせいで、なぜ其様に過しやる?』
と窘(たしな)めると、老爺目を剥いて、
『オノレは小賢しく、何を知つた顔に吐(ぬか)すぞ。ヤイ、己は此酔ひの醒めるが苦しいと言うて遊んで居るものを。』
□伊勢参宮の坂迎へ。昔は今と違ひ、汽車が無かったから、皆テクテク日を重ねて参宮したものである。別けて上方地方では、春先町々村々団体を組んで、ヤンヤと囃しながら、陽気に参ったものだ。それで下向の日には、其町々村々、大勢打連れて二三里位の所まで迎へに出るので、これを坂迎へといふ。京都ならば三條蹴上の坂まで迎へに行いたものだ。
22 ■卑怯者の喧嘩
夜更けて、去る男、三條の大橋を通ったところ、出合頭に向ふより来懸る男に衝当り、二言三言いひ合った。が、一人は大男一人は小男、双方掴合ひを始め、大男は苦もなく小男を組伏せ馬乗りに乗しかかって絞めつけた。絞めつけられたる小男、今は早これまでと思ひ定め、予(かね)て呑み居たる九寸五分を抜放し、藻掻きながら上なる大男を刺さうとする。大男は刃物を見るより身を顫(ふる)はせ、声を限りに、
『ヤーレ人殺しイ!助けてくれー助けてくれー!』
23 ■綺麗好
去る所に法外れの綺麗好きな男あり。鑷子(けぬき)を持って頤の辺を撫で回しながら、頻りと髯を抜いて居った。すると側に居た男、
『些と此方にも貸して給も。』
と無心した。かの綺麗好きの男、
『貸しては遣らう。が穢(むさ)い所を抜いてはならぬぞ。』
と、まづ念を入れて渡した。側の男も亦頤の辺を抜き抜き、
『扨も好う喰ふ鑷子よ。其方は何でも嗜み手ぢやノ。』
などと褒めちらかしつつ、大方抜き仕舞うたから、ボツボツ咽喉(のど)の下を抜きにかかると、綺麗好きは顔顰めながら、
『ヤヤ、そこは穢い所よ。』
と言へば、
『咽喉の下に穢い所があるものかい。』
『イヤイヤ、穢い穢い。デモ主は下帯をする時に、そこで挿まうがノ。』
24 ■欲ふかき姥
去る山里に恐ろしい欲の深い姥が居た。この姥、人の物と見たら最後、木の葉一ひら藁一筋でも、くれいくれいと迫(せが)み、貰はねば納まらぬといふ難作者(なんさくもの)である。或日のこと、近所の男が、大きな鼠を捕へ損なひ、尾ばかり引断(ちぎ)れたのを道端へ投捨てた。すると例の姥通り縋りにこれを見て、
『兄イ!これおくれや。』
と言ふに、かの男、
『姥や!それは鼠の尾ぢやものを、其方に遣ったとて役には立つまい。』
『イヤ、役に立つ。』
『シテ亦、何にお仕やる?』
『この尾をば干しておいて、姥が家に伝はった錐の鞘にするぢや。』
25 ■風呂入り
『些と御免なされ。草臥者で瘡掻(ひえかき)で、どうもならぬ。が、どこぞ明いた所はおはすか。ナ、』
とは、お客の洒落。湯屋男迎へて、
『サーどうぞお通り………………奥は武蔵野デ。へヘヘ』
『イヤ、それは近頃忝ない………………。』なんどといひながら著物脱捨て小風呂の中へ潜込んだ。中には相応にお客も見える。その中の一人、身のまはりを磨きながら、
『山高きが故に貴からず………………。』
と、節でもない節付けて口吟(ずさ)み居るを、生物知(なまものじり)の男小声に、
『庭訓の唯中を言はれるわい………………。』
と、独り可笑しがって呟くを、横合から抜作の出者張者が小耳に挿んで、
『其方は物知顔なことをお言やる。が、あれは庭訓ではない。節用集といふ謡曲の本にある事ぢやほどに。』
□昔の風呂屋には、立派な座敷が幾間もあって、客の需めに応じ、酒肴をも出し、また風呂女とて美しい女を抱へ、客の相手となり、三絃(さみ)などを弾き、時には怪しかることをもやるのである。さればこそ此お客、「どこぞ明いた所はおはすか。ナ、」と言ったのである。当今の銭湯などとは、宛(まる)で趣きの違ったものだ。
26 ■疱瘡の養生
上京新在家の辺を、年の頃なら三十ばかりの男、ソロリソロリと急ぐともなく通って居ると、西の方より、これは亦、年増ながらどこやら婀娜(あだ)な粧(つく)りの女、下女一人召連れてイソイソと来かかり、この男と摺違ひざま、心ありげにニッコリとした。其姿がまた一段と艶めかしいので、件の男、さてはと合点して、我知らず笑顔を造った。すると女は羞(はに)かみながら、男の側に摺寄り、
『モ-シ、まだ初にお目にかかった此方様へ、麤怱(そそう)ではござりまするが、其様(そさま)お急ぎでもおはしまさねば、妾所へお立寄り下さる訳には参りまするまいか。エ、』
と、甘えるやうに頼入れて、覘き見る目元口元の優しさ。かの男ボーッとして見惚れて居た。が、否むどころか、二つ返辞で承知した。さて連立って、かの女の所へ行いて見るに、屋敷の構へレッキとしたものである。乃て導かるるままに座敷に通れば、ここは亦、目眩むばかり見事な屏風を隅々に折立て、床違棚の飾付はいふに及ばず、設けられたる調度の類ひ、善尽し美尽し、口にも筆にも述べられぬ程である。とかうする中に膳は布(し)かれる。無論料理は、この男なんど生れて以来嗅いだこともない珍らしいもの。お負に美しいお女中のお給仕付き。宛(まる)で夢見て居るやうである。食事が済むと、最前の年増しとやかに出で来り、
『これは近頃申しかねた儀におはしまするが、実を申せば、妾は此方の嬢様に乳を参った乳母でござりまする。嬢様も今年はお十六になられまして、彼方此方より御縁談のことばかり申越されまする。が、どうぞ此方様に一目お逢はせ申させたいと存じ、お連れ申しました次第。シテ、嬢様には最早申入れたことでござりますれば、是非々々お逢ひ下されませ。』
と、いよいよ甘い話しに、例の男は、狐にでもつままれたのではないか。と、顫ひ顫ひ手を拉(と)られて、奥の一間に連れられ、小屏風の陰に堅くなって控へ居るを、乳母は強ひて娘の臥し居る枕下へ招き寄せ、さて娘に向ひ、
『モーシ、お前様に此乳母が、何時も掻かせられまするなや掻かせられまするなやと申しまする証拠は、これ此御仁を御覧じませ。お掻きなされますると、此方のお顔のやうに菊石(みつちや)が出来まする程に。』
27 ■道化者が挨拶
持って生れた道化者の目には一丁字も見えぬ文盲男あり。其隣に由緒ある人住ひけるが、或時、夫婦内事をか諍ひ、互に疳声立てて言募るほどに、彼の道化者驚き、隣の好誼捨ててもおけまい。と、駆付けて、まづ双方を取静め、
『お前様もお前様なら、此方様も此方様ぢや。事の譬へにも、大坂に助六といふ大工さへござるに、ママ勘忍さしやんせ。』
と、一廉分別らしく遣って退けたので、夫婦のものも、此のつかぬ言葉が可笑しくなって、倶に苦笑ひしながら、それなりに仲が直ったとか。
28 ■順礼と捨児
関東の生れにか、言葉に訛りの多い順礼二人連立ち、初めて京へ上り、五條の橋を通った。所が、勾欄際に哀れげな児が捨てられてあった。かの順礼、一人は少し後れて歩いたが、これを見て、先なる一人を呼留め、
『ここに児奴(こめ)が捨ててあるぞ。』
と言ヘば、先なる者振返って、
『米なら拾つて来いや。』
『しかも赤児奴だぞ。』
『それや大唐米であるべい。よしサ、苦しゆないこんだ。早く拾って来やーせ。』
□大唐米は、アカゴメともカラボシともいふ。
29 ■嘘説にもせよ小気味の好い話し
去る所へ、伸気(のんき)者落合って、口々に、思ひも寄らぬ贏(まう)けをしたとの話しの次に、一人の瓢軽(へうきん)者、
『己も話さう。昨日河原の村山が芝居へ見物に出懸けた。が、丁度狂言最中に行懸り、詮方なく桟敷の下で立見して居たに何の気もなく場の真中程をチラと見ると、年の頃なら二十歳ばかりの女房、並ならぬお姿で、下女一人連れて見物して居られた。己は唯一目見るなり、其儘気がゾウとして、何とやら心も浮か浮かと、舞台の方へは目もやらず、如何様口説いて見たいものぢや。と、そればかり案じて居ると、その女房は下女を連れて出られた。己も最早芝居は見たうも無いによって、跡に尾いて出た。偖それより跡を尾けて、祗園、清水、大谷、大仏と方々を回った。が、さのみ礼拝せられる体でもなく、如何様此女、己を見て当世の仕掛女ぢやナと思ひ、イヤこれは是非共宿を見届け置いて、重ねて口説く種にせう。と、猶それからもソロリソロリと付回った。所で、最早日暮になる。すると其女房は誓願寺の墓の奥へ這入られた。幸ひ好い所、宿へ行くまでもないこと、ここで一番口説落いて、是が非でも念を晴らさう。と己も墓原へ這入ったれば、何と巧いこと、郤(かへ)って向ふから言葉を懸け、「お前様は今日一日妾に付添ひ、これまでお出でなされた。疾くにも言葉を掛け参らせたうはおはしたが、流石に人目を遠慮致しました様な次第………………お前様の物が此中におはすのなら、お取りなされて、どうぞお慈悲にお見遁し下されまするやう。」と、鼻紙袋巾著又は金子銀子の這入った打違(うちがへ)など、数々の物を懐から投出した。己も案に相違して吃驚した。が、是は皆私が物でござると言うて、有るだけ取つて戻った。………………シタが、これは皆夢であつたわ。ヤ、』
□京都四條大橋東に、二所相対して大芝居の出来るまでは、河原で興行したのである。京雀に、昔松原の東川端に、人形繰りの芝居を構へ、川には細い仮橋を渡してあった。が、太閤の時、伏見より禁中に参内せらるる道筋に好いとて、ここに大橋を架けられ、川端の芝居をば四條河原へ移されたことが見える。また京童には、四條河原の景色を書いて、歌舞伎や浄瑠璃のあった状(さま)が見える。
30 ■葬礼の七五三
去る所に、阿房な男があった。或日、さる人から、『明日は上の町から結構な葬が出る。』と聞き、結構といへば振舞の事ぞ。と心得、屹度押懸けて剛(したた)か喰ってくれう。と巧み、未だ見知らぬ人の葬礼を弔うた。偖大勢の人々は早く帰った。が、此男だけは一の尻果(しりはて)に帰り、直ぐ其足で昨日話したる人の所へ行き、
『其方は大きな嘘説(うそ)を吐いて、己を陥(はま)らしたナ。』
と、恨みタラダラである。彼の人、
『それは亦何として?』
『イヤ、尤も今日の葬礼は、七五三程に結構ではあつた。なれども膳は出なんだ。余りなことぢやと思うて、己が盛物に手を掛けたら、御坊奴(おんばうめ)が擲(たた)き殺すぞと言ひをったわ。』
□七五三とは、祝儀の辞である。
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