元禄笑話 31~40

 31 古法眼の二幅封:5-3
 32 道頓堀にて巾著切を捕ふ:5-4
 33 性悪坊主:5-5
 34 此碁は手見せ禁:5-6
 35 伊勢へ抜参り:5-7
 36 恵比須講の書状:5-10
 37 知らねば是非なし江戸の島原京の島原:5-13
 38 欲深き長老:5-14
 39 小間物屋の覚帳:5-16
 40 十夜の長談義:5-17


31 ■古法眼の二幅対

何事のお振舞にか、
  明後十一日、霊山宿阿弥に於て御酒進上申度候。御出可被下候以上。
とあるに、寄々誘合せ、大勢前後して行いた。亭主の心入とて床には古法眼が筆、龍虎の二幅対、いと立派に掛けられた。皆皆床際に立寄り眺め居た。が、一人の頓狂者、つくづくと虎を眺めて、
『偖も此猫は、何でも妙手の書いた物に違ひない。此様な逸物を一疋持つならば、夜の目の合はぬことはよもあるまい。』
又一人の男、
『鼠を取るやうな目で、何やら瞰(にら)んで居るさうな。』
この二人が言葉を聞いて居た年寄、龍の絵を指さして、
『実々(じつじつ)、其筈でござる。ここな乾鮭(からざけ)を狙うて居まする。』

□乾鮭は、鮭の腸(わた)を取って、塩をせずに乾し固めたものである。

32 ■道頓堀にて巾著切を捕ふ

去る町人、大坂は道頓堀、群聚雑沓の中で巾著切を捕へ、
『サー、先の巾著を返せ!』
と、胸倉把って責徴(せご)した。が、巾著切は、言葉を左右に構へて何時かな出さうとはせぬ。そこへ次第に人多く重なって、『それ踏め擲(たた)け!』などと、声々に詈(ののしり)立てたので、巾著切は、
『其方様の巾著は取ると直ぐ同類に渡し、ここにはござらぬ。明日は屹度返進申しまする。』
『偖もオノレは、肝の太いことを吐(ぬか)す奴ぢや。ヨシ、其儀ならば打擲してくれうほどに。』
と、凄い顔して白眼(にらみ)付けた。するとかの巾著切は、術無ささうに、
『自体己(おれ)がのが分別ちがひぢや。矢っ張り横著を徹したが能かつたに、謂はれぬ巾著になった故よ』
と呟いた。

33 ■性悪坊主

去る町庵(いほ)に坊主が居た。この坊主甚だ曖昧な奴で、妹と言触らして怪しき女を置き、甥と言繕うて子供を持って居た。併しながら、人には必ず一つの取得はあるもの、此奴、念仏の音声能く、亦妙手(じやうず)に鉦を叩く処から、俗衆は重宝がって、二六時中(しょつちゆう)念仏講の鉦叩きに雇うた。然るに此坊主、女だけの瑕(きず)かと思ひの外、猶厭な癖のある奴で、博奕を好き、人に隠れては折々其場へ行きをった。或日のこと、念仏講の同行衆、例の回向勤めようとて、彼の庵へ誘ひに寄った。処が、他行の由である。………………『それでも今晩は講ぢやもの、是非ここの御坊を連れねば、講中には鉦の打手がない。何方へ参られたぞ。』と、言ふに、留守居の女も、初めは言渋つて居た。が、余りの催促に、詮方なく其処を教へた。同行衆、さらばとて先へ行いて見れば、是は亦思ひも寄らぬ勝負の真最中。人々目を見合せて、
『扨々人には人屑とて、お身は頭を円め、生年寄つて居られながら、何として斯様な掛勝負を召されるぞ。テモ所存の悪い御坊ぢや。善し悪し人に謳はれぬ先に、些と嗜まんせ。内には女房子もない物か何ぞのやうに。この性悪奴が!』
と、散々に窘めた。すると件の坊主、
『ママ其様にお叱りめさるな。何も掛勝負では無い、座中皆現金勝負ぢや。そないにお言やる其方達が念仏講の鉦は、皆来世鉦ぢや。まづまづ今晩だけは赦しておくれやれ。』

34 ■此碁は手見せ禁

去る有徳なる町人、早く子供に世を譲り、其身は頭を円めて裏座敷に隠居し、余世安楽に暮し居た。同じ町に、亦同じやうな隠居が住って居た。二人は旦暮碁を打って楽しみ、相手も変らず此二人より外に友とする人もなかった。或日のこと、一方の人は続け打ちに二番負けて、些(ち)と気色を悪くして打つ程に、ど
うやら三番日も負けさうに見えた。そこで、『大石の死んだ所を一手見せよ。』と言った。処で、先方は、なかなか見せる気色も無し。『是非見せよ。』『イヤ見せまい。』と、互に盤の上で手を捻(ねぢ)合ひ、揚句のこと、黒白の石を突崩し、双方腹立紛れに、おのれしのれと迫(せり)合ひ、『向後一生、其方と碁は打たぬ程に。』『ヲヲ如何にも参会止めに致す。』と互に勘当辞(ことば)で別れた。偖其日も夕陽西に傾き、外に友とてもなければ、暮れると直ぐ枕引寄せ、寝入らんとすれども寝入られず、つくづく昼間の口論を思出し「とかく昔がら短気は損気と謂ふはここのことぢや、先程の碁一番負けて打つなら、今時分までも凝懸(しこりかか)って打って慰まうものを、由ないことをしたわい。」と、両方ともに後悔した。何が同町のこととて、明くれば早天から彼の相手が門を通り、互に尻目で瞰(にらみ)合ひ、
『生年寄りくさって朝っ腹から碁の打ちたさうな面ナ。』
『ナニ打ちたいがオノレに構うたことか。』
『ヤイ打ちたくば爰へうせをれ。慈悲に打ってこませうぞ!』
『慈悲にもせよ讎(あだ)にもせよ。サーサー打って見くされ!』
と、誰挨拶なしに仲直りしたとか。

35 ■伊勢へ抜参り

江州矢走の渡しで、九州肥後の者とて、十二三歳なる子供二人伊勢へ抜参りとて船に乗込んだ。此子供、路銀の少い心細さにか、但しは腹の飢(ひも)じさにか、一人の児、三上山を指さして、
『あの山が飯なら、唯の一口にせしめうものを。』
、と言へば、今一人の児も早速の返辞に、
『此湖水がとろろ汁なら、をんでもなう喰ひかねはせまい。』
と言ふに、乗合客に心ある人、此言葉をや不憫に思ひけん。船中を勧進し、銭壱貫文括って、此二人に遣はしたとか。偖も神徳忝なや忝なや。

36 ■恵比須講の書状

十月二十日、恵比須講の振舞するとて、文盲なる人の方ヘ文持たせて使に遣った。其人封押切り、
  今日は恵比須講にて御座候。早々御出仰ぐ所に候以上。
    誰殿参
とあるを見て、殊の外に腹を立て、
『此様な拙手(へた)らしい文の書様があるものか。此寒天にお出あふぐとは何事ぢや。かういふ処は、お出なされ候はば炬燵炬燵、と、書きたいものぢや。』

37 ■知らねば是非なし江戸の島原京の島原

江戸の芝居街を島原と云ひ、京の傾城街を島原といふ。去る江戸の人始めて京へ上り、上京に宿を取って居た。が、此宿の亭主といふは、些とも融通の利かぬ頑固老爺であった。或日のこと、かの客は四條河原の芝居を見物して戻った。すると亭主、
『今日は何処を見物なされた?』
客は何心なく、
『今日は島原へ参ったが、偖々面白いことでござった。酒を飲む所もあり、濡れかけた所もあり、近年の慰み。又明日も参らう。』
これを聞いた亭主色を変へて、
『偖々悪性な人や。昨日今日上ってまだ間もないに、早傾城狂ひをめさるか。』

38 ■欲深き長老

法無しに欲の深い長老、或日、納所一人連れて、檀家の方へ回向に参った。亭主は斎料にとて布施を包み、子供に持たせて先づ長老の前に差出した。是は百文包みである。次に二十文包みをば、亭主自ら持出て納所が前に置いた。長老これを見て、「あら不審や、これは御亭が後前をば違へたな、シテ納所のは包みも大きい。」と安からず思ひながら、寺へ帰ってかの納所に向ひ、
『最前の布施は、施主が取違へたやうぢや。デ、自分がのを其方へ遣り、其方のを此方へ貰はう。』
と言ふを、納所は態と迷惑さうな風をする。長老いよいよ堪らず、我が分を向へ投出し、大包みを無理遣りに取上げて見た。すると銭二十文に小蝋燭二挺出た。

39 ■小間物屋の覚帳

去る所に、一生読書(よみかき)知らぬ小間物商人があった。現金商ひならば世話もないが、帳付商ひになると実に不自由である。さりとて一々人にも頼まれず、それで自ら才覚して、三尺ばかりの木を備へ置き、帳商ひあるごとに小刀もて其木へ刻(きざ)を附け、まづは我が覚えとして埒を明けをった。或日のこと、日暮の闇(くら)紛れに商ひがあったので、又かの木に刻を附けて居るを、此処の息子眺め居て、
『父(とと)!闇がりで物を書いて、手をお切りやるな。』

40 ■十夜の長談義

関東より上って来た長老、去る寺へ坐って、始めて十夜の談義をせられた。毎夜毎夜洛中の男女参詣して、なかなか群聚した長老高座に登り、
『昨晩談じた次を、今晩も講釈致しまする。それについて、フと承はれば、愚僧が談義が長うて怠屈ぢや。とお女中方が申されるとの評判でござる。が、愚僧はただ理句義の能く詰まるやうにと存じて申すのぢや。さりながら今晩からは皆様次第に致さう。が、お女中達何と思しめすぞ。短いのが善いか長いのが善いか。』
と、繰返し繰返し言はれたので、参詣の男女は返辞をせずに、唯クツクツと笑って居た。長老腹を立てて、
『それは方々の気の遣りやうが悪い!』

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