元禄笑話 41~50

 41 百万遍の万日参り:3-7
 42 人より鳥が怖い:3-6
 43 盲目の頓作:3-3
 44 嗇き坊主の若衆狂ひ:3-8
 45 塩打豆:3-2
 46 御霊大明神に福を祈る:3-1
 47 親父が働き三国一:1-19
 48 羨ましきは食物の火事:1-18
 49 蛸薬師への日参:2-5
 50 京の某丹波へ婿入り:1-2


41 ■百万遍の万日参り

去る人、夫婦連れで、百万遍の万日回向に参らうとて、今出川の東野中へさしかかった時、知己に行逢った。其人出会頭に、
『偖も御亭は………………。』
と、声掛けらるるや、此方の女房ツカツカと摺寄り、
『どうぞソソと物言うて下され。』
と言はれて、其人訝りつつ、
『偖は誰ぞに隠れなさることか。ヤ、』
『イヤ、隠れまする人もござらぬ。が、内に幼女(あま)を寝させて来たが、そないに大きな声を立てられて、若しも目を覚まされては迷惑。』

□百万遍とは、洛北田中村の浄土宗知恩寺の称である。

42 ■人より鳥が怖い

東山黒谷の辺に、一人の百姓、打均(なら)したる畠へ頻りに種子を蒔いて居る。処へ隣家の百姓通合せて、
『其方は何を蒔きやるぞ。』
と、道端より声を掛けた。すると先の百姓は小手招きして、
『アア、声が高いぞ。低う低う!』
と制するに、「偖は世に稀なる唐物の種子でも蒔くにか。」と思ひ心得たりと、差足抜足して近寄り、如何にも低い声で、
『其方は自体何を蒔きやるぞ。ヤ、』
と問へば、先なる百姓抜(ぬか)らぬ顔して、
『些とばかり大豆を蒔いて居るぢや。が、其方のやうに大なき声で喚(わめ)かれては、烏や鳩が聞く程に。』

43 ■盲目の頓作

鍼立を渡世にする盲目坊主、去る檀那方へ療治に行き、四方山の物語りに興を遣り、暫らく時を移したる処へ、客来りて初めて知己になった。客は盲目に向ひ、
『何と座頭殿は、何方のお弟子でござるナ。いち方か、但しはじやう方か。定めて琴三味線も、平家小謡も妙手でおはさう。以後は拙者所へも申入れ、一曲承はりたうござる。』
と、懇に言入れた。すると此盲目、余り慇懃なる挨拶に痛入り些(ち)と当惑の風で、
『イヤ、私事はいち方でもじやう方でもござりませぬ。ハイはり方でござりまする。』

□いち方、じやう方とあるは、当時の検校を斥(さ)せる称であらう。

44 ■嗇き坊主の若衆狂ひ

去る寺に、至って嗇(しわ)い坊主が居た。而もこの坊主甚だ尾籠な奴とて、去る若衆を恋詑(わ)びて、思ひのたけを細々と認め、艶書もて口説いた。処が、口説かれた若衆も案外通り者と見えて、一夜坊主の方へ泊りに来た。坊主一夜を甘き夢に明し、フと目を覚ませば、軒には雨の雫にか、シトシトと音するにぞ、
『南無三宝、泊めて悔やしや、朝飯を振舞はずばなるまい。………………イヤ待て待て、これは空寝入りして、彼奴が起きて帰るをば知らぬ態(ふり)したが好い。』
と、思案を定めて空寝入りを構へた。乃て若衆は目を覚まし、ソッと起出でて帰った。この容子を看て取った坊主、もはや門の外へも出たらうと思ひながら、猶心元なさに、己れも起出でて見れば、こは如何に、まだ門の内に休らひ居た。坊主は吃驚仰天し、衝立ったまま目を塞いで、高鼾「グーグー』

45 ■塩打豆

去る町人、お出入先の儒者の方ヘ見舞った。処が儒者は自ら茶を煎じて侑(すす)め、茶受にとて小者を呼び、『あのエンダヅを少々参れ。』と言付けられた。小者畏まって、乃て小い盆に塩打豆を少しばかり盛って差出した。町人は変な顔して、
『モ-シ先生、この豆の名を何と仰せられまする?』
『これか、これはエンダヅと申すぢや。』
『へー、それは亦何と致して………………。』
『ハハ解らぬかナ、それエンと申すは塩、ダと申すは打、ヅと申すは豆ぢや。』
と、得意のお講釈をしながら、また小者を呼んで『今少々参れ。』と、彼の喰ひ減らした盆を出されると、小者は額際を撫でつつ
『モ-すきとお仕舞ひになりました。』と言ふ。先生聞いて、『フギウリキぢや。』と、舌打ちせられた。かの町人「フギウリキ」を聞いて、解せぬ顔で、
『先生そのフギウリキと仰せられまするわ………………。』
『ムムこれか、それフは不、ギウは及、リキは力と書いて、下から力及ばずと読返すのぢや。何と会得参ったか。』
と、お講釈を聞いて、町人大悦び、『偖も媚びた口上を覚えた。嬉しや、早う戻って内の女房に言含め、件の豆を拵へて、誰かな参ったら、この口上言うて振舞ひたや。』と、我が家を斥(さ)して駆戻り、女房にも聢(しか)と言含めて、待って居る処へ、舅の親父が出て来た。亭主まづ女房を顧みて、
『あのエンダヅを持って来や。』
と促せば、女房は『アア』と応へて、少しばかり盆に盛って差出した。処が親父は別に言葉の詮議もせず、瞬く間に頬張ってしまった。亭主悦んで、『今少し出せ。』と促せば、女房は、コロリ打忘れて、『アア』と応へつつ、既に出さうとした。が、フと思ひ出し、
『イヤ、もはや無いわナ。』
と遣ってのけた。亭主、
『ナニ、エンダヅはもはや無いとや。ムム………………』と言ひさしたが「フギウリキ」を忘れて『………………あのフグリナシ奴が!』
と癇癪立てて叱りつけた。すると女房は可笑しくて堪らず、
『モ-シ、それは言葉違ひでござらう。女に何の睾丸(ふぐり)があろかいナ。』

□この塩打豆は、当今にもある煎豆に塩をつけたるもの歟。フグリは陰嚢の古名である。

46 ■御霊大明神に福を祈る

上京に一人の職人が居た。この男怠惰者と申すでもない。が、とかく世渡拙手(べた)と見えて、今は朝夕をも送りかねる始末。そこで、「何でもマー信心すれば徳があるとか。まづ氏神様へお縋り申して、急に富貴にならうわい。」と、それより御霊大明神へ一七日日参して祈ることと決めた。偖毎朝毎朝前拝(ぜんぱい)に額(ぬかづ)いては六根清浄を唱へ、『どうぞ私に銀子一貫得させて下されまするやう。』と、一心不乱に祈った。嗟、明神の霊験顕著や、満願の日神前で眠るともなくトロトロと睡(まどろ)めば、神の御声として、
『汝恨みることなかれ。よく分別して神をも祈れ。分際に過ぎたる願ひは得させ難し。吾れ多くの氏子を持ちたりといへども上で御霊〔五両〕下で御霊〔五両〕とて、二所所帯にて十両なり。然るに汝銀子一貫の望みなれば、今小判にて十六七両に及べり何としてなるべきぞ。さりながら氏子のことなれば不憫なり。急ぎ是より真如堂の稲荷へ参り、福を祈れ………………。』
と、夢の中に告げさせ給ひ、今まで歴々(ありあり)見えた御姿は、そのまま掻消す如く見えずなった。かの男驚き目を覚まし、四辺をキヨトキヨト見回しながら、
『テモ聞えぬお告ぢや。自体稲荷とは、稲を荷ふと読むなれば、百姓の望みこそ叶ふであらう。我等は職人のこと、百姓の手業はならぬわい。イヤ、とてもならぬことなら、何も七日まで吊らずとも、疾っくに知らして給はいで。』
と糞理窟を捏ねかかり、腹立紛れに社壇を睨付け、
『さっても憎い四一両奴が!』

□四一両、合計〔五両〕御霊なり。御霊の社は二所ありて、俗に上御霊、下御霊と称して居る。

47 ■親父が働き三国一

一家中諧謔(おどけ)者の寄合った頗る伸気な内があった。冬の夜寒の徒然に、何がな遊ぶ工夫も。と、考へついたは、豆腐二三挺を買って田楽にすることだ。そこで親父が言出しで、手に手に秀句を言って喰ふべき定めである。嫁はまづ最初、
『妾は仏のお頭。』
とて、三串〔御髪〕取って退いた。すると娘は一層智恵を絞って
『妾は因幡堂』
といひながら、八串〔薬師〕取った。次はこの家の古女房、何をするかと思へば、乃て屏風の陰より現はれ出でた。兎(と)見れば、両の手で目と口とを引拡げて、
『妾は鬼ぢや。みな喰はう喰はう。』
とて、有るだけ取って退いた。後に残った親父面喰った。が、て考へた末、古手拭を頭に被り、手を差伸べて、
『難渋な者にござりまする。皆様エ、どうぞ一つづつ取らして下されませ。』

48 ■羨ましきは食物の火事

四條河原に、それは美しい野郎が居た。親里は京の西で聚楽の者とか。五月の十五日は今宮の神事なので、その野郎、親里へ祭の振舞受けに帰った。何様常は勤めの体、暇なければ往来も稀な間のこととて、親も一入不憫が懸るものから、何がな馳走して遣らん。と、餅を搗いて喰はせた。野郎も、逢うた時に笠を脱げとか。人目も恥もあらばこそ、喰ったも喰った、出る程喰った。偖夕陽も西に入相の頃.師匠の家に帰った。が、サァ事だ。寝ても起きても苦しくて堪へられない。朋輩の野郎見て気の毒に思ひ、
『其方はいかう苦しさうぢや。が、どうお仕やった?』
と、問はれて件の野郎、
『イャナニ、実はは今日の振舞の餅を喰ひ過して、胸が焼けてならぬわ。』
『イヤ、それなら、己も些とその様な類焼に逢うて見たいわ。』

  □野郎とは.関東でいふカゲマである。昔芝居の女形を上方では野郎といひ、関東ではカゲマと称へて居た。

49 ■蛸薬師への日参

三條の辺に浮気男が居た。何時の頃からか願懸をするとて、蛸薬師に日参を思立ち、『其身一代の中、決して蛸を喰ふまい。』と誓ひ、人々にも仰山らしく言触らした。が.偖一夏納涼にとて二三の朋友と四條河原に出掛け、床の上で一杯遣りかけた。シテ取寄せた肴の中に.塩揉の蛸を綺麗に切囃し、乙な器に盛って出された。例の男、イキナリこの塩揉を剛(したた)か喰ったので、連の衆は可笑しがり、
『ヤヤ、それは蛸であるに、何と思うて其方は喰やった?』
と、咎めると、彼の男抜からぬ面で、
『さればサ、昨日十二日に麩屋町の布袋薬師へ願を掛け代へ、此後己一代の間は、どんなことがあらうとも、布袋は喰ふまいと、屹と誓うて参ったわ。………………この塩揉の味いかう気に入った。今一鉢頼まう。』

50 ■京の某丹波へ婿入り

京の某といふ者、縁あって丹波の去る山家へ婿入りすることとなった。愈々輿入の日、何がな好い土産をと、見事なる生鯛一尾を、小者に持たせて出掛けた。大宮七條まで出て、そこで道中の用意にと麩の焼を買ひ、道々頬張りながら行いた。偖舅の家に著いたので、先方も大歓び、兎も角もとて風呂を侑めた。小者も乃て風呂に入らう。と、著物を脱ぎ捨てて飛込んだ。すると前の喰残しと見えて、麩の焼が一つ取落してあった。山家育ちの手合、これを見て口々に、
『偖も合点の行かぬ物ぢや、誰ぞ見知った者等はないか。ヤイ、』
と、いろいろ詮議したが、誰あって知る者も無い。「さらば堂の坊主か庄屋殿かに見て貰へば解らう。」と、早速人を立てて呼入れた。坊様澄ました面で、
『ハハー、これかナ。是は皆の者は知るまい。これが天狗殿の灸の蓋ぢや。』
これでまづ麩の焼の詮議は済んだ。が、亦更に一つの疑問が起った。それは土産に貰った鯛である。庄屋殿これを見て、手も無く、
『それをお知りやらぬか。是はナ、京の祇園の小宮にもある蛭子殿の、腰に差して居らるるお太刀ぢや。』

  □当時は、麩の焼とて一般に喰ったものと見える。思ふに今の饅頭麩の如きを味付けて焼いたものか。当今ならば差詰餡麺麭(ぱん)といふ所?

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