元禄笑話 91~100

 91 馬に乗れぬ医者
 92 子の自慢過ぎたり
 93 昨夜の蚤
 94 喜蔵魚を洗ふ
 95 元日の粗怱
 96 倥侗者加茂の競馬に餅を売る
 97 願はぬ事
 98 伽羅の油
 99 山伏露はる
100 河流れは拾ひ勝


91 ■馬に乗れぬ医者

江戸では、武家方から医者を迎へられるには、多く馬を遣はされた。去る武家方に急病人出来て、医者を迎にとて例の馬を遣はされた。所が此医者、馬は不得手である。さりとて詮方なく乗った。偖急病人のこと、口取は馬を煽って早める。上なる医者肝を冷し、何でも落ちまいと、乗鞍に噛付いたまま牽かれ行いた。途(みち)で知己の人来り、
『道才様何れへ?』
『ハイ、此分では何処へ参らうやら……………。』

92 ■子の自慢過ぎたり

去る親父、人に向ひ、
『世間に子は多く持てといふが、己が子程器用なものは、亦とあるまい。』
聞いた人、小面憎しと思うたが、
『さればそのこと、御子息は御器用にござるとは、予ても承はりました。が、碁は誰位にお打ちなされまするぞ。』
親父小鼻ひこつかせて、
『本因坊に先手。』
『槳棋は?』
『宗桂に片香車外しまする。』
『小鼓は?』
『清五郎に片皮外しまする……………。』

93 ■昨夜の蚤

去る所に、二十四五歳にもなる息子、まだ女房も持たず部屋往(ずま)ひの伸気に暮し居た。或夜のこと、怪しげなる女を呼入れ、密密(ひそひそ)何やら語合うては、嬉々と楽しみ居た。夜更くるままに、此私語(ささやき)他の部屋へや漏れけん、母御不審に思ひ、手燭を点けて息子が部屋の外まで来懸り、
『不思議なこと、其方は宵から何やら独語言うて、一向お寝やらぬ容子、気分でも悪いか、心元ない。』
息子肝を潰し、目配せして女を屏風の陰に潜ませ、
『イヤ気分にどうかうはござらぬ。が、今夜は何と致したやら蚤がせせってなりませぬ。』
 それなら気遣ひもないが、憎い蚤ナー。』
と言捨てて、母は部屋へも入らず、我が居間へ帰られた。偖息子も密事の目にかかっては悪しかりなん。と、かの女をば夜の明けぬ中に返した。乃て夜も明けたので、草々起出で膳に向った時、父親は息子を顧み、
『兄イ、可愛いさうに……………昨夜の蚤にも朝飯を喰はしやれ。』

94 ■喜蔵魚を洗ふ

去る檀那、下部(しもべ)の喜蔵を呼付け、
『活船(いけふね)の中で一番大きい鯉を一本上げて、序に川で砕(こな)げて来い。』
喜蔵畏まって、乃て裏の川に行き、活船の中から大きさうな鯉一尾捉へ、流れに浸けると、鯉は一撥ね撥ねて、其儘喜蔵の手から離れた。喜蔵渋面掻いて家に戻り、
『モーシ檀那、私がかう掴まへて水へ浸けますると、鯉の奴は唯一搔(は)ねに逃げました。』
檀那苦りきって、
『ここな倥侗(うつけ)者奴が、毎度相怱を致しをって……………併し今度は免してやる。重ねて左様な物洗ひをらば、鰓へ縄を付け川の杭へなりとも石へなりとも括付けて洗へば、仮令(よし)手を離れても逃げる事ではない。此後もあること、些と心得!』
と散々叱付けた。喜蔵も檀那の折檻身に締めて居た。次の日のこと、乾鮭を洗うて来よ。と言付けられ、乃て川へ持行き、まづ鰓に縄を徹し、川端の石に聢(しか)と括付け、其乾鮭を瀬に沈めて、両足でギユッと踏締め、
『サー遁げられるなら遁げて見よ。今度は遁がす事ではない。』

95 ■元日の粗怱

去る人、節季の了ひを持余し、大晦日の夜の八ツ時分、漸々借銭乞も、詫言タラタラで追返し、其身も散々草臥れ、丸寝にグッスリ寝入った。夢結ぶ程も無く、明くれば一陽来復、まづ初春の元日である。初日の出ると共に、礼者は表に来かかり、戸をホトホトと叩き、
『物申!』
かの者フと目を覚し、「まだ借銭乞か。」と呟きながら、
『行回って戻りにござれ。』

  □八つ時は、今の午前午後の二時である。すればこの人の寝たのは夜中過ぎて、午前の二時頃と見える。

96 ■倥侗者加茂の競馬に餅を売る

五月五日は上加茂に恒例の競馬行はれ、洛中近在の男女群聚して、いと賑やかである。去る空けたる男、是を目的に、「何がな一羸(まう)けせん。」と、餅を拵へて売りに行いた。或人、
『此様な人込みには、掏摸が有って売物を盗み、又当世の六方は物を喰うても銭を出さずに、横柄な顔して遁げて行く程に、随分用心おしやれ。』
と言ふに、心得たり。と、樹陰の程好い処へ荷を卸して、餅をば並べ居た。かかる所へ、如何なる機勢(はづみ)にか馬反れて、「あれよあれよ。」と、貴賤老若押合ひ圧(へし)合ふ容子。徒(ただ)事でない。と看て取った件の男、大肌脱いで、
『抜(ぬか)る事ではない。人に喰はれうより、己が皆してやる。』
と、其餅片端から残らず喰った。

  □六方とは万治寛文の頃江戸に侠客の団体が六つ在った所から出た名である。いはゆる鶺鴒組、吉屋組、鉄棒(かなぼう)組、唐犬組、笊籠(ざる)組、大小神祇組、これを六方組と称(とな)へた。それより一般に、侠客のことを六方と云ひならはした。

97 ■願はぬ事

去る大名の若殿、お国へ初知入あらせられるとて、領下の百姓町人ども、お迎へに御領境まで出た。供回の武士、『大儀大儀。』と言ひながら、一人の百姓に向ひ、
『偖爰許は此方が西に当るか。』
と尋ねられると、百姓は下座に片手を支(つか)へ、四方を指さしつつ、
『ハイ、大殿様の御代には、此方が東、此方が西で、此方が南、此方が北でござりました。どうぞお慈悲に先殿様の通り、此方を南になされて下されまするなら、有り難い仕合(しあはせ)に存じ奉りまする。』

98 ■伽羅の油

去る遠国者、京の室町を通った時、兎有る家の表座敷で、近所の町人衆三四人打寄って酒盛して居た。肴はと見れば、焼蛤である。遠国者は目なれぬものから、連の男に向ひ、
『アレ弥太兵衛見や。都の衆は、伽羅の油を肴に、酒を飲みやるぞエ。』

□伽羅の油は、鬢付油のことである。さて昔は鬢付油をば、皆蛤の殻に入れたものだ。

99 ■山伏露はる

去る所に、禿(とく)法印と呼ぶ厄雑(やくざ)な山伏が居た。が、初めて大峯入りした所から、俄に鼻高々となり、心傲りした果ては、島原の遊里へ足を入れるやうになり、三芳といふ女郎と馴染を重ねるほどになった。けれども法印は、何時までも我が身分を明かさぬので、三芳も安からぬことに思ひ、如何にもして露はしくれん。と、去る時、法印にしなだれかかり、
『其様(そさま)と妾(わたし)事は、二世とも馴染みまするも、勤めの身、殊には廓住ひのこと、お住居とても知らず、其上其様のお頭合点参らぬ。』
といふを、法印抜(ぬか)らぬ顔して、
『己は金持の子で、親のお陰と、京中に千軒の家を建て、今から楽人ぢや。』
三芳は心中大に悦び居たる折節、去る人の来て、『偖々爰へ来る大尽は山伏で、此方へも何時か拝みにござった。』と話したのを、三芳は聞いて、『オノレヤレ山伏奴が、いかい嘘説(うそ)を吐きをつた。是に沙汰を限るほどに。と』劫を煮やし居る所へ、法印それとも知らず、例の如くフラリ遣って来た。三芳はそれと見るより、
『今まで能うも嘘説をお吐きやった。其様は山伏さうな。』
『それは亦、何をお言やる。此方は左様の者ではない。シテ、それは何者が言うたぞ。』
『何某の檀那が。』
『オノレ憎い奴ノ。今に見をれ、祈り殺してやらうほどに。』

  □山伏の頭は、皆総髪であった。また隠居した人も大概は総髪にしたものである。偖こそこの山伏が、「己は今から楽人ぢや。」と吐(ぬか)しをったか。太い奴ノ。

100 ■河流れは拾ひ勝

或時のこと、暴(にはか)に空の気色変り、見る見る盆を覆すが如き大雨となり、恐ろしき雷の轟き、肝魂も身に添はぬばかり。大河筋は滔々と赤水が漲る有様、物凄い風情である。かかる所へ河上より大長持一つ流れて来た。去る男、拾い上げて宿へ持帰り、
『あら嬉しや、仕合(しあはせ)好いことぢやぞ。夜著蒲団は申すに及ばず、金も大分あらう。』
と、ニコニコしながら、錠前開き見れば、こは如何に、
『雷は止んだか。』
と言ひつつ、中より八十ばかりの老人が出た。

前頁  目次  次頁