明治三十六年 三十二歳

-月 癸卯であるに因んで詠んだ兎の歌、
   かづきゆく紅梅の衣(きぬ)雪に映(は)えて卯杖の使御門(みかど)まかづる
   何しかも兎よ耳をそばだつる世言人言きかぬまされり
   菊かをるまがきのもとに耳たれて兎経きく山寺の秋
   兎追ひて走(は)せのぼりたる峠道水海あをし白雪の中に
   網にふれ犬に追はれて野兎の野にありてだに安からぬ世か
   ともすれば兎の角のありなしを髯さかだててあげつらふ世か
心の花一月号の「残月楼手抄」に、茂睡、芭蕉が辻、柯堂歌話、望東尼、いれひも等のことを書いた。
四月 十二日の大会、講演は森鴎外博士の「マアテルリンクの脚本」、学海居士の「列女劉淑英」。披講終って、アギナルドの部下であった比律賓人四人のギタルラ演奏、大塚楠緒子ぬし作の「詞林三歌仙」を同人がおもしろく演出した。
五月 甲州に赴く。小尾保彰君に酒折宮に迎えられて、本居翁・山県大貮の碑にぬかずき、甲府談露館の歌会に「甲斐の国と文学」という講話をした。翌日は大泉寺より、野中の松蔭なる武田機山公の墓に詣でたに、形ばかりの玉垣は倒れている。
   益良雄のおくつき守る松一木まつ年ふりて草みどりなり
昇仙峡は、天そそるというべき岩山の裾は山吹でおおわれている。此の新道を天保の頃に開いた円右衛門の碑は、中央より二つに折れたのを重ねてあるのみ。大工事を為しとげた人へ躑躅や山吹がおのずから手向の花となっている。覚円峯、仙峨の滝。第一第二の石門を出で、ゆきゆきて山村の旅宿についた。宿の主人は埴鈴を持って来た。
   山水の霊(たま)ごもるらむ土(はに)鈴の音をよろしみ繰返し振る
         (購ひ帰って上真行君に贈ったに、よき音と喜ばれた。)
筧の音を聞きつつ眠った。
   鳥の声水の響に夜は明けて神代に似たり山中の村
金桜(きんおう)神社に詣で、甲府に帰ったに、中学校長大島正健君が来訪、漢字音研究の話を聞いて夜をふかした。翌朝は中学校で講話、午後は小尾家からの迎えの馬に乗って、夕方清春村についた。
   並(な)み立てる山に太古の姿あり水は千年の色をうかべて
小尾君の家の客となって、
   八(やつ)が嶽山おろしの風寒けれどゐろりの辺(ほとり)とはに春なり
   天地のあるじとなるも何かせむいかでまさらむ此のゑひ心地
   酔ひにけりわれゑひにけり真心もこもれる酒にわれ酔ひにけり
   やすらけき夢よりさめて門川(かどかは)の有明の月にくちそそぐかな
六月 大阪にいたり、市長鶴原定吉君をとい、夫人の曽祖母なる野村望東尼の家集「向陵集」を初めて見るを得た。夙く「姫島日記」を読んで、勤王の女丈夫たると共に、すぐれた女歌人であるということは知っていたが、今この集にその全貌を見るを得た喜ばしさ。借覧を許されて旅宿に帰り、その夜一夜、秀歌を抜抄した。
七月 西園寺公が来訪され、その嘱によって、宮中にささげられる「三条実万公伝」を刪潤した。
九月 井上円了博士が来訪されて、哲学館講師第一号の称号を贈るとのこと、自分は開館当時に入学したが、中退したことゆえと辞退したに、貴下の学問に熱心なると、その足跡の顕著なるによりて贈るのであるといわれて、恐縮しつついただいた。
十月 四日に、わが南清行の送別会が、小石川酒井家の庭園で催された。島田三郎君の「国歌に対する私見」、巌谷小波君の「秋の旅」の講演。来会者二百三十余名。当日の会の記事は長寿吉君が彩筆を執られて、講演の速記とともに、心の花六巻十一号を飾っている。
この南清行は、夙く唐宋の詩文に親しんだ自分にとっては年来の懸案であったが、その機に恵まれなかった。しかるに、上海の白岩子雲君は日支の交流に生涯をささげられたというてよい人であるが、艶子夫人は夫君と共に上京されるや、しばしば竹柏園を訪問されていた。この夏来訪の折に、長崎に於いて建造中の湘江丸が十二月には湖南長沙への初航海を上海でするから来遊せられてはと懇切にすすめられた。それならばと思いたって、直ちに歌集を出版すべくかかった。それは、彼の地の文人に贈るためである。自分は、この数年、歌集を公けにしたいと思いつつも、能う限りのよき集をとためらうて年月を過していたが、ここに集の名を「思草」と名づけることになった。漢文の序を学海先生に請うたに、自分の小伝を執筆せられた。野口寧斎君は数年前から作歌を示しておられたので、題詩を依嘱した。鴎外博士には国文の序を、装幀は森博士の紹介で、長原止水君をわずらわした。巻末に、「一まきの書たづさへて筆のせて一人わが行く唐土の秋」の一首と、「余欲遊清国因輯平素所賦先為一集事出倉卒駁雑頗甚他日将続出二集三集乞教大方」の文を記しそえたが、集は、送別会の日までに成った。
神戸から信濃丸に乗って、上海に着いたのは十月十八日であった。(白岩夫人の「黄浦江畔の五日」という文詞が心の花七巻一号に載っている。)湘江丸は船底が浅くて、まだ上海に来ない。それで、子雲君及び大阪商船会社の堀支店長、予の為の通訳にと井上良平君、他に若い支那ボーイとの五人、大阪商船の汽船で漢口にいった。漢口から民船を雇って長沙・湘潭に上った。帰途は新堤で白岩君らに別れ、井上君と汽船で宜昌へ、小蒸気船で三峡の下峡の黄陵廟まで行き、下水して鎮江に下船、揚州に遊び、上海に帰り、蘇州杭州にいたり、長崎に着いたのは一月の末日であった。
この旅中の作を「遊清吟藻」と名づけて一巻とした。以下その中から抄出する。
上海の碼頭についた時、
   第一歩を古唐(もろこし)の土に印すとふ心みだりて群れ寄る苦力(クーリー)
迎えられて、白岩君の兆豊路の邸にいった。次の日の夕べ、来訪された東亜同文書院の根津院長と会飲した。
   院長が諄々として語りつぐ東方経営策に耳傾け聴く
上海所見、
   月白き四馬路(スマロ)の通(とほり)あとなるも周鳳林のうはさして来(く)る
愚園・徐家[わい]《注:さんずいへんにはこがまえ、中にふるとり》、
   曲廊(きよくらう)のしき石ふめば鳳尾竹さやさや鳴りて風たちにけり
   徐家(ジヨカ)[わい]は流にそへるたかき木に鵲むれゐ枝うつり鳴く
同文書院にて、
   東亜のためよき人ここだここに生(あ)れつ東亜のため更によき人生れよ
上海領事館に河原操子ぬしを訪うた。
   をみなにして遠く蒙古に入るといふひとの言葉のしづかに力あり
長江をのぼる。
   一管の筆たづさへて秋風の大江さかのぼるやまと歌人
   朝月夜楊(やなぎ)ちる岸を見つつあれば彭澤県(ほうたくけん)は過ぎぬといふなり
九江におりて廬山を遠望した。
   柑橘売る店に見いでつ土偶(つちやき)の琵琶もたる女江州の司馬
船中、ポーランドの志士シェロシェフスキ君と船長の通訳で話した。
   小孤山の画葉書とりて君は書くミッキェウィッチの愛国の詩(うた)
   愛国の情熱たぎる君の言葉忘られがたきこの半夜なり
漢口で、
   千船つどふ江上の日のかがよひに照りかへし映(は)ゆ赤き青きいらか
   日くれてなほ野末くれなゐに夕ばえすわが足もとにこほろぎは鳴き
   街にゆく夜の道狭し影戯(かげゑ)みる老人(おいびと)が手のやき栗のにほひ
民船をやとうて湖南に赴く。
   声高(こわだか)に呪文となへて老板(ラオバン)は大江の神に酒たてまつる(船主を老板といふ)
岳陽楼、
   をさなくて浩々蕩々と書(ふみ)に読みし洞庭の湖(うみ)を正目(まさめ)に今見つ
洞庭湖々上作、
   月のぼれり千里洞庭の一隅(いちぐう)を過(よぎ)らむとする船の進み迅(と)し
   皓々たる月の湖上を船は進むこよひ神無月十まり五日
   風まともに真帆にあたりておもしろう矢の如はしる月夜のわが舟
   月清し孤帆(こはん)万里の風うけてゆくてにさやる何ものもなく
   わが世によき幸(さち)得たり洞庭の湖(うみ)の月夜をよき風にわたる
   月読(つくよみ)に第一の杯(はい)を湖(うみ)の神に第二の杯をささげまつらく
   釣舟は間近く浮べり舷(ふなばた)うち「八十滄浪」とうたふ翁ありや
   真白帆によき風みてて月の夜を夜すがら越ゆる洞庭の湖(うみ)
   夜空たかく天つ白雲たなびけりわれら月下の仙たらむかも
<岳陽楼にて 左から白岩君、著者、堀君>
汨河口(べきがこう)で、
   汨羅の水ながれの末を手にむすびたむけまつらく屈原先生に
湘江をのぼる。
   江の水の冬を浅みと竹縄もてわが船ひかせ江をさかのぼる
   帆を上ぐる、おろす、上ぐると幾度(たび)し日まだたかきに船がかりせり
   弁髪に白きが多き老板(ラオバン)のうしろ手さむう水にうつれり
   ともし火の光乏しき船(ふな)どまり岸辺に人のいひ争ふ声
蘆林潭におりて、
   軒せまり石路ぬめれりつるしたる鯉魚(りぎよ)に鱖魚(けつぎよ)に薄ら日はさし
船中作、
   ふくろふか何ぞは今し鳴きつるは浅き眠の又もさめたる
   燭の火はまたたきやまず友が語る牡丹姐(ムウタンチユー)のあはれなる恋
   岸の家に博(はく)うつらしき声ひびき夕ぐもり江の水の色さむし
   たそがれの江はとろとろに油なす夕日の岸の網ほせる舟
   黄ばみ寒き茅(ち)原が上の丘の街おくれし雁か音たててよぎる
   ななめに江は折れ曲り先だちし幾つもの帆が重なり行くも
   かたりことり小車(シヤオチヨー)はゆく香果(かぐのみ)を手にして乗れる緑衣(りよくえ)の女
   鴉片(あへん)いまだよくは覚めざる船僕(ボーイ)来て晩食(ゆふけ)といふなり今日も暮るるか
長沙についた。
   澄める水にちらばる雲の白きかげ帆をおろしたるわが船の影
   湘江は久にして見る碧き水目にすがしもよ府城のいらか
湘潭行の船中で、
   さかのぼる江の水さむみ岩山の枯木木群(こむら)に声するましら
   長き鞭に江の水うちて幾百のあひる追ひ下る髯白き老翁(をぢ)
湘潭で船を下りた。
   湖南の旅のはてなる湘潭の小雨の街を黙しつつあゆむ
詩人文廷式氏に会いたいと思うたに、萍郷に往って不在である。
   遠々し江を遡りこの国の詩人(うたびと)、君に遇はまく来(こ)しを
   まぢかしとふ桃源の水に筆そめ書く君が文の華のにほひはもあやに
巡撫に会見する日が迫ったので砲艇で下った。
   水路すでに数里は過ぎぬ砲艇(ガンボート)の大尉が語る虎に遇ひし話
長沙に帰った夜、開福寺の水野梅暁師が来訪された。
   東亜は支那の前途(ゆくて)はと燭の火をまもりつつ語るわが日本僧
   眉をあげて国を憂ふるものがたり夜風はげしう船窓をうつ
巡撫趙爾巽氏を訪うた。
   衙門入れば水烟管(すゐえん)を手に語り居し兵ら立ちあがりささげ銃する
   三鞭(シヤンペン)の盞(さかづき)あぐる卓のもと一株(もと)の蘭かをりめでたし
   晁卿の昔を今をかたらへば筆とりて示す「風狂浪急呼同舟」
郷紳葉徳輝氏の邸で、
   苑(その)旧(ふ)りて臘梅の枝花まばらに書斎の書(ふみ)のうづだかく浄し
   あるじは起居(たちゐ)ゐややかなり香木の函ゆとうで示す唐人の筆
   芭蕉葉の風やはらかう窓に入る古き香に心ひたりてあれば
   杜甫の集ひらき示して声低うかつ吟じかつ語らふ主人(あるじ)
次の日、趙巡撫より、詩二篇と湖南通志百六十冊を贈られた。その詩を記念に掲げる。
  佐佐木君恵贈歌集敬歩巻首題詞原韻即請大吟壇指正
                           襄平 趙爾巽初稿
 莽莽神洲万千里。古代文明観止矣。運会循環如逝水。鉄血交争謌変徴。
 二十世紀新歴史。挽回頼有屠龍技。同文同種同宗旨。興亜進歩従此始。」
 書剣遨遊四百州。豪気直圧元龍棲。春非我春秋非秋。風狂浪急呼同舟。
 国耻不雪誓不休。輔車唇歯吾侶儔。三韓茄鼓声清遒。知君豈作逍遥遊。
葉氏からも詩二篇を贈られたが、ここには省く。
岳麓書院に赴いた。
   岳麓は牛放ちたる草原の道坡坨として書院ちかからず
   江南の子弟八千今いづら滔々として江の水流る
帰途につき、新堤で白岩君、堀君に別れ、通訳の井上君と上水の汽船を待った。
   弁子(ベンツー)も未だみじかき幼子と手まねし語る船待ついく時(とき)
   額(ひたひ)にぽつりと紅(べに)をつけたる児何やらむ吾にいひつつ笑める
   水つける道を照らすと篝火(かがりび)もち大江の岸に送り来し児よ
   青き衣(きぬ)丹(に)の頬(ほ)のおもわ岸に立ち船を見る児をまたいつか見む
船中作。
   星しろき夜(よる)の大江(おほえ)をのぼる汽船(ふね)測深(サウンジング)の声すみとほる
沙市郊外、
   枯木立鳥の巣たかし昼の日にただよひ光る太平運河
荊州城の帰途、
   城門を出でて二三里猶見ゆる鼓楼に淡し冬の日ざしの
   帰り急ぐか轎子(こし)のゆるるにうろ覚えの「漫々的(マンマンデー)」といへば笑ひつつ遅くす
宜昌、
   くろずめる塔(パゴダ)のもとに羊鳴き吾が船はのぼる寒き流を
   こがらしに旗手なびかし銅鑼うちて大路わたるは大官ならし
三遊洞に遊んだ。
   わが前に槻(つき)の葉ちりく白居易が遊びけむ日もかくや散りこし
   老法師くどくどといふかたちよき鍾乳石を掌(たなそこ)にのせ
小蒸気船で峡口を遡った。
   巌頭の樹に杲杲(かうかう)と日は照れど下峡の急湍(はやせ)瀬の音(と)つめたし
   心さむし江(かう)をさしはさむ巌山のいよよせばまりいよよ高しも
   山ささへて尽きんず流(ながれ)船すすめば山片去りて流またひろし
   岩かどのあやふきに立ち手綱(たま)持ちて魚すくふ老翁(をぢ)よむしろ幸あり
黄陵廟に詣でて、
   諸葛武侯この岩が根路ふみけむか古りにける廟を仰ぎ見つつ思ふ
   廟のうちもののおと無し紅(くれなゐ)の燭のなみだもつめたき夕べ
   山にとよむ鵲のこゑ瀬のひびき黄陵廟のたそがれに立つ
   たくみに履もて羽子(はね)を蹴り遊ぶ幼児みつつ家の子らおもふ
黄陵廟を三峡のぼりの終止符として、平善壩に下った。
   きりぎしに茶館ならべり江(え)を下(お)りきり心やすらに博(はく)うつ船子
南京、
   鼓楼たかし道をさしはさむ楊柳の落葉細葉に照りしむ夕日
南京師範学堂に菊池謙次郎君を訪うて、落合直文君の訃を聞いた。わが国の新聞を見ざること三十余日であった。南清行の数日前、神田山竜堂病院に君を見舞うた時、帰って来たら旅がたりが聞きたいと元気にいうておられたに。多年親しく交わった先輩の遠逝を聞いて、かつ驚きかつ嘆いた。
   冬の日ざし冷たき古都のたそがれに君世になしときくべきものか
孝陵・孔子廟に詣でて、
   天(てん)くらく枯野草原茫漠たり石人石馬何をか語らふ
   黄なる馬に風帽赤し雪ちらふ枯草原を行く人二人三人(ふたりみたり)
   孔子廟しぐれめきたるうすれ日は陰影つくる石だたみ道に
   建業の冬の城壁くろずめる寒きかげゆくわが驢馬の鈴
   英雄(ますらを)の事業(わざ)はた何ぞくづれたる城門の壁にこほろぎ鳴くも
   莫愁湖日の色さむし水楼の朽ちたる欄にちかき敗荷(やれはす)
酒楼「江南一枝春」招宴、
   星白き秦淮の水胡弓もちて画舫にわたるをみな艶なる
   秦淮の夜の画舫の笛の音は旅人われになみだせしむる
   くろ髪に臘梅にほふはしき子は灯火さむき夜の水みる
   老酒(ラオチユー)は菊花酒は友に酔をすすめ友はうたひ出づ王荊公の詩を
   老酒の酔心地よしさ夜風にわが乗る驢馬の鈴が音もよし
雨花台にのぼった。
   草木おひず小石つめたき丘の上に古き都の冬の雲見る
   六朝の鉛華(えんくわ)絶えて久し冬の日の微光のもとにちらばれる石
   見おろせば金陵百里風さむし誰またここに都建つべき
   長江の水とほしろしいづこより雲は起らむ風おこらむか
   戈とりて起(た)たむは誰ぞ江上の雲紫に王気たなびく
   南(みんなみ)の広野五千里ここにして新天地(にひあめつち)をつくらむは誰(た)ぞ
北極閣にのぼった。
   一階は一階景観(ながめ)ひろらなり眉白き道士案内(あない)しのぼる
鎮江より小蒸気船で揚州にいたった。
   石くえて古りにたる塔江に近く寒らに立てり揚州かも此処は
   揚州に船はつきしなり衣(きぬ)あかき少女ら立てり古き塔のもとに
   逝く水の逝きし止(や)まなくそのかみの二十四橋の趾はいづらは
夜ふけて鎮江に著いて、ハルクにやどる。除夜である。
   老いたる躉船(ハルク)々長(マスター)手とりいふおもしろき除夜ぞ飲み明すべし
   若き日の密猟船のものがたり語りつきなくに年明けむとす

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