もろこしの 人に見せばや み吉野(よしの)の 吉野の山の 山ざくら花(ばな)
(賀茂翁歌集(かもおうかしゆう))
賀茂真淵(かもまぶち)

 賀茂真淵は、遠江(とおとうみ){静岡県}に生まれた人ですが、京都に出て国学を学び、のち江戸に出て、国学をひろめた、すぐれた学者であります。
 【どうか外国の人に見せてやりたいものである。この吉野山のうつくしい山ざくらの花を。】
 日本には日本のいいところがある。この日本のいいところを外国にも示したいという気持のこもった歌であります。
 「もろこし」は今の中国をいうのですが、もろもろのところを越えていくという意味で、外国という意にも用いられています。
 真淵はすぐれた本を多くあらわしました。中でも「万葉考(まんようこう)」は万葉集についてのすぐれた本、「冠辞考(かんじこう)」は枕詞(まくらことば)の注としてすぐれています。「久方の」とか「足引の」という句は、「天」とか「山」とかの上にかぶせて、句をりっぱにかざります。それは、むかしの人がりっぱな着物を着て、頭に冠(かんむり)をかぶったのに比べられますから、冠辞(かんむりことば)の意味で枕詞のことを冠辞(かんじ)ともいったのであります。
 写真の像は、門人の加藤千蔭(ちかげ)がかいたものによって、同じく門人の内山真竜(またつ)の描いたものです。


   学(まな)ばでも あるべくあらば 生(あ)れながら 聖(ひじり)にてませど それ猶(なお)し学ぶ
(天降言(あもりごと))
田安宗武(たやすむねたけ){一七七一年没}

 田安宗武は、徳川八代将軍吉宗(よしむね)の子でありますが、田安家をついだので、姓を田安といいました。後に出る松平(まつだいら)定信(さだのぶ)は宗武の子であります。早くから漢学や国学に心をよせ、賀茂真淵を招いて、国学をも歌をも、いっそうきわめたのであります。歌集を「天降言」と名づけました。歌というものは、自分がよむのではあるけれども、天から降(くだ)ったことばであるという意味であります。この歌集の名からしても、宗武の歌に対する気持がわかると思います。
 【もし学ばないでもよいというのならば、それこそ生まれながら聖人であるが、実際生まれながらの聖人といわれた孔子(こうし)や孟子(もうし)などでも、やはり勉強したのである。】
 この歌は、やや理くつっぽい歌でありますが、ためになる教訓をふくんでおります。
 「生(あ)れ」というのは、生(う)まれるの古いことばです。「あ(●)るべくあ(●)らば生(あ)れながら」と、「あ」の音を重ねたり、第四句を「ひじりにてませど」と八音にし、第五句も「それなほしまなぶ」と八音にして、力づよい、どっしりした感じを出しています。


   世(よ)の中の うき人の子を はぐくまむ 翼(つばさ)かしてよ 天(あめ)の鶴(たず)むら
(静舎(しずや)の歌集)
加藤美樹(かとううまき){一七七七年没}

 加藤美樹は、真淵の弟子で、大阪におりました。姓を河津(かわづ)ともいい、名を宇万伎(うまき)ともかきました。
 【この世の中のつらい人の子どもをはぐくみそだててやりたい。どうかつばさをかしてくれ、天をとぶ鶴(つる)のむれよ。】
という意です。
 この歌をお読みになると、みなさんは、前にあった、遣唐使使人の母の作、「旅人の 宿りせむ野に 霜降らば わが子羽ぐくめ 天の鶴群」の歌を思い出されるでしょう。
 あの歌は、自分の子どもを羽でつつんでくれという、おかあさんの切(せつ)ない気持の歌でしたが、この美樹の歌は、世の中の不幸な人の子をはぐくんでやりたいという、広い大きな歌であります。


   天(あめ)の原(はら) 吹きすさみたる 秋風に 走る雲あれば たゆたふ雲あり
(楫取魚彦家集)
楫取魚彦(かとりなびこ){一七八二年没}

 揖取魚彦は、下総(しもうさ)の国{千葉県}の佐原(さわら)の旧家伊能(いのう)家の主人でありますが、地名の揖取郡(かとりごおり){今は香取郡と書く}にちなんで、歌には「揖取」という姓を用いております。
 この人は、絵もじょうずで、庭の池に鯉を飼い、よく写生したものですから、魚彦という名をつけたといわれています。そうして蔵書印(ぞうしよいん){もつている本におす印}にも、魚のかたちをかきました。
 江戸の日本橋浜町(はまちよう)に、江戸での家がありました。真淵も同じ浜町にいたものですから、よく訪ねていって教えを請いました。真淵の大勢の門人の中でも、魚彦の歌は、しらべの高い歌でありました。
 【天の広いところを思うようにはげしく吹く秋風のために、向こうの方へ走っていく雲もあれば、また、そのまま、そこにじっと動かずにいる雲もある。】
という意です。「すさみ」は、はなはだしくなることで、ここでは、風が思いのままに吹き進むことをいっています。
 秋風の強いようすと、雲の動きをよんだ、力づよい歌であります。


   しきしまの やまと心を 人とはば 朝日ににほふ 山ざくら花
(鈴屋(すずのや)集)
本居宣長(もとおりのりなが){一八〇一年没}

 真淵には弟子がたくさんありましたが、中でもすぐれていたのは、伊勢(いせ){三重県}松阪(まつざか){当時は松坂と書いた}の人、本居宣長であります。
 真淵が大和路(やまとじ)から伊勢路(いせじ)を旅して松阪に一晩とまったとき、宣長は真淵の宿屋にゆき、国学のおくふかい話を聞くことを得、それからいっそうふるいたって、古事記(こじき)の研究を進めたのでした。それを私が「松坂(まつざか)の一夜(ひとよ)」という文にかいたのが、以前の小学読本にはのっていました。
 宣長のあらわした本はたくさんありますが、その中でも、古事記のことをくわしくかいた「古事記伝(こじきでん)」、万葉集の注釈「玉(たま)の小琴(おごと)」、源氏物語の注釈「玉(たま)の小櫛(おぐし)」は、最もすぐれた本であります。
 宣長は、六十一歳のときに、自分の像を名古屋の絵かきに描かせ、六十一の数だけ作つて、この歌を書きそえて人々にわけたということです。
 【日本人の気性(きしよう)というものは、どんなものかと人がたずねたならば、それは、朝日に美しく照りかがやく山ざくらのようなものであるというふうに答えたい。】
という意です。
 「しきしまの」は、「やまと」(日本)にかかる枕詞(まくらことば)、「にほふ」はかがやくの意。
 日本人ならばだれでも持っているはずの気性のよさ、美しさを象徴的にたたえた歌であります。

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