そのむかし 少年にして 師の大人(うし)の うしろより見し 秋萩(あきはぎ)の花
(相聞(あいぎこえ))
与謝野寛(よさのひろし){一九三五年没}

 与謝野寛君は、はじめ鉄幹(てつかん)といいました。京都の生まれで、歌人であり勤王僧(きんのうそう)であった礼厳(らいごん)の子。おとうさんから歌を学びましたが、後、上京して落合さんの弟子となり、和歌革新運動の先(さき)がけとして大いに活動し、雑誌「明星(みようじよう)」を発行しました。
 この歌は、萩(はぎ)の花に対して、若いころのことを追懐(ついかい)したのであります。
 【そのむかし、まだ年が若くて、先生におともしてうしろから見た、なつかしい萩であるよ。】
という意であります。「大人」は目うえの人を敬(うやま)ったことばです。落合さんは萩の花が好きで、雅号(がごう)を萩之家(はぎのや)といわれました。先生を思う真心(まごころ)のこもった歌であります。


   金色(こんじき)の ちひさき鳥の かたちして 銀杏(いちよう)ちるなり 夕日の岡(おか)に
(恋衣(こいごろも))
与謝野晶子(よさのあきこ){一九四二年没}

 与謝野晶子さんは、大阪の堺(さかい)の人、寛君の門下で、のちに寛君の奥さんになりました。近代の女流歌人の第一人者で、強い心のうごきをうたった歌がたくさんあります。
 この歌は、
 【金色の小さい鳥の形をして、いちょうの葉が、夕日のさす岡に舞い散っている。】
というので、比喩のたくみな、うつくしい叙景(じよけい)の作です。


   霧(きり)ふかき 南ドイツの 朝の窓(まど)に おぼろにうつれ ふるさとの山
(古今名歌(ここんめいか)集)
久保猪之吉(くぼいのきち){一九三九年没}

 久保猪之吉博士は九州大学の耳鼻科の主任教授でしたが、高等学校の時代に、落合さんの教えをうけて、「いかづち会」という歌会をおこし、作歌や歌評を新聞に発表されたのでした。
 この歌は、ドイツに留学中の作です。
 【霧の深い南ドイツの朝のガラス窓は、すべてがぼうっとしているが、そのように、ぼんやりでもよい、故郷(ふるさと)の日本の山がうつったらばとおもう。】
という、故郷を思う心の深い作であります。


   昼ながら かすかに光る 蛍(ほたる)一つ 孟宗(もうそう)のやぶ を出(い)でて消えたり
(雀(すずめ)の卵(たまご))
北原白秋(きたはらはくしゆう){一九四二年没}

 北原白秋君は、与謝野さんの門下で、歌人としても詩人としてもすぐれていた人でありました。この歌は、
 【昼ではあるが、ほたるの光が一つ、かすかにあわく、もうそう竹のやぶの中に見える。その光が、やぶから出てきたと思うと、どこかへ消えてしまった。】
という、いかにもしずかな感じのする歌であります。
 「もうそう」は竹の一種で、ふしとふしの間がせまく、幹の太いものであります。


   ふるさとの 山に向(むか)ひて 言ふことなし ふるさとの山は ありがたきかな
(一握(いちあく)の砂(すな))
石川啄木(いしかわたくぼく){一九一二年没}

 石川啄木君は、恵まれない生活とたたかいながら、歌というものを日常生活の中にひきいれることに成功した歌人であります。
 この歌は、こいしく、なつかしく思っていた故郷(こきよう)に帰った時の気持をよんだ歌で、
 【ふるさとの山に向かって、何も言うことがない。ふるさとの山は、ほんとうにありがたいことよ。】
というので、しみじみとしたあじわいがこもっています。

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