船と船 出入(でいり)いとなき くれ方(がた)や 自由の像に たいまつ光る
(小盞(しようさん)集)
牧野英一(まきのえいいち){一九一三年作}

 牧野英一博士は、現代における刑法学の第一人者でありますが、歌も好んでよくよまれます。
 この歌は、大正二年の夏、アメリカへ行かれたとき、ニューヨークの自由の女神の像を見てよまれたのです。
 【船の出入のいそがしい夕方であるが、港の入り口の自由の女神が手に持っているたいまつが光っている。】
という意で、「いとなき」は、せわしい、いそがしいということです。一首がひきしまって、光を放っている歌です。


   たそがれの 狭き運河を 幾曲(いくまが)り 楽(がく)の音(ね)もるる 窓(まど)も過(す)ぎつつ
(しばしの幸(さち))
湯川秀樹(ゆかわひでき){一九五三年作}

 湯川秀樹博士は、みなさんも知っているように、日本人で始めてノーベル賞をもらったすぐれた物理学者で、文章も歌もすぐれておられます。この歌は、博士の随筆の中にのっております。
 イタリアのヴェニスで、大運河から、折れ曲った狭い水路をゴンドラという舟でゆく夕方の情景です。
 【夕がたのせまい運河を幾まがりかして行く。音楽の音がしずかにもれてくる窓の下をも過ぎたりして。】
 みなさんも、ヴェニスの運河は映画でみたことがありましょう。両側の古いかたちの家と家との間を流れている水路、古くてかたちのおもしろいゴンドラ、水路に面した家の窓から聞こえてくる音楽のしらべ、一首は、絵であり、音楽のしらべも聞え、そして淡(あわ)い郷愁(きようしゆう)がこもってもいます。


   み恵(めぐみ)に 報(むく)いまつらまく われもまた ささげもてゆかむ 清き灯火(ともしび)
(清きともしび)
杉山りつ子{一九五一年作}

 杉山りつ子さんは、赤十字社の看護婦として、四十余年間つとめ、現に日赤中央病院の副監督ですが、昭和二十六年五月、ナイチンゲール記章を授(さず)けられました。
 歌の意は、
 【このたび、とうとい記章をいただいたのであるから、そのみ恵におむくいすべく、自分もまた、ナイチンゲール嬢(じよう)が清い灯火(ともしび)を手にささげておられるように、ささげ持って博愛(はくあい)の道につくしましょう。】
 フロレンス・ナイチンゲール記章は、一九一二年の赤十字国際会議で設けられたもの。ナイチンゲール嬢の博愛精神を記念するため、赤十字事業に特に功労のある看護婦に与えられるもので、嬢の生誕百年の一九二〇年から一九五一年までに、受章者は世界を通じて三百八十五名、日本では二十五名です。記章は、表面に、燭台(しよくだい)に火をともした嬢の肖像が浮彫(うきぼり)になっています。裏面にラテン語で書かれているのは、「博愛の徳を顕揚(けんよう)し、これを永遠に世界に伝える」の意であるということです。
 杉山さんは、この栄誉の記念に歌集「清きともしび」を出版されたのでした。その中には、シベリアや中国や、病院船勤務などの数々の歌がのっています。


   草も木も 嵐(あらし)の中に いきてあるを など人の世の 嵐おそれむ
(若きウタリに)
バチェラー八重子

 イギリス人のすぐれた学者で、北海道のアイヌのことを研究されたバチェラー博士は、札幌に住んで、生(しよう)がいをアイヌ語の研究にささげたりっぱなかたです。八重子さんは有珠(うず)アイヌの女と生まれ、博士の養女となり、その教化のもとによい教育をうけ、英国にも一しょにわたり、熱心なキリスト教徒として、アイヌ族への伝道を務(つとめ)としておられます。そうして折々によんだ歌をあつめて、金田一京助(きんだいちきようすけ)博士の紹介で私のもとによこされました。それには初めに「若きウタリに」とかいてありました。ウタリというのはアイヌ語で「同族」ということ。同族のためをおもった、あつい情熱のこもった歌なのです。
 この歌は、
 【草でも木でも、あのはげしいあらしの中にも、たえしのんで生きているのであるから、どうして自分たちは、人の世のあらしをおそれようぞ。】
という、いかにも気力にみちた、強い歌であります。この「若きウタリに」は、昭和六年に「心の花叢書(そうしよ)」の一冊の本として竹柏会(ちくはくかい)から出版しました。その中からもう一首、アイヌ語の多くはいっている歌をかかげておきます。
   ウタシバノ 仲良く暮(くら)さん モヨヤッカ ネイタ バクノ アウタリオピッタ
 これは、金田一博士の注釈によりますと、
 【今は残り少なになりはしたが、お互(たがい)に仲よく暮らして行こうではないか。わが同族のみなみなよ。】
という意であり、ウタシバノは、お互に。モヨは、少し。ヤッカは、であるが。ネイタバクノは、どこまでも。アウタリは、わが同族。オピッタは、みなみなの意です。


   母のつかふ 団扇(ぷちえ)の風に わが着(き)たる くれなゐの衣(きぬ)の 紐(こるむ)なびくも
(戸妍(とけん)歌集)
孫戸妍(そんとけん)

 この歌は、朝鮮の女の人の歌であります。おとうさんは、「孫」という姓で、夫婦で日本へ来て、早稲田大学に在学中、江戸川の近くに住んでいた時、むすめさんが生まれたので、江戸川の「戸」を入れて、戸妍という名をつけたのです。親しい人は「トケンさん」と呼んでいました。
 この戸妍さんは、李王妃(りおりひ)殿下のおたてになった寮(りよう)にはいり、帝国女子専門学校に四年間学んだのでした。竹柏会(ちくはくかい)同人で朝鮮で農場を経営していた桝富(ますとみ)照子さんについて歌を学び、私の家へもよく来ました。
 卒業してあちらへ帰られる記念に、「戸妍歌集」という歌集を編まれ、朝鮮で出版されました。朝鮮にも、歌をよむ人はたまたまありますが、歌の集が一冊にまとまったのは、戸妍さんが最初ではないかと思います。
 この歌は、朝鮮でよんだ歌で、
 【母のつかう団扇(うちわ){朝鮮語ではプチエという}に、自分の着ているまっかな着物のひも{朝鮮語ではコルムという}がゆれなびくことよ。】
という意味、いかにも平和な、そうしてあたたかみを感ずる歌であります。

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