十九 水平線上敵艦見ゆ
魔の海峡を突破した賜物
さてレイテ湾突入の主力栗田艦隊は、他の協力艦隊から何の通報も受けず、独りシブヤン海を東進し、二十四日午後六時、連合艦隊司令部に宛てて「本隊は爾後如何なる損害をも顧みず二十五日午前十一時を期してレイテ湾に突入する決意なり」と打電し、夜十一時半、問題のサン・ベル海峡にさしかかつた。
鞭声粛々夜河を過るの詩句は、夜戦を戦つた者のみが知る軍勢の心理である。軍艦の上だから、普通に否な大声で話をしても敵に聞える筈はないのに、艦上闃として声なく、足を忍び、声を殺して寥漠の殺気に満ちていた。敵地へ忍び寄る心理が自然に作用するのだ。人間は遂に人間を脱出することは出来ない。さて二十二隻から成る大艦隊は単縦陣を以て、真ッ暗闇の海峡に進入した。両岸には一灯なく、艦隊また素より灯を消した暗黒の世界だ。潮流は八浬の速さである。水道の狭い処は二マイルに満たない。そうして両岸には浅瀬もあろう。されど夜戦に鍛えた艦隊は、その眼光と勘とを極度に動員して、零時三十五分(二十五日)、遂に見事に海峡を突破したのである。専ら陸上で勤務する提督なぞには絶対に出来ない芸当だ。アメリカの調査団の将校が「夜半によく無事にあの海峡を乗り切つたものだ」と感嘆したのは経験を持つ海将の真の言葉であつた。
さて魔の海峡は乗り切つた。一安心――なぞは、愚かなる想像である。その刹那に、栗田長官は一大決戦、それも死生の大苦戦を覚悟していたのだ。本章の第十一に述べたように、敵はこの時期にこそ、この海面に於てこそ、栗田艦隊を撃滅する天与の好機会に恵まれていたのだ。海峡出口の両岸に潜水艦を配し、沖合に第七艦隊及び第三艦隊の主砲を照準待機せしめ、その沖合にハルゼ一機動部隊を配する三段構えの迎撃戦を行つたら、栗田艦隊は果して全滅を免かれたであろうか。ここで図上演習をやるのは道草に過ぎるが、日本艦隊の被害が甚大であつたろうことだけは素人にも明瞭である。敵の本格空襲は払暁以後であるとしても、一列になつて海峡から現われ、それを戦闘陣形に再編する最中を両面から撃たれたら、T字戦法以上の好條件を敵に献ずるものだ。勿論、夜戦は日本が遥かに優るから米軍の打撃も大きいには違いないが、いずれにしても、その後栗田艦隊がレイテ湾に行くなぞは思いも寄らないことであつたろう。
現にこの最大の勝機放擲を中心として、ハルゼー、キンケイド両提督の論争未だに収まらず、更に今度は有名な軍事評論家ハンソン・ボールドウィン君が一書を提げて介入し、それに点火されて多くの提督連が論壇に現われようとしているのも、敢て怪しむに足らない。とにかく、栗田長官はそこに敵が居ないので却つて驚いたと述懐しているのだ。
驚いた証拠がそこにある。艦隊は半信半疑、暴風雨前の静寂を感じたので、用心のために南転せず、そのまま真直ぐに東に航すること約二十浬、そこで初めて南転し(レイテ湾の方向)、艦隊を夜間索敵陣形に組んで目的地に航進した。左から矢矧隊、熊野隊、羽黒隊、能代隊の順に五キロの間隔をおいて約二十五キロの正面を張り、その五キロ後方に大和隊、金剛隊を併列した陣形である。未だ先が長い、経済速力十八ノット。右にサマール島を十浬の距離において南下した。敵は何時来るのか? よもや栗田隊の南進を御存知ない筈はない。あれほどの索敵力と探信機能を誇るアメリカが、レイテ湾殴り込みの強敵が、そこを目指して既に百浬に迫つているのを知らないとは想像が出来ない。しかし何事もない無気味さに一睡もしないで航進するほどに、二十五日の夜は明けようとしている。それは即ちシブヤン海よりも激しい空襲の日を迎えることを意味した。
日の出は六時二十七分である。雲低く垂れて視界不良、所々にスコールがある。が、雲間に青空の見える瞬間もある。風速四メートル、白波が一面にある。速く対空航行序列を布かなければならない。その命令は既に午前五時に発せられ、各艦は「大和」を中心として速度を増減、位置を転換しつつ航行する時、六時四十五分、突如、南東の水平線上に四本のマストを発見した。
粒々辛苦ついに親の仇敵に巡り合つた物語なぞとは全然比較にならない。二十五日午前六時四十五分、水平線上の敵艦から飛行機の飛び立つのを見た時の将兵の興奮。これ正しく敵の空母艦隊である。これぞ、ギルバート海戦以来、日本の海外領土を次々と攻略して無敵の跳梁を逞しくしている敵の機動艦隊である。これぞ、百日のリンガ泊地猛訓練に「決戦目標」と呼び続けて来たハルゼー麾下の空母部隊である。その首級頂戴仕らん、と二万の将兵が武者慄いした光景は眼前に見る如くである。
「われは天佑的戦機を捉え、現陣形にて直ちに突進、先ず敵空母の飛行機発着機能を封殺し、次いで機動部隊を殲滅せんとす」
という栗田長官の報告は、当時の心境を正確に伝えている。まことに「天佑的戦機」である。このサマール島沖の洋上で敵機動部隊と会戦の機会に恵まれようとは天佑以外の何物でもない。これこそが栗田艦隊の「本当の敵」であり、しかもその艦隊は敵空母集団の最南端にある一部隊と判断され、各個撃破の好餌と考えられたのである。
次に「現陣形にて直ちに突進」とあるのは形容句ではない。六時四十分には艦隊は未だ整形中で正しい序列には戻つていなかつた。それを更に戦闘陣形に再編していたら千載一遇の機会を忽ち遁がしてしまう。そこで艦隊の進撃方向百十度を示し、そのまま全速突進を命じたのである。かくて各部隊は広い正面に乱れて敵を急追する形となつた。
敵空母の飛行機発着機能を封殺するとは何か。得意の三式焼夷砲弾を射込んで甲板の火災を狙うのか、普通に巨弾を以て彼れの自由を奪うのか、その辺は不明だが、「飛行機対軍艦の戦闘」では吾れに勝ち味のないことは夙に実験済である。何はさておき、空母に対して集中砲撃を先制的に実施しなければ危ない。反対に、空母は砲撃に対して全然弱い。砲に対する防禦力は零といつて差支えない。だから先制一番、それに弾丸を雨下すればいい。栗田が一秒を争つて弾着圏に突進したのはその理由である。
奇しくも、また悲しくも、この砲戦が、日本海軍の実施した最後最終のものとなつたのだ。恰かも、前記小沢艦隊の前日の空中攻撃が我が海の荒鷲の最終の戦いとなつたのと同じだ。即ちレイテ海戦のこの日を、日本海軍の「海上戦闘の命日」と記録して間違いない。とすれば「砲戦」がいかに行われたかを、少々詳しく書いておくことも、国民の思い出に供える一項であろう。日本海軍だけが誇り持つた十八インチ砲の巨弾も、この海戦で初めて発砲され、そうしてそれが終りとなつているから(戦艦武蔵は未発砲で沈んだ)。
二十 サマール沖の一戦
十八インチ砲の唯一回の砲撃
「大和」の十八インチ砲が九門一斉に発射されたのは六時五十九分であつた。二回目の一斉射撃で檣上の観測兵から「火柱!」という報告が響き渡つた。航空母艦ガンビア・ベーが真ッ二つに割れ、火焔天を染めて轟沈したのだ。米軍の戦記にはこれを戦艦「金剛」の砲火であると書いている。いずれにせよ、「大和」が敵の一隻を一発で轟沈させたことだけは間違いない。
が、不幸にしてスコールが度々視界を遮つた上に、敵駆逐艦が展張した煙幕は、敵ながら見事に空母群を遮蔽し、「大和」と「長門」はその巨砲を活用するのに困難を感じた。栗田中将は突進を避け、約二十二キロまで近接したとき、六本の魚雷が「大和」に向つて進航して来るのを近距離に認めた。操艦の名人艦長森下少将は巧みにこれを非敵側に回避した。すると魚雷は三本ずつ分れて「大和」の両側を走ることになつた。生憎とその魚雷の速力が「大和」と殆ど同じ(二十六ノット)であつたため、「大和」は反転が出来ずに約十分間、魚雷と道伴れになつて走らざるを得なかつた。戦いが終つた後に考えると可笑しい形であるが、その時は魚雷をやり過ごして敵に向き直るのに大汗をかいたわけだ。
そのために距離は再び三十キロ以上になつた。栗田は艦上の着弾観測機を射出して偵察に使い、敵の南方退却を認めて全軍の急追を命令した(八時二十分)。自らは電探射撃を実施しながら南進中、煙幕の切れ目に巡洋艦らしき一隻を認め、副砲を以て直ちにこれを撃沈した。それは魚雷襲撃に来た敵の駆逐艦ホール号であつた。
栗田艦隊の追撃正面は蜿蜒十五浬に跨がり、各々自己の判断によつて敵への接近に突き進んでいた。かかる乱戦場には避け難い通信連絡の不備があつた。重巡「羽黒」と「利根」が勇戦先端に進出して敵を南西に圧迫し、我が水雷戦隊の攻撃路を開くまでに成功していた事も、不幸にして栗田長官は知らなかつた。略図で見るように実に惜しい所であつた。
敵は内線作戦を利用して退却していた。栗田艦隊は外円を描く形であつたから、距離を縮めるのに非常に骨が折れた。敵の駆逐艦が風上から煙幕を張つて本隊を晦まし、日本艦隊の進撃路に魚雷を放つて妨害した手並みと勇気とは立派であつた。そこへ死物狂いの空襲が来た。敵の砲撃に全力を傾けている所を、上空から襲撃されるほど惨めなものはない。重巡「筑摩」も「鳥海」も敵を追い詰めて砲撃中に爆撃されて落伍したものだ。鳥海には「藤波」を、筑摩には「野分」を、という風に損傷艦には必ず駆逐艦を特派して沈没後の乗員を収容させたが、もし空襲が激しくなつたら駆逐艦は愈々足りなくなるだろう。
八時半頃から空襲は段々頻度を増して波状的傾向を示して来た。それに連れて味方の損害は増大して来た。「そうだ、俺はレイテ湾に行かなければならないのだ」、と栗田長官は戦夢から醒めた。
我が最大の敵である機動部隊を追い回すこと正に二時間。戦闘は勿論全速力航進で行われたのだから「燃料の心配」が頭に浮んで来た。何とかして空母艦隊を全滅させたいが、こう足が速くては容易に捕まらない(註。栗田は敵の速力を三十ノットと誤謬した)。何時までも追撃していたらレイテ行が遅れてしまう。そこで機動部隊の方はまた後回しにして先ずレイテに行こう――こう決心して全艦隊に集合を命じた。九時十一分であつた。
さてこの海戦は日本艦隊にとつて必ずしも輝かしい戦果ではなかつた。むしろ敵の方が巧みに退却したと言つていいかも知れない。一つは栗田艦隊が、敵軍を「正式空母五乃至六、護衛戦艦二、巡洋艦、駆逐艦十数隻。艦隊速力三十ノット以上」と誤断した所にもある。これは索敵機を持たない盲目の艦隊が運命的に導かれる海戦の定形である(敵の実勢は護送空母六隻と駆逐艦八隻。速力十八ノット)。
それよりも、凡そ殲滅戦なるものは、敵が向つて来なければ成就しない。敵の逃げる戦さに殲滅戦は成立しないのだ。戦術に「敵の勝ち味を活かす」というのがそれであつて、敵が勝算を抱いて進んで来て初めて包囲撃滅は可能となるのだ。この日の米艦隊は一瞬早く栗田艦隊を索敵発見し、急速に退却戦を準備したものである。会敵は予期しなかつたので周章狼狽は勿論であつたが――。
敵が失つたのは空母ガンビア・ベー、駆逐艦ジョンストン、ホール、ロバーツの四隻。日本が失つたのは重巡四隻、駆逐艦三隻であるから、割合は日本の方が損をした。航空機を持たない決定的弱点から考えると、司令長官はこの一戦を決して失敗とは思わなかつたであろう。
それよりも、集合地点に艦隊が集結するのに二時間以上を必要としたことの方が重大である(鈴谷は集結中に爆沈された)。レイテ湾突入に間に合うかどうか。
二十一 史上ナゾの大事件
長官の独断、戦場目前に反転命令
いよいよ問題の戦場レイテ湾に突進する栗田艦隊の陣型は、二十五日午前十一時二十分に整形を完了し、針路を二二五度として一直線に航進を開始した。三日前ブルネー湾を出撃した時の三十二隻の軍艦は、いまは十五隻に減り、聊か秋風落莫の姿であつたが、この期に及んで最後の死闘を躇らうような空気は何処にもなく、別図通りの輪型陣は、戦意満腔の恐るべき一団となつて突き進んでいた。十一時四十分、敵のペンシルヴァニア型戦艦一隻と駆逐艦四隻とが、遠く栗田艦隊を視認して南方に転針逸走したが、小敵には目もくれず一路目的地へと進んだ。
ところがこの航進一時間の後に、実に意外なる事件が発生した。世界海戦史の上に、永久に是非の論点を刻む大事件が、突如として生起したのである。栗田長官がレイテ湾突進を中止して、一転北進を開始したのである。
知らず、本能寺の敵は何処にありや、という所である。現に十二時五分に発した栗田中将の報告には「わが方は敵の航空攻撃を意とせず、レイテ湾突入計画を遂行する決意なり」とある。然らばその三十分以内に、俄かに決意を一変し、死の戦場を尻目に北に向つて航し去つたわけは何だ? 二日間、前後七、八回の空襲に悩まされ、勢力の半分を奪われ、なお勇猛執拗に突進を続け来たり、今や漸く目的の戦場を四十浬の近傍に見ながら、遽然として踵を回えしたのは一体如何なる理由によるのか。これには余程の理由がなければならない。
それは単なる一中将の問題ではなくして、日本海軍軍人の問題として重大だからである。また、一つの作戦としては、これこそ日本の連合艦隊が敵地に於て戦つた最後最終の一戦であり、――終戦前の菊水自殺作戦は最早や作戦としての価値はなかつた――、そこに帝国海軍の名誉の問題が包含されるからである。曽て日本海海戦に於て、敵を撃滅するために敵前で二直角回転を断行した(史上有名)東郷平八郎の後継者が、今度は敵前で直角に回転して退却するとは何事ぞ、というような単純なる批判が生ずるのを思えば、尚更当時の真相を探究する必要がある。ましてそんな批判は大衆の間には起り易く、また「陸上提督」でその批判に同調するものさえあるのだから、問題は簡単ではない。
先ず公式の記録と艦隊行動とを一瞥しておこう。あと二時間半でレイテ湾口の見える地点に進出した。凡ての大砲魚雷は填装を了し、見敵即撃の体制は整い、将兵の闘魂は点火寸前の静を保つていた。ところへ、突如、「艦隊面舵一ぱい北進」の命令が一下された。全軍はハタと驚いた。何事の異変かと顧みる中に「本隊はスルアン島灯台の五度百十三浬にある敵機動部隊を求めて決戦す」という戦闘信号が旗艦「大和」の檣上に翻るのを見た。「大転回」は栗田長官一人の決断によつて一瞬にして決行された。誰も与かり知るものはない(当人の陳述)。
「大和」の写真を見ても明らかなように、日本の戦艦の前檣は、円形や楕円形の鉄の塊を櫓に積み上げた形であり、その上層に長官は陣取つて全軍を指揮している。その下の作戦室で、先任参謀と作戦参謀とが凡ての情報を蒐集整理し、参謀長を通して長官に提出する。栗田中将は寡言実行型の方だ。非常に疑わしくない限り、その情報を自分で消化して指揮の方寸を決める。この日、その瞬間、幾通の情報を前にして、栗田長官は小柳参謀長に「反転北進」の決意を告げた。参謀長は同感以上のものを答えた。前日シブヤン海で演じた「いいンだ。行くンだ」という、いとも簡単な措置(本章の第十二)と同じ調子で、艦隊の大転回が決行されたのである。
間もなく「万歳」の喊声が先導巡洋艦「能代」の艦上に起つた。恐らく他の全艦の上にも同じ歓声が湧いたことであろう。
疑う勿れ、それは死を回避した歓びではない。「死」は次の戦場にも同一のパーセンテージを以て待つている。ただ、「死」の「意義」が違うだけである。「オイ、レイテ湾は後回しだ」、「先に機動部隊を潰すんだ」、「それだ、それだ」という全軍の歓声である。


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