二十二 カラ船と心中は御免
栗田長官の情況判断を解剖する
栗田長官が未曽有の決断を敢てした根據は単一ではない。複雑な要素を絞つて最後の断に到達したものに相違ない。でなければ謹厳にして勇敢なる中将が、大本営の命令を、実施の寸前に於て蹴飛ばしてしまう筈はないからである。
第一に中将の許に集まつた情報を見よう。その日の午前に敵の機動部隊を追撃中、敵司令官が頻発した「至急援助頼む」の発電は幾回も傍受したが、十時三十分頃「後二時間を要す」という敵主力の返電を傍受している。これは敵情判断の重大なる要素だ。計画通りに来援すれば、一つの有力なる機動部隊は、正午過ぎにはサマール島南端沖合数十浬の地点に来航するであろう。
情報の第二は、敵空母艦隊の飛行機は(三時間前に戦つた)、レイテ島に新設された飛行場に集結中にて、その基地から波状攻撃を実施すべく準備中であるというのだ。栗田は考えた――これは最大の苦が手だ。もうタクロバン飛行場は米軍に占領されたと思われる(上陸後七日目だから)。この二、三十浬の基地から反覆空襲を喰つたら全滅の打撃を覚悟しなければならない。
情報の第三は、敵の第七艦隊が既に出港し、南方の某地点に向つて集結中であるというのだ。この「長門」級の二隻と「伊勢」級の四隻は手軽い相手ではない(前述の通り、栗田は十一時四十八分に敵戦艦一隻を南方に視認している)。
第四の情報は、敵の有力なる機動部隊が、スルアン灯台北五度の沖合百十三浬の地点にあるというのである(前述)。これらは二十五日正午過ぎに、栗田長官の手許に提出された「戦況情報」の全部である。これに基いて栗田は、これからの作戦行動を決定する順序である。そのまま遮二無二レイテ湾に突ッ込んでしまうのなら問題は簡単だ。
突入して成算があるか? 戦果を挙げることが出来るか? 犬死には終らないか? 日本海軍の不名誉をレイテ湾内に永久に残すようなことはないか? 損害は問題ではないが、敵の一を沈めて吾れの十を失うが如き連合艦隊の名折れを、責任深き司令長官が敢て冒して申訳が立つのか? 単に大本営の命令だからといつて、一〇〇%必敗の戦場に突入し、何の戦果も挙げないで徒らに一万二千二百名の部下を殺す権利を、栗田は果して天から与えられているのか?「待て。ここは一番熟慮せねばならぬ――」。
熟慮の結果はどうであつたか。それは前掲の諸情報に基く次の判断によつて形成された。栗田は第一に判断した――レイテ湾頭に達する二、三時間の海上に於て、艦隊は敵の基地空軍と空母艦上機の連合空襲により、シブヤン海に於けるよりも以上の打撃を受けるであろうと。判断の第二は、レイテ湾内に碇泊中の敵の船団を撃滅するというその目標の船団は、上陸開始後既に六日を過ぎているから、従来の米軍の上陸能力から考えて全部空船になつているに相違ない。加うるに、栗田艦隊の突入企図は疾くに承知しているのだから、今頃一地点に集結して餌食を供えておく筈はない。適当に疎開待避を完了しているであろう。
そんな物を捜し回つて沈めたところで戦局にどう役立つというのか? 牛刀鶏を割くの比ではない。いな、その鶏がなかなか割けないのだ。艦砲が空の商船を撃つや、弾丸は無抵抗で貫徹して遥か先方で爆発し、船は弾丸口径だけの穴を横腹に開けられただけで沈没しない。これは二年前に、この艦隊の一半が印度洋方面で体験して将兵の笑い話の一つになつていた。その回顧が栗田の頭に無意識に浮んだかどうかは知らないが、「空船と戦争するのは実にくだらない仕事だ」という観念が、栗田ばかりでなく、将兵全部の頭を占領していたことは厳然たる事実であつた。
空船も敵の威力の一つだから満更でもないとして、それを克明に射撃している間に連合艦隊の方はどうなるだろう? 先ず以て全滅疑いなし、というのが第二の判断であつた。然らば即ち「戦艦大和」が「第三海運丸」というような船と刺し違えて死ぬのと同じだ。それでなくても、「空船との心中は御免蒙る」というのがリンガ泊地以来の「艦隊の総意」である。然らば栗田一人のみがレイテに突入することは許されないだろう。
二十三 機動部隊を血祭に
日本海軍の最後飾らん
レイテ湾頭西すべきか北すべきか。突入か北転か。空船との心中は真ッ平御免という「艦隊思想」が、栗田中将の袖を北の方向に引いていたことは前述の通りである。
再び迷う、大本営の命令は湾内突入にある。しかしながらまた秘かに問う、大本営の目的は「自殺」にあるか、「戦果」にあるか。
思うに大本営も人間の集団である。いわゆる深慮遠謀の府である。いかに迷うとも、よもや単純に「自殺しろ」と言うのではあるまい。それはまた、言い得ることでもあるまい。真実は、自殺の覚悟で一大戦果を挙げることを期待しているに相違ない。それなら、戦果が九割九分まで見込みがなくて、全滅が九割九分まで確実である眼前の実情を見て、司令長官が攻撃目標を他に転じても、それは必ずしも謀反ではなかろう。いや、それこそ司令長官たる者の責任というべきであろう。
栗田の残る多少の迷いに決定を与えたものは「全滅の危機」であつた。一つの事実と、一つの想定とがそれを裏附けた。一つの事実とは、友軍の協力絶無という惨状だ。大本営があれほど約束して栗田艦隊を力附けた基地空軍は、全然この戦闘に加わつていない。福留と大西が来たのだから(共に海軍のホープであつた)、相当の援助を受けられるものと期待したのに、いまの瞬間に至るまで唯だの一機も飛ばさない。のみならず情報も送つて来ない。艦隊は憤慨しているのだ。
(註。天候や練度不足やその他で参戦が遅れ、艦隊が戦場を引揚げた二十五日午後四時半頃になつて初めて上空に現われた。その中に「大和」を敵艦と間違えて爆弾を投下した二機があつた。その頃の搭乗兵の練度を語る)
一方に、敵の有力な機動部隊を北方に誘致する筈の親友小沢の艦隊はどうしたのだろう。何の音沙汰もない。小沢からも大本営からも、何一つ情報が来ない所を見ると、あの脆弱なる寄せ木細工の艦隊は、多分途中で敵潜に仕止められて大部分沈没したのかも知れない(註。栗田が大反転を考慮している頃、小沢艦隊は見事に敵を誘致牽制して戦つていたのに、その電信が旗艦瑞鶴の発信機の低能率のために何処にも通じなかつたこと前述の通りである)。
三位一体のレイテ決戦計画の、その二つまでが動かないで栗田艦隊独り戦う。しかも二十三日は潜水艦と戦い、二十四日は終日空襲と戦い、二十五日は空母艦隊と戦い、勢力半減して今や最後の戦場に突進しようとしている。文字通りの孤立無援である。それでもなお全然心細さを感じないような神経は、人間の神経には容易に求め得ないであろう。
そこへ一つの想定が大きく作用するのだ。艦隊は既に敵機動部隊の包囲の中にあるという可能性がそれだ。さきに南方に追撃した二群の空母艦隊が、百浬程度の安全圏を以て接触して来ることも可能だが、その時「後二時間を要す」といつた援軍は確実に近傍に来ている筈だ。更に、栗田艦隊が敵に知られてから既に五時間半を経過している。昨日シブヤン海で吾れを痛撃したⅩ空母艦隊は勿論、その他の機動部隊の全力が、レイテ湾指して殺到中であることは、作戦を知らない素人にも想像の出来る所だ。
とすれば、栗田艦隊が既定のコースを馬鹿正直に西進してレイテ湾頭に至る頃には、艦隊は完全に空から包まれてしまう。そうなれば海の底へ行くより外に遁れる途はない――。
これ栗田、小柳、森下の各将が、語らずして心底に一致した「艦隊全滅観」であつた。そうしてこれは前述の想定が正しければ、明らかに正確なる判断であつた。そこで栗田の頭に電のように閃いた瞬間の光があつた。一番近くに迫つている敵の機動部隊を叩き漬すこと是れである。同じく全滅の覚悟なれば、レイテ湾の空船よりは洋上の航空母艦を撃とう。遺恨骨髄の敵機動部隊に突撃しよう。これこそ体当りの値打がある。屍を湾内の砂に曝すよりも西太平洋の海底に沈めるこそ、日本海軍軍人の本懐とする所ではないか。
最後の猛突に空母エンタープライズやホーネットを撃沈してミッドウェー敗戦の仇を酬いれば、死んだ山本長官も地下に微笑むであろう。湾内の「第二海運丸」に穴を明けるのとは賢愚天地の差だ。戦闘の意義から考えても比較にならない。そうだ、この一番のみ。これが艦隊の本命だ。かくて栗田長官は「スルアン島灯台五度百十三浬にある敵機動部隊と決戦すべく」針路を零度としてサマール島の東岸を北進するよう下命したのである。
二十四 敵機動部隊を捜し廻る
人命を尊ぶ海軍の伝統
これより先き、ブルネー湾からレイテ湾までの一千浬を行く途中に於て、もしも敵の有力機動部隊に出会つた場合には何うするか。レイテ突入を捨てて之と決戦するかが問題となつた。これについて栗田艦隊の参謀長小柳少将は、八月下旬、司令部参謀神大佐(捷一号作戦伝達のために日吉台から飛来)を中心とするマニラ作戦打合せの席上、特にこの質疑を強調した。神参謀は勿論可と答えた。同席の南西方面艦隊首脳達は、それを当然というよりも寧ろ先決的重要事だと力説した。かくて敵機動部隊と決戦をする作戦方針は無條件に公認された次第である。
戦艦大和の十八インチ砲(四十六センチ)の弾丸は、貯弾一、〇八〇発の中から八一発しか撃つていない。未だ四回や五回の大海戦に驚異的破壊力を逞しうする余裕は十分にある。いかなる空母も一発で撃沈し得ることは勿論、敵の護衛戦隊と雖もこれを二、三発喰えば大概は御陀仏である。艦隊は武者慄いしながら北々東に進撃した。
午後一時十五分に約七十機の大編隊が来襲した。正午の来襲に較べて来襲時間が短かかつたし、技術も上手でなかつた。午後二時、空襲の第三波、三時に第四波が来襲した。幸いにして生命に係わる損害はなかつたが、かく頻々として襲来する艦上機の模様からみて、敵艦隊が東々北の近傍にあること明らかであるに拘らず、それを捕捉し得ないのは、索敵機を持たない艦隊の悲しさであつた。しかし、持たざる者の悲しさを嘆いている暇はなかろう。敵機動部隊が索敵力を利用して常に栗田艦隊の巨砲追撃圏外を進退し、そこから自由自在に艦上機を飛ばして撃つて来るというのでは戦争にならない。野球の試合で、一方のチームのみ打撃を続けてスリー・アウト・チェンジということがなく、他方(日本)は守りッ放しで打つ機会がないのでは問題にならぬのと同じだ。冗談ではない。日没までには三時間しかない。ナイターも敵が見つからなければ戦う由もない。ナイターは日本海軍の特技であつたが、その夜戦は昼間に敵の隊形や行動をつき止めておいて初めて戦い得るのだ。二十五日の夜になつては手の下しようがない。午後四時十五分、初めて日本基地空軍の大編隊(六十機)が艦隊の上空に現われて敵の方向を聞いた。推定地点を教えたが間もなく再現し、敵を見ずと答えて飛び去つた。艦隊は糠歓びに終つた。
午後一時十五分に約七十機の大編隊が来襲した。正午の来襲に較べて来襲時間が短かかつたし、技術も上手でなかつた。午後二時、空襲の第三波、三時に第四波が来襲した。幸いにして生命に係わる損害はなかつたが、かく頻々として襲来する艦上機の模様からみて、敵艦隊が東々北の近傍にあること明らかであるに拘らず、それを捕捉し得ないのは、索敵機を持たない艦隊の悲しさであつた。しかし、持たざる者の悲しさを嘆いている暇はなかろう。敵機動部隊が索敵力を利用して常に栗田艦隊の巨砲追撃圏外を進退し、そこから自由自在に艦上機を飛ばして撃つて来るというのでは戦争にならない。野球の試合で、一方のチームのみ打撃を続けてスリー・アウト・チェンジということがなく、他方(日本)は守りッ放しで打つ機会がないのでは問題にならぬのと同じだ。冗談ではない。日没までには三時間しかない。ナイターも敵が見つからなければ戦う由もない。ナイターは日本海軍の特技であつたが、その夜戦は昼間に敵の隊形や行動をつき止めておいて初めて戦い得るのだ。二十五日の夜になつては手の下しようがない。午後四時十五分、初めて日本基地空軍の大編隊(六十機)が艦隊の上空に現われて敵の方向を聞いた。推定地点を教えたが間もなく再現し、敵を見ずと答えて飛び去つた。艦隊は糠歓びに終つた。
ここで栗田長官に課せられた二つの方向がある。既に敵機動部隊を追つたのは、索敵力の不完全な自分の失敗であることが判つた。もう捕捉撃滅も駄目になつた。それなら、再びサン・ベル海峡を渡つて基地に帰るか、それとも再び南下してレイテ湾頭に一斉射撃を見舞つて帰るか(ミンダナオ海を航破して)、理論的には二つの途があつた。栗田長官は最早や後者を念頭から切り捨てていた。現実にそれは余りにも無謀な作戦と化していたからだ。
顧みるに海軍には生に関する思想の流れが二つあつた。「左へ行くか右へ行くか不明の時は死ぬ方へ行け」という考え方と、「死を意義あらしめるために慎重に行動せよ」という思想だ。航空の勇将山口多聞中将は前者で有名であつたが、栗田健男中将は後者の代表であつた。紙一重の差ともいえるが、応用はデリケートである。敵機動部隊を追うや素より生還を期さなかつたけれども、それを逸した後、夜間再転してレイテに突入する価値僅少の作戦に全軍を殺すのは無益と信じて之を否定したものに相違ない。本来、栗田は十死零生の作戦を激しく否定する教官であつた。もつと正確にいえば、「一割生還主義」とも称すべき流儀を、最も冷静に且つ勇敢に実行する提督であつた。この主義の根源は、海軍では一人前の戦士となるのに五年、十年の訓練が要る。水兵も一日にして出来るものではない。だから、命を大切にしなければならない。かの「人海戦術」なぞ称して、兵士の大量を無限に投入するような方法は、海軍では低能戦術として笑話にしかならない。海戦は質の戦いである。一人の海兵は一個の戦力である。大砲や飛行機は一ヵ月で造れても、一人の海兵は二年、三年を待たなければ作れない。一人を失えばその戦争中は補充(同質の)が出来ない。だから極力その命を大切にしなければならない。勿論、死は戦争と不可分の要請ではあるが、それを無駄に使つてはならない。軍艦が沈没する時は極力乗員を救助すべきである。大きい軍艦が沈みそうになれば、栗田は手許に不足している駆逐艦を惜しみなく割いて救助に赴かせた。彼れはこれを定石として実行したに過ぎない。
一方に、軍艦が沈むときは、その艦と運命を共にせよ、という思想がある。これも一つの尊い考え方であり、立派に理由もあろう。そこでこれと反対の「他の艦に移つて再戦せよ」という思想と対立し、二つの流儀となつて永く残つて来たのである。しかし、幾分でも生還の見込みがあればそれを助けるのが大局の利だ、遡つて生還絶無の作戦は初めから否定すべきだ――という思想が日本海軍の本流をなしていたことは厳然たる事実であつた。
日露戦争当時に国民の血を湧かした旅順口閉塞の決死隊でも、船を自沈してから移乗して帰るボートを用意し、ある地点まで収容の軍艦を派しておいた。太平洋戦争の真珠湾奇襲で有名になつた特殊潜航艇でさえ、襲撃後に母艦に帰り得るだけの燃料を積んで出撃させた。九〇%は死であるが、一〇%の生還率を与えて初めて命令を下しているのである。神風特攻機が飛び、人間魚雷「回天」が出撃したのは、既に日本の海軍が、敗戦の為に伝統を棄却した後のことである。

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