二十八 サマール沖海戦の批判
日米両軍共に機を逸す
サマール沖海戦は、「レイテ海戦」という多元戦闘の中に起つた一つの場面である。戦闘そのものは大規模ではない。ただ、次の諸点に於て興味深い海戦であつたことは間違いない。
(イ)十八吋砲という史上最大口径の艦砲が戦艦「大和」から発射され、それが空前にしてまた絶後となつたこと。
(ロ)両軍とも夢想もしなかつた海上で突然出会し、忽ち退却戦と追撃戦が開始され、勝敗不明の裡に終つたこと。
(ハ)両軍とも勝利の機会を逸して後世に問題を残したこと。特にアメリカは二人の提督間の論争を残して十年後もなお争われていること。
等に於て海戦の特異性を認めるのである。しかし、これを日本の側から見れば、「敵を討ち漏らした」点に批判が残る。先ずその点を一瞥しておこう。
凡ては索敵能力を全欠した艦隊が、情況判断に於て常に正確を欠く所から生れる。敵に大損害を与えて大いに勝盃を挙げることが出来た唯一の機会が、サマール島沖に出現したとき、栗田艦隊はその好機を逸した。戦術的に三つのことが指摘されるであろう。
(一)あと一時間追撃すべきであつた。
(二)駆逐艦の出撃が不活発であつた。
(三)指揮統一に欠け、各戦隊や各艦が乱れて追撃し、集中威力が発揮出来なかつた。
敵は内線を回つて逃げたが、速力は十八ノットであり、午前九時二十五分頃(二十五日)は我が重巡に追い詰められ、あと三十分も撃たれたら、本来脆弱な空母は更に沈んでいたに相違ない。これは米軍の戦史評だが、吾々もそれを信じる(尤も一番接近した「羽黒」は残弾が幾何もなかつたが)。駆逐艦も漸く魚雷射程圏に入つていた。その時に戦闘中止の命令が下つたのである。潰走中の敵は商船改造用空母五隻ではあつたが全く惜しいことをした。
その原因は敵を碓かめる力がなかつたことだ。栗田長官は敵を速力三十ノット以上の正規空母艦隊と判断していたこと前述の通りであり、だからモウ追い附けないと観念して中止したのだ。もし索敵力と、あと一時間の集中攻撃が続けられたら、空母艦隊は全滅に近かつたであろう。不慮の会敵(後述)に文字通り狼狽潰走した米軍は生命を救われたのである。それにしても、敵空母艦上機の技術はボロ艦に比して甚だ優れていた。我が重巡四隻を屠つたのだから。
(二)は敵発見と同時に栗田中将が命令したものであつた。大体この戦闘は砲戦によつて敵を潰し得る考え方であり、駆逐艦は後でゆつくり使う。もし駆逐艦が全迫力で肉迫襲撃をやれば肝腎な燃料を消尽する危険が多分にある。そこで駆逐艦隊は戦艦や重巡の後方から附いて来いと命令されたものである。そこで三十五ノット以上出せる速力を、二十二ノットの経済速力(燃料最低)にして南下して行つた。ところが敵の速力が実は十八ノットなので自然に追い附き、九時五分に魚雷の斉射を実施した(一回では命中しないのも無理はなかつた)。
(三)の追撃戦体勢の不整は、朝六時四十分に、夜間航行から昼間の対空航行陣形に転換中に敵を発見したので、その不整形のままで追撃を開始した所にある。なぜ追撃陣形を整えて堂々と迫らなかつたというのが、アメリカ側の戦史家の定評であるが、あの場合に悠々と陣形を立直している余裕は全然無かつたであろう。実に天佑の好機だ、一刻も早く着弾距離に迫ろうという場合だから、各戦隊が離れて急追したのは一つの方法であつたろう。
ただ視界はスコールと煤煙幕のために著るしく不良となり、概ね三、〇〇〇メートル以下で電探射撃を行う場合も多く、そうしてこの電探射撃はリンガ泊地で第一年生から習つたもの、実戦には今度が初めてであつたから、不慣れのミスも多かつたろう。理論上はレーダー射撃は命中する筈だ。自分の出した電波が、敵艦に当つて反射して来る時間により自動的に正確に距離が記録されて撃つのだ。測距儀で測つて先ず敵艦を前後に挟み(砲弾を以て)、挟んだら中央に撃つて当てるというのとは違う。が、機械操作の慣熟も必要だろうし、機械そのものも、日本はその年の六月に急いで作つた初物であるから、二ヵ年先輩の米軍のそれには遥かに及ばなかつたろう。
栗田長官の失敗といわれる他の一つは、レイテ湾突入が中止されたため、アメリカは非常に助かつたというアメリカ側の発表である。つまり、湾頭には第七艦隊(戦艦六隻以下)がいたが、既に西村部隊との戦闘に砲弾を撃ち尽して無力に近かつたから、日本艦隊に突入されたら全滅されたかも知れない。また、湾内の商船には荷揚げ未了の船も多く、マックアーサー元帥もそこにいたのだから危険千万であつたというのだ。しかし乍ら之には疑問を挿む余地が多い。第一にアメリカの第七艦隊が、砲弾を打ち尽していたというのが可笑しい。同戦艦隊は、その未明に短時間だけ「扶桑」と「最上」とを撃つただけであり(準備十分のレーダー射撃で)、残弾は十分にあつた筈だ。ウエスト・ヴァ-ジニア、メリーランドの十六インチ以下、他の四隻の十四インチ砲は立派に戦えた筈で、米軍がそんなへマをやる筈はなかろう。これは、敵の失敗を誇張するための報道としか思えない。要するにこれらは仮想の勝敗論でしかなかろう。日本側としては敵は弱い空母部隊ではあつたが、それを撃滅して溜飲を下げたかつたという批判に帰着する。それよりも問題はアメリカ側に大きい。
二十九 米提督は今なお争う
囮に掛つたハルゼー中将
栗田艦隊のサマール島沖出現が完全にアメリカ軍の虚を衝いたことは確かだ。栗田は日本艦隊の行動が、敵側には手にとる如く判つていたと信じていたのだが、事実は全く反対で、アメリカは完全に虚を衝かれて了つたのだ。その大きい手落ちがアメリカの大問題になつているのだ。つまり米海軍の作戦失敗史として論題になつているのだ。
そもそも栗田艦隊に突然出会つたスプラーグ少将の護送空母群は、その辺にいるのは味方の艦隊と信じて悠々とサマール島の方向にやつて来たのだ。日本艦隊がシブヤン海で撃退されたとは知らなくても、それがサン・ベル海峡を突破し得ないことは、夙にハルゼー艦隊から保証されていたのだ。言い換えれば、日本艦隊が仮りにサン・ベル海峡を渡つたら、途端に雷、爆、砲の三重攻撃によつて殲滅するから、比島の東海岸には敵は進入出来ない筈になつていた。
即ちキンケード提督側からいえば、サン・ベル海峡はハルゼー艦隊が守ることになつており、自分の方はレイテに対する送兵や補給に専心する約束であつた。ところが、行つてみると遥かに見ゆるはハルゼーでなくて栗田であつたのだから、憤つたのは無理ではなく、而してその憤りが年毎に根を張つて今日に及んでいるという次第だ(スプラーグ護送空母群はキンケード艦隊の一支隊)。
栗田の進入を許したのは疑いもなくアメリカ海軍の大失態であつた。既に一度書いたように、シブヤン海であれ程にひどく叩かれ、遂に反転退却しておきながら空襲が熄んだからといつて再び危地に進撃を再回するとは、呆れた日本人であり、アメリカ人の常識では一寸考えられない。しかし常識外れの作戦を度々演じた日本の軍隊に対しては、用心の上にも用心を重ねるのが、経験ある海将の取るべき常道であつたろう。栗田艦隊の上空五千メートルに接触機をモウ二時間――日没まで――つけておけば栗田艦隊の反転はキャッチ出来たし、また栗田は用心して反転を翌日以後に――基地航空部隊の協力が明らかとなるまで――延期したかも知れない。栗田は接触機が去り、空襲が一時間以上も熄んだので、敵の機動部隊は相当遠距離にあると判断し、兼ねて目的遂行の責任を深く感じていたために、敢然として再進を決行したわけだ。それを栗田が全然来ないものと信じて海峡を開けッ放しにしたのは、何といつても大失敗である。《注:「進撃を再回」は底本のまま。》
また夜になつたら潜水艦の触接を当然保持すべきである。十八年末頃からアメリカの潜水艦利用は目立つて上手になり、十九年に入つては日本の駆逐艦が屡々敵潜に葬られ、海軍では鼠が猫をとると話し合つて甲板を踏み鳴らしていたのだ。六月のマリアナ海戦に於ける潜水艦の利用の如きは完全に日本のそれを制圧した。そのアメリカが日本艦隊のレイテ侵入という重大作戦の途上でこれを利用しなかつたのは――特にシブヤン海とサン・ベル海峡の両面において――大きな手落ちといわなければならない。
アメリカ艦隊の油断による失敗に次いで、もう一つ作戦上の失態が指摘されなければならない。それは、一方から見れば小沢艦隊の成功を讃えることであり、既に詳しく紹介した通りでもあるが、アメリカの作戦としては、
一、日本の機動部隊の実力に対する判断を著るしく誤まつていた。
一、全力を投じて長追いした結果、栗田艦隊に昼間十二時間の自由行動を許した。
という二点に於て長官の責任を問われるものである。アメリカの索敵機は二十四日午後三時頃、「日本の有力なる機動艦隊南下中」を報告したのだが、その「有力なる」に対してはハルゼー長官が確乎と判断を下さねばならなかつたろう。一体その頃になつて、日本に「有力なる」空母艦隊が存在するのだろうか、少し考えれば直ぐに疑問を抱く筈である。四ヵ月前の六月十九日のマリアナ海戦に於て、ハルゼー長官は自分の艦隊の手で、日本の空母第一号である「大鳳」を沈め、更に「翔鶴」「飛鷹」をも撃沈したので、正規空母は「瑞鶴」一隻しかないことを知つている筈だ。後には速力の余り早くない改造の二流艦数隻しか残つていない筈であり、これに向つてハルゼー隊の主力が総掛りをするような代物ではない。ハルゼー麾下四群の空母艦隊の半分を差向けても勿体ないくらいのものである。
残る半分はすべからくレイテ湾を基点としてサマール島沖を遊弋警戒すべきである。複雑なる海戦に単純なる作戦を施したのは失敗と評されても仕方がなかろう。
ここで前稿に一言した、「栗田艦隊長蛇を逸す」というアメリカの報道がクローズアップされるのである。言い換えれば、「栗田がレイテ湾突入を未遂で引返してくれたから助かつたようなものの、若しも栗田が予定通りに突ッ込んだとしたら、アメリカ海陸両軍の蒙つた損害は測り知れないものがあつたろう。米軍の上陸作戦は或は挫折していたかも知れないのだ。それほどの重大事件をハルゼーは犯そうとしたのだ。例えば重大会合を催している家の周囲を警官隊に護衛させておいたその警官が、遠方の賊の捕物に無断で走り去つたようなもので、暴漢は家を覗いただけで引返してしまつたが、その警官は処罰されねばならない」というのである。
一方ハルゼー長官に言わせると、栗田艦隊は空母を伴つていない。空母のない艦隊は主力ではない。主力は機動艦隊である。故にこれを徹底的に撃つのが常識である。その小沢部隊の実力云々というが、索敵機が敵機動部隊の甲板まで視認するほど接近し得ると思うのは素人考えであつて、実戦を知る者から嗤われるだけだ。それに、二、三年前から建造中の筈の空母もモウ竣工していると考えるのは当然ではないか。加うるに、日本の機動部隊を潰して了えば太平洋の制空権と制海権とは一〇〇%アメリカに帰するのだから、エンガノ沖海戦こそ絶好の機会だ。それは期せずして我が「主目的」を捉えたものである。主目的に向つて直進し、他の小さい邪魔を顧みないのがアメリカの兵術思想だ。現に栗田はレイテに突入しなかつたのも、米国の空母群が遥かに睨んでいたからであり、仮りに突入していたら必ずこれを殲滅していたであろう、云々というのだ。
双方の言い分は尽きない。十年の後は結局は水掛論に終るだろう。しかし、ハルゼーの大艦隊が小沢中将の囮艦隊に誘致されて、サン・ベル海峡――レイテ湾の沖合戦場を一日空にしたという事実は史上永えに消えない。結局、アメリカは大きい兵力量を以て圧倒して了つたが、兵術の上では日本に勝つていないといつても必ずしも負け惜しみではなさそうである。



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