【一】
(概要 観世音とは 洪水 新六、お里を助ける お里父子、礼に来る)
(概要 観世音とは 洪水 新六、お里を助ける お里父子、礼に来る)
エヽ……国華堂書店の御好みによって、浄瑠璃で大層流行いたします壺阪霊験記を講演致します。名人団平が節づけで行われております「三ッ違いの兄(あに)さんを」という、沢市の女房おさとの口説きがございます。当今は義太夫流行(ばやり)で、暗(やみ)の晩なぞは「三ッ違いの兄さん」にばかり打(ぶ)つかります。此処(ここ)の横町(よこちよう)からも「三ッ違いの兄さん」と怒鳴って出るかと思うと、向うの新道(しんみち)からも「三ッ違いの兄さん」が飛び出す。其の壺阪霊験記の内、「盲人沢市お里の伝」を、今日(こんにち)より講演をいたします。
壺阪は和州高市郡(たかいちごおり)高市町(まち)の南に当りまして、西国三十三番の内、六番の観世音の像を安置いたし、俗に壺阪寺と申します。人皇(にんおう)五十代桓武天皇の御建立で、観音の像は弘法大師のお作でございます。壺阪山の岩の上に御堂(おどう)がございまして、其の周囲(まわり)の岩は、五百羅漢の像に梵字が刻みつけてございます。中々霊験あらたかの観世音。其の土佐町(まち)という処に居りました、盲人沢市・妻さと。此の二人が祈誓をこめ、沢市の目が明いたというのが此の講談の眼目でございます。
そもそも観世音と申すは、観自在と申す事で、善悪禍福を自在に観察するという意味でございます。それを形に現わしたのが観世音の像。同じ「見る」という字でも、「観」の字は、目でばかり見る字ではございません。アレは心で見る字でございます。「鰯の頭も信心がら。」と申して、一心になって願えば、神仏が存在する以上は利益(りやく)は必ずあるべきもの。浅草の観世音様へ参りますと、賽銭箱の上に金字で「施無畏(せむい)」と三字書いた額がございます。あれは長崎の儒者で玄岱(げんたい)という先生の書かれたものだそうで、吾々には判りませんが、「実に見事な手跡だ。」と、心ある人は申して居ります。その「施無畏」という事は、観世音の利益広大なる事を示したものだそうだ。言わば観音様の御利益の広告でございます。「施(せ)」は「施す」と訓じ、「無」は「無し」、「畏(い)」は「畏れる」。つまり「悪人でも善人でも一心になって願えば利益は与えてやる。決して撰(よ)り好みはしない。施すに畏れなし。」という意味でございます。ソコデ、仏菩薩と申しますのは、つまり悟りを開いた其の階級で、仏菩薩は無上正真(しょうしん)道を得た者を言う。上もなき真(まこと)の道を得たものが、仏菩薩でございます。しからば観世音菩薩も、無上正真道を得たえらい人の尊称でございます。何も仏の道ばかりではない。学者でも商人(あきんど)でも職人でもはしたなき芸人でも、其の道の神髄を得たものはその道の仏、又菩薩と申して差支えない。こう言うと大層南陵学者のようだが、或るお寺の僧侶(ぼうさん)の蓄音機でございます。永口上は御退屈、ソロソロ本文(ほんもん)へかかってお話をいたします。
徳川十一代将軍家斉(いえなり)公の御治世、時は寛政の始め、大和国高市郡高取町(たかとりまち)の在、土佐町に新六という百姓がございました。是は父母(ふぼ)に早く別れまして、伯父の源兵衛という者に育てられました。ちょうど寛政の二年、此の新六が十八の時でございましたが、其の年八月の上旬より毎日のように雨が降りまして、じめじめいたして居りまして、まるで五月雨のよう。
甲『どうです。よく降るじゃアありませんか。』
乙『さよう。よく降りますナ。こう降っては水が出るかも知れません。』
甲『どうか水が出なければ宜(よ)うございます。』
乙『早稲を収獲(とりこも)うという時分に、こう降られちゃア困ります。どうも天気にしたいものだ。』
人が集まると雨の事を心配いたして居ります。と言うは、「旱魃に不作無し。」と申しまして、雨の降りつづくより旱(ひでり)の方が米には宜(よ)い。なかんずく大和は地の低い処で、ややもすると出水(でみず)がある。「大和雨降り米穫れず。」という例えがございます。是は、他国では雨乞いなぞを致しますが、大和では雨が降られると三年不作であるという事を申したのだそうでございます。既に先年、十津川が大洪水で、跡が立ちゆきませんから、十津川の人民を北海道へ移住(うつ)した事さえございます。ひどく水を嫌う処で、スルト八月の廿一日から廿四日の夜(よ)にかけて東南風(たつみ)の大暴雨(おおあらし)。ドーという音だ。バラバラバラバラ板屋を走る雨の音。
新六は伯父に対(むか)いまして、
新『伯父さん、大層な暴風雨(あれ)になりました。』
源『ひどい暴風雨(あれ)になったのう。此の容子では水が出るぞ。』
新『どうか水の出ないようにしたいものでございます。』
源『いくら「出ないようにしたい。」と言っても、水の方で押してくるんだから始末がつかねえ。』
〇『モシモシ、源兵衛さん。起きて居(い)るかエ。』
源『ハイ、起きて居(い)ますヨ。』
〇『ちょっと出てもらいたい。新六さんも居(い)るなら一緒に来てもらいたい。』
源『なんでございますエ。』
〇『檜(ひ)ノ熊川が出水(でみず)で、大口の堤が断(き)れそうなんだが、「どうか此の町に居(お)る者は残らず出て防がせろ。」という郡(こおり)奉行からの御達しだ。五十から十五までの男は総出という事になったんだが、是非来て下さい。』
源『エー、それは大変だ。大口の堤が断(き)れた節には、此の土佐町は勿論、高取も海になってしまわなければならない。エ、只今参ります。サア新六、支度をしろ。』
新『伯父さん、堤が断(き)れますかえ。』
源『断れるか断れないかまだ判らないが、どうか彼処(あすこ)は助けたいものだ。』
と、新六を促して、源兵衛が蓑笠に身を固め、鍬を持って表へ飛び出すと、鼻をつままれても判らぬ暗夜。「ベリベリベリベリベリ、ガラガラガラガラ、ドー。」という物凄い音。どこの寺で撞(う)つか、「ゴンゴンゴンゴン。」という早鐘{*1}。間(あいだ)に「断(き)れるよー。」という人声。火と違いまして水程陰気なものはございません。七八町離れた大口の堤へ来て見ると、篝火を焚いて数百人、此処で檜(ひ)の熊川の出水(でみず)を防がんと、一生懸命に働いて居ります。山手から渦を巻いて押して来る濁流。平常(へいぜい)は川の間々に瀬がありまして、四五町ある川幅も土地の人は溝渠(どぶ)のように思って居りますが、いよいよ出水(でみず)になると、どこが瀬だか判りません。平(ひら)一面の水。内に夜(よ)はしらじら明けわたって参りました{*2}。
処が、雨は中々やむ様子もなく、風も強い。高取の城主植村出羽守の郡奉行梁田重(じゅう)左衛門が、部下を引き連れ、馬上で「彼方(あちら)を防げ。此方(こちら)を防げ。」と下知をいたして居ります。ちょうど只今で言う六時、昔時(むかし)の六ツ。ガラリ夜が明けはなれたかと思うと、「ドー。」という音と共に堤を一ツ水が越すと、五六間(けん)断(き)れました。「それ、断(き)れた。」と言ったがモー間に合わない。「ドー。」と一時(じ)に水が押して来る。堤の上に居りました数百名の人達、モーこうなると水を防ぐどころではない。自分の家が大事だから、「ワッ。」と言って己々(おのれおのれ)家を指して引っ返す。是が為に水はいよいよ漲り、忽ち土佐町から高取へかけて押し来たる。
新『伯父さん。どこへ行った、伯父さん。』
源『新六、サア早く帰れ。此処に居(い)ると死ぬぞ。』
新『ハイ。伯父さんサア帰りましょう。』
二人揃って土佐町へ引っ返す内に、モー股を越して、下腹あたりまで水がきた。足が自由を得ませんから、二人は鍬を杖にして、ようよう己の家に帰りまして、家財の内目ぼしき物を包みにいたし、「早く山手へ逃げよう。」というので、支度をして居(い)る内に、水はいよいよ劇(はげ)しく、とても下に居(お)られないから二人は屋根へ駈け上がった処が、土佐町一面の水となったが舟が参りません{*3}。
「どうしたら宜(よ)かろう。」と、源兵衛と新六が顔と顔を見合して居(お)りますと、遥か上(かみ)の方から藁屋根が流れて参りました。いかさま家(うち)が押し流されたのでありましょうが、屋根だけ浮いて居ります。近寄るままに見ると、其の屋根に確かに人が居(い)るよう。
新『伯父さん、向うに流れてまいりましたアノ屋根に人が居(い)るようでございます。』
源『ウーン。俺も先刻からそう見て居(い)る。』
新『可哀想です。助けて遣りましょう。』
源『馬鹿ア言え。滝のように流れて居(い)る此の水に入って、どうして助けられるものか。』
新『イエ、助けられぬ事はございません。』
言う内に向うの方で、
〇『助けてくれえー。』
と言う人声。近寄るままに見ると、屋根にしっかりつかまって居(い)るのが女でございます。
新六之を見ると、身を躍らして此の濁流へ躍り込みました。檜ノ熊川で毎年夏になると水泳(およぎ)を学びました事とて、逆巻く水を押し開き、其の女子(おなご)の居(い)る処へ進んで参りまして、屋根へ手を掛け、ヒラリと躍り上がった。
新『いずれの女中か知らないが、私(わし)が助ける。しっかりおし。』
女『有難う存じます。』
と言う声さえも切れ切れで、その藁屋に挿してございました竹を取って棹と為し、水を切って此方(こなた)に漕ぎ寄せる。二階に見て居(お)りました伯父の源兵衛、
源『新六、えらい事をした。今向うから舟が来るから、なりたけ水の緩(やわ)らかな処を撰(よ)って漕いで来(こ)ウ。』
と怒鳴りますが、水勢が劇(はげ)しき為、新六には聞えません。処へ、御領主植村様から助け舟を出しまして、水に溺れんとするものを救う。新六の居りまする処へ舟を漕ぎ寄せた役人、
役『サア、是へ乗れ。』
新『ハイ。私は兎も角も、此の女をお助け下さい。』
役人が見ると、十四五にもなろうか、未(いま)だ肩あげはあるが、水の滴るような美人。
役『サアサア、早く是へ乗れ。是へ乗れ。』
新『有難う存じます。サア姉(ねえ)さ、しっかりおし。お役人様方が舟を出して下すったから{*4}。』
女『有難うございます。』
新六に助けられて、ようよう向うの舟へ乗りうつる。
役『コレコレ。お前達はどこの者だ。』
新『私は土佐町に居ります百姓の新六と申します者。』
役『此の女はお前の妹か。』
新『イエ、私の妹ではございません。上(かみ)の方から流れて参りましたのを、気の毒に存じまして助け出しました。』
役『それは感心な事だ。よい功徳をいたした。向うに助け小屋があるから、アレへ参って手当をいたしてやれ。』
此の舟を向うの堤際(どてぎわ)に漕ぎ寄せますると、植村家の定紋の幕が張ってあります。それには医者も出張いたし、焚き出しは大釜で飯を焚き、握飯(むすび)にいたして、今回の洪水で家にはなれました人達へ、施しを出して居ります。此の婦人を幕張の内に入れ、医者が気付(きつけ)を与え、介抱をいたした。「何処(いづく)の者である。」と尋ねると、土佐町の内に本町(ほんまち)と申す処がある。是は檜ノ熊川に添いました上(かみ)で、其処の穀物渡世、大坂屋万兵衛の娘さとといって、本年が十五才だと申します。「俄(にわか)に水が押し寄せたので、逃げる間もなくこういう事になった。それにしても両親の行衛が判らぬ。どうした事か。」と、涙を流して悲しんでおります。役人も気の毒に思って、大坂屋万兵衛夫婦の行衛を調べる事になった。処へ、新六の伯父の源兵衛も助け舟に救われ、無事に此処へ参りまして委細を聞き、ともども万兵衛の行衛を探す。
何しろ此の出水(でみず)でございまして、四五日はまるで戦争(いくさ)のよう。どこに誰が往(い)って居(い)るか、中々判りません。六日目にすっかり水が退(ひ)いたので、始めて万兵衛夫婦が無事に高取に居(い)る事が判った。「水の押し寄せて来た時には、親子別れ別れになったが、運よく三人助かる事が出来た。万兵衛夫婦は水に流されて、西福寺(さいふくじ)という寺の榎(えのき)の木に上がって助かった。娘の行衛を心配して居(い)ると、土佐町の新六が助けた。」という評判。親子が会いました時の喜びは、死んだ者が蘇生をしたよう。取り敢えず新六に礼を申しまして、娘を引き取って高取の親戚へ参った。十日ばかり経って、ようよう家の掃除をして、新六に伯父の源兵衛と帰って参りました。
家(うち)に帰ってから四日目の事で、
〇『御免下さいまし。』
新『イヤ、是は大阪屋の旦那さまで。おさとさんも一緒かエ。よくお出(い)でなすった。』
万『新六さん、今日は改めてお礼に上がりました。』
新『イヤ、お礼なぞに来られては却って迷惑です。伯父さん。大坂屋の旦那がお出(い)でなすった。』
源兵衛は、二階で水で汚した物を始末して居りましたが、トントンと降りて参りまして、
源『コレはよくお出(い)でになりました。』
万『伯父さんでございましたか。其の節はいろいろ御厄介になりまして、お礼を申します。早速上がらなければなりませんが、何分此の出水(でみず)の為に家も流されてしまい、親戚の元に当時厄介になって居ります身体(からだ)で、殊には娘が水を飲みましたと見えまして、どうも四五日「身体(ぐあい)が悪い。」と申して居ります。それゆえお礼に参るのも延引いたしました。就きまして、甚だ軽少でございますが、ホンのお礼の印でございます。』
糊入れに包み水引を懸けてある物をそれへ取り出しました。新六は之を見ると、
新『折角でございますが、かような物は要りません。私はお礼を受けように言っておさとさんを助けたのではございません。是はお断り申します。伯父さん返して下さい。』
源『コレ、新六。何を言う{*5}。折角大坂屋さんが持って来た物を「取らねえ。」と言う奴があるか、貴様は取らないで済むだろうが、先方は礼をしなければ心が済まない。こういう物は取って置くのも人助けの為だ。大坂屋の旦那、どうも新六はまだ年がまいりませんから、遠慮が無くて困ります。』
万『ハイ、御尤もで。どうかお気には入りますまいが、お取り置きを願います。明日(みょうにち)あたりより手前も宅(たく)を普請いたします。家が出来ましたらば、どうかお二人揃ってお遊びに来て頂きたいもので。』
源『ハイ、有難うございます。』
万『おさと、よく新六さんにお礼を申せ。十五までは俺が育てたが、今度の出水(でみず)からは、新六さんのお影でお前は世の中に居(い)られる事が出来るのだ。よくお礼を申せ。』
さと『其の節は有難うございました。』
と、嬉し涙を流して礼を申した。
そこで大坂屋万兵衛は帰りましたが、跡に源兵衛が、
源『新六。人から物を貰(もら)って、取らねえばかりが正直じゃない{*6}。こういう時は貰って置くものだ。年が行かねえから仕方がねえが、是からもある事。貰うべきものはもらって、遣る物は遣れ。』
と言いながら、「何をくれたか。」と、糊入れを開いて見ると、上田(じょうでん)一反、穀物屋万兵衛から新六へ宛てての売り渡し証文。つまり、娘の命を助けられた恩に報ずる為、贈られた物。場所は天神下。是は今度の出水(でみず)でも更に水害を蒙らぬ、上々の地でございます。
源兵衛が驚いた。
源『新六、之を見ろ。田地を一反、礼に持って来た。流石に大家(たいけ)は違ったものだ、一反の田地をお前に礼にするとはえらいもんだ。百姓には金よりも大事な品。なんと新六、大した礼ではないか。』
新『妙な物を持って来ましたな。折角贈られたのですから、貰って置きましょう。』
源『一人助けて一反の田地が取れるなら、二三人助けりゃア宜(よ)かったな。』
慾ばった奴があるもので、其の後(のち)穀物屋万兵衛の家が普請が出来まして、それへ引き移ると、是が縁になって、源兵衛に新六が度々出入りをする。其の年が暮れて翌年八月の十五日。「昨年の縁起直し。」と、土佐町の八幡様の祭礼。去年の出水(でみず)で家蔵を流したと思えば、「何の仔細もない。」と、金満家(かねもち)が金を出して立派な祭りが出来た。大阪辺りから興行師が参って観物(みせもの)を張るなぞという、大層市中が賑やかでございます。二日ばかりで此の祭礼(まつり)が終(しま)って、若い者は此の間の祭の話を自慢に吹聴する{*7}。そもそも是が間違いの出来る原因は、次席(つぎ)に申し上げます{*8}。
3:底本は「家財(かざい)の内(うち)目(め) しき物(もの)を」。欠字一字を補った。
4:底本は「舟(ふね)を出(だし)て下(くだ)つたから」。欠字一字を補った。
4:底本は「舟(ふね)を出(だし)て下(くだ)つたから」。欠字一字を補った。
5:底本は「コレ新六(しんろく)何(なに)を言(い)。」。欠字一字を補った。
6:底本は「新六(しんろく)、人(ひと)から物(もの)を貰(もら)て」。欠字一字を補った。
7:底本は「祭礼(まつり)が終(しま)つて若(わか)い持(もの)は」。誤植と見て訂正。
8:底本は「抑々(そも(かな二字の繰返し記号。濁点なし。))も」。「も」は衍字と見て消去。
6:底本は「新六(しんろく)、人(ひと)から物(もの)を貰(もら)て」。欠字一字を補った。
7:底本は「祭礼(まつり)が終(しま)つて若(わか)い持(もの)は」。誤植と見て訂正。
8:底本は「抑々(そも(かな二字の繰返し記号。濁点なし。))も」。「も」は衍字と見て消去。
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