【二】
(七之助、お里に恋慕・中川、縁談の橋渡しに立つ)

 植村出羽守は高取より土佐町へかけての領主でございます。先祖は植村新三郎。徳川譜代の大名で、高は二万五千石だが富貴な家。ここに大阪の蔵屋敷の奉行で、三百石を領(と)って高木七兵衛という者がある。中々の人物でございまして、殿様には大層用いられて居ります。倅に七之助といって、廿一になる若者がある。工面の宜(い)い高木の家に生まれ、殊には一人息子というので、大層母親があまく育てる。と、是へ屡々出入りをいたして居りますのが、高木七兵衛の下役、中川幸之助と申す者が、
幸『今日(こんにち)は御不沙汰をいたしました。お頭(かしら)、其の後(のち)はいかがでございます。』
と申したは、七兵衛病気に就いて、当時大阪蔵屋敷より家に帰って居ります。七兵衛の妻君(さいくん)元と申す者が、
元『オヤ、どなたかと存じましたら中川様でございますか。お影様で大分(だいぶ)快(よ)くなりましたが、倅が又、四五日前から臥せって居ります。』
幸『それは困りましたナ。お頭(かしら)が快(よ)くなったかと思うと、今度は若旦那が御病気は困る。早速アノ玄庵でもお呼びなすって、診察(み)ていただいたら宜(よ)ろしゅうございましょう。』
元『いエ、夫(やど)の病気を毎日のように玄庵が見舞いに参りますから診察(み)てもらいましたが、女で言う血の道のようなものだと申します。』
幸『さようで。ちょっとお見舞いいたします。』
 七之助の病間(びょうま)に入って参りました中川幸之助。
幸『若旦那。いかがでございます。』
七『コレはどなたかと思ったら中川さんですか。どうも四五日前から心持ちが悪く、打ち臥して居ります。』
幸『寐て入らっしゃるのは却って宜(よ)くない。ちっと運動にお出掛けなさい。ブラブラ遊びに参りましょう。御病中(ごびょうちゅう)のお父上が御心配なさる。歩けぬ程の大病でもございますまい。』
七『それが中々の大病。』
幸『自分の口から大病と言うようじゃア大丈夫。「死にたい。」と言う病人に死んだためしは無い。あなたは気が弱いからいけない。』
七『イヤ、全く大病。いかなる名医が診察いたし、いかなる妙薬を調剤しても、手前の病気は癒(なお)りません。』
幸『是は怪しからん。そんな理由(わけ)はありません。なぜ「名医妙薬でもあなたの病気は癒らん。」と被仰(おっしゃ)るか。』
七『手前のは、四百四病の外(ほか)で。』
幸『四百四病の外(ほか)だとは、どういう病気ですか。お話しなさい。』
七『あなたならば手前の病気は癒(なお)す事が出来るかも知れぬ。玄庵如きがいかなる薬を調合しても、よし人参で湯を沸かし、それを浴びた処で手前の病気は癒りません。あなたなら癒す事が出来る。』
幸『ヘエヘエー。妙な病気に取りつかれましたナ。私は医道は学んだ事がない。殊に御覧の通り壮健の身体(からだ)で、薬というものは孤児(みづこ)の時にまくりより外(ほか)に飲んだ事はございません。それゆえ他人(ひと)の病を癒(なお)すなんという事は、とても出来ません。』
七『イヤ、中川さん。私が真(まこと)の病気ならあなたに癒らないかも知れませんが、病の外(ほか)の病気ですから癒す事が出来ましょう。此の病気を御癒し下されば、お礼としてあなたの慾(ほ)しがる此の一竿子(いっかんし)の刀と金子を五両、失礼ですが差し上げましょう。』
幸『ヘエー。それは有り難い。全体どういう御容体。』
七『お笑い下さるな。』
幸『あなたの病気と承って、何で私が笑いましょう。』
七『それならお話をしますが、実は拙者の病気は恋病(こいやみ)でござる。』
幸『ブッー……。』
七『コレはしたり。お笑いなさるではないか。』
幸『是は笑わずに居(い)られません。病人が戯れを言われるようなら大丈夫。モー御全快だ。』
七『戯れではございません。』
幸『しからば全くの恋病(こいわずらい)。』
七『いかにも。』
幸『真実(ほんとう)に。』
七『さよう。』
幸『確かに。』
七『いかにも。』
幸『いよいよもって。』
七『さよう。』
幸『全く。』
七『勿論。』
幸『確かにいよいよ。』
七『そう御念には及びません。お疑いとあらば、手前金打(きんちょう)をして御覧に入れる。』
幸『なにも金打する程の大業(おおぎょう)な事ではございません。して、恋病(こいわずらい)と言う以上は、拙者察する処、相手は女でござろう。大地を打つ槌は外(はず)れるとも、拙者は見込んだ恋病の原因は、此方(こっち)が男ならば相手は女、此方(こっち)が女ならば相手は男でござろう。若旦那、うまく当たりましたろう。』
 人を馬鹿にした奴があるもんだ。
七『いかにも相手は一婦人(いっぷじん)、赤面の至り。』
幸『決して赤面する処はございません。伝え承るに、清水寺の清玄(せんげん)は、京極宰相の御休所(おやすみどころ)の艶なる姿に迷い、遂に堕落いたしたと申します。又岩倉谷の宗玄といえる坊主は織琴姫に迷い、寝ても覚めても姫の事を忘れず、「アー、忘れたい。忘れたい。」と申した由。そんなに忘れたければ茗荷でも喰えば宜(よろ)しかろうに、アノ坊主は日本に茗荷あるを知らぬ。アレを「茗荷知らずの坊主」と言う。名僧智識ですら、婦人に迷えば斯くの如し。況(いわん)や凡夫も凡夫も大(おお)凡夫、機械凡夫のあなたが……。』
七『マアお待ち下さい。機械凡夫は怪しからん。』
幸『して、相手は何人(なんぴと)でございますか。仰せ聞けられたい。』
七『しからば申し上げよう。』
幸『何人(なんぴと)でございます。どうもあなたは変わって居(い)るから、普通(ただ)の女ではありますまい。大方、古い草双紙の中にある女なぞを見て「是が宜(い)い。」なんと言われては、向うの相手が草双紙の絵にある女ですから、尋ねようがございません。』
七『イヤ、さような者ではございません。近所に居(お)る婦人で。』
幸『ハヽア――。一ツ当てて見ましょうかな。さよう、さようさ。あなたの目につく女は御家中(ごかちゅう)の娘で、誰だな。中村の娘。アレは本年確か十七八才、色の白い丸々と肥満(ふと)った綿細工のチンコロのような形をいたして居(お)るが、彼かな。』
七『イヤ、さような者ではござらん。』
幸『夫(そ)でなければ川崎か、但し鶴見の娘か。夫(そ)でなければ神奈川か平塚か。藤沢か小田原を越したかな。』
七『マアお待ちなさい。東海道五十三駅(つぎ)を並べられては堪らない。申し上げるからモソット傍へお寄り下さい。』
幸『宜(よろ)しい。』
七『お耳を拝借。』
幸『サア御遠慮なくお遣い下さい。ウフン、成る程。さては是は恐れ入った。』
七『と申すような次第。お判りになりましたか。』
幸『とんト判らない。』
七『是は怪しからん。あなた今お聞きになったではありませんか。』
幸『イヤ、此の右の耳はナ、昨年斎藤の為に竹刀で横面(よこめん)を打たれて、それから以来、右の耳はどうも思うように聞こえません。』
七『聞こえない耳をお出しになるのは……。』
幸『イヤ、「お貸し申すのだから悪い方が宜(よ)かろう。」と思ったが、聞こえなくッては何にもならぬ。サア今度は大丈夫。左の耳、是は受け合(あつ)てさし上げる{*1}。決して他の店で売り捌くような品は差し上げない。丸に八の字の商標にお目とめられてお使用(つかい)を願います。昨日此処に居(お)って今日此処に居(お)らんという商人(あきんど)とは違う。』
七『御冗談被仰(おっしゃ)るな。それは香具師が蚤よけを売る口上だ。宜(よろ)しいか、よくお聞き下さい。こういう訳で。お判りになりましたか。』
幸『是は怪しからん。あなたは大阪屋万兵衛の娘さとを見染めたとは、是は……。』
七『しッ。』
幸『イヤ、是は失礼。』
七『中川さん、言ってしまってから口に手を当てても間に合わない。実は先日、祭礼に招(よ)ばれて万兵衛方へ参った際に、彼の姿を見て、それから以来鬱々として心楽しまず。大方是が恋病(こいわずらい)とでも申すのでござろう。』
幸『高の知れた大阪屋万兵衛の娘。あなたより縁談を申し込めば喜んで承知いたします。先方は承知をするとした処で、此方(こっち)の御両親が不承知では困る。』
七『どうか其の事は、あなたから両親に話していただきたい。』
幸『委細心得ました。此方(こっち)の御両親の承諾を得て、大阪屋へ参って談判(かけあい)ましょう。あなたのお父上は蔵奉行。大阪屋は穀問屋。お父上の為に儲けた事があるから、先日の祭礼にもあなたをお招(よ)び申したので。宜(よろ)しい。早速大阪屋へ出懸けましょうが、ちと手前が困る事がある。と申すは、一昨年、払い米(まい)の時に大阪屋には三両借用がござる。どうもそれを持ってゆかずに参るというのはちと困るが、いずれ御返済いたしますが、御手元に三両ございますか。』
七『三両で宜(よろ)しいか。』
幸『さよう。一昨々年二両借りた事がござったが、それは返さずと宜(よ)かろう。』
七『イヤ、しからば五両お渡し申そう。返すものは返して談判していただきたい。』
幸『デござるか。しからば此の金子は手前拝借をいたす。いずれ両三日内に持参を……ハア、さようでござるか。それはお気の毒千万。しからば頂戴いたし置く……。』
 何とも向うで言わぬ内に貰ってしまう。弱身につけ込む、是を疫病神と言う。
 七之助の病間(びょうま)を出て母に対(むか)い、
幸『御新造。若旦那の御病気、悉皆(すっかり)判りました。実はこういう訳で、あなた方が「町人の娘で宜(よろ)しい」と言うのならば、手前がお橋渡しをいたす。いかがでございます。』
 言われて、元来一人子息(こ)とて、玉のように思い居(い)る倅七之助の事、母親は早速承知をした。此の事を高木七兵衛に告げました。七兵衛も大阪屋の娘さとが頗る親孝行で、心だて良き事は兼ねがね承って居(お)りますから、「此の縁談が纏まれば、倅も仕合せ、吾々老夫婦も安心が出来る。」と、是も喜んで承知をいたしました。
 ソコで愈々橋渡しが中川幸之助と決定(きま)ったが、此奴(こいつ)飽く迄狡猾な奴。七之助の母に対(むか)って、
幸『さて御新造。誠に恥じ入った事でございますが、一昨年払い米(まい)のありました時に、大阪屋には三両借用金がございます。是から懸け合いに参るにも、其の金を返さずに参るは、ちと赤面いたします。甚だ恐れ入りましたが、三両御拝借をしたいもんで。』
母『ア――、宜(よ)うございますとも。それじゃア之をお持ち遊ばせ。』
幸『有難い事で。処で御新造、此の拝借金の事は、若旦那へは御内聞に願います。余りと申せば手前が意久地の無いようで、若旦那に聞こえては赤面のいたり。どうか御内聞に……。』
 ひどい奴があるもので、両方から金を取って、「まず運動費が出来た。」と、本町の穀物問屋大阪屋万兵衛の処へ参ります。
 お話し別れて、此方(こちら)は大阪屋の娘さと。当年十六才。鄙には稀な美人で、殊に頗る親孝行。近頃新六が眼病(がんびょう)で苦しんで居(い)る事を聞き、「どうかそれを癒(なお)したい。」と一生懸命壺阪の観世音を信じて居(お)ります。
 此の新六が眼病(がんびょう)になった元は、去年の出水(でみず)の時、おさとを救わんと濁流に身を投じた其の時に、泥水が眼に入って、それから引き続いて悪い。今日(こんにち)でも隅田川なぞで水練をなさる方が、よく眼を病(わずら)います。泥水に眼をひたしては堪りません{*2}。おさとは一生懸命に「恩人の眼を癒(なお)したい。」と、神仏に祈誓をする。
 同じ娘でも鮨屋の娘とは大違い。鮨屋のおさとは三位中将維盛卿を慕い、「草めずらしい片田舎に、絵にあるような殿御のお出(い)で。雲井に近き御方に鮨屋の娘が惚れらりょうか。」と、枕を持って愚痴をならべる。親子親類縁者揃っては、聞くに堪えぬ見るに堪えぬ、猥褻極まった芝居や浄瑠璃でございます。同じおさとでも此のおさとは、特別垢(あく)抜き砂糖、一斤三十銭位。一杯五厘のアイスクリームには遣えない品物。かほどお里が苦心をしても、日増しに新六の眼が悪くなりまして、近頃では物の黒白(あいろ)も判りません。
 人間の身体(からだ)にどこがだいじだといって、眼程大事なものは無い。眼は「まなこ」と言う位、人を見て賞(ほ)めるにも、「アノ人は目鼻立ちがパラリとして居(い)る。」と言う。もっともどんな人間でも、目と鼻と一所(いっしょ)にくッついて居る奴はない。目と鼻はパラリと離れて居(い)るに違いないが、顔はいくら包んでも、目を出して居(い)れば誰という事がすぐ判る。
〇『誰だエ、其処から覗いて居(い)るのは。横町の熊の奴郎(やろう)だろう。』
 是が目だからすぐ判る。同じ顔の道具でも、鼻では判りません。
〇『誰だ、其処から鼻を出して居(い)るのは。大きな鼻だナ。弓削の道鏡でなければ円遊だろう……。』
 鼻で判るのは円遊と道鏡ばかり。デ、人間の目は二ツあって、物は逆さに映(うつっ)て真直ぐに見える{*3}。二ツあって物が一ツに見える。本来ならば、二ツの目に映て居るから二ツにみえなければならない訳。一ツの目の人でも一ツに見えません。どうも二ツあって物が一ツに見えるのはおかしい。「それなら何が為に人間に二ツ目をつけて置くか。」と、先日学者に質(たず)ねたら、「それは目の力を強くする為、二ツつけてあるのだ。」と申しました。目の力を強くするが目的なら、二ツだけの力を一ツにしたら宜(よ)さそうなもの。二ツあって一ツに見える処から考えると、片目の人が真人間で、二ツある吾々は不具者(かたわ)、或は贅沢者かも知れない。此の事を医者に聞くと、「二ツあって一ツに見えるのは、微妙なる神経の作用だ。」と謂う。此の「微妙なる神経」という言葉がどういう訳かと聞いても、答える人は少ない。高尚なような曖昧な言葉だ。なんと諸君、講釈師にもえらい学者があるでしょう。此の位、目の事を委しく知って居(い)る者は余りない。浪花節と違う処はここにある……、自慢をする程えらくもないが。
万『是は中川さん、よく入らっしゃいました。』
幸『どうも御無沙汰をいたした。少々今日はお話し申したい事があって参ったが。』
万『何の御用でございますか。』
幸『時に娘はどうした。』
万『宅(たく)に居ります。』
幸『何才(いくつ)になったかナ。』
万『本年十六でございます。』
幸『早速話をするが、お前達の喜ぶ事がある。と申すは、お前も知って居(い)る、蔵奉行の高木七兵衛様だが、其の御子息の七之助様、先達て祭礼(まつり)の時にお前の処へ参って馳走になった由。』
万『ヘエヘエ。存じて居ります。』
幸『アノ方が、お前の娘のおさとを見染めて「どうか女房(かない)にしたい。」と申すのだ。勿論武家が町人の娘を公然(おもてむき)女房(かない)には出来ないから、仮親(かりおや)をこしらえて、嫁にもらうのであろう{*4}。ご両親も「アノ孝行な娘が倅の嫁になれば誠に有難い。どうか周旋(せわ)をしてくれ。」と拙者にお頼みになったから、今日(こんにち)参ったが、どうだろう。さとを高木様の処へ遣らんか。お前も親類になって是から先、商売都合も宜(よ)かろうと思うが。』
万『有難い事で。高木の若旦那はお何才(いくつ)でございます。』
幸『本年廿一才、顔も悪い方ではない。アレならば、さとを遣わした処で、恥ずかしくはあるまいと思う。』
万『結構でございますが、一応娘に申し聞かせました上で御挨拶をいたします。両三日御猶予を願います。』
幸『委細承知した。それでは明後日迄に返答してもらいたい。拙者が聞きに参るから。』
万『畏まりました。』
 是から御馳走をして中川幸之助を帰しました。
 高木の倅七之助は、「どういう先方で返答をしたか。」と待って居りまする処へ、中川が返って来た。
七『イヤ、是は中川殿。大きに御苦労でござった。先方は何と申しました。』
幸『さよう。』
と言ったが考えた。明後日返答を聞きにゆくのであるから、今の処は雨か風か判りませんが、「十中の八九大丈夫。纏まる。」と思いますから、「是は七之助を喜ばして、五両の金に一竿子(いっかんし)忠綱の刀を貰って置く方が宜(よ)かろう。」と、飽く迄も狡猾な中川幸之助{*5}。
幸『イヤ、若旦那お喜びなさい。大阪屋も大層喜んで、「こんな結構な縁談は二度と再びかかるまい。娘の出世である。有難い事だ。」と、夫婦二人は嬉し涙を流して喜びました。ソコデ拙者もお口入をいたした甲斐があるから、あなたに一刻も早く此の色宜(よ)い返事を申し上げようと存じて……』
七『それは千万忝い。おさとも承知をいたしましたか。』
幸『エー、大阪屋夫婦は「誠に良縁だ。」と申して喜んで居ります。』
七『イエ、拙者はおさとを妻にいたすので、大阪屋夫婦を引き取るんではない。当人は何と申して居りましたか、それを承りたい。』
幸『それは勿論……』
と言ったが、おさとの返事はまだわからない。しかしここは曖昧にゴマカシて置く方が利益だと考えて、
幸『大阪屋夫婦がおさとを招(よ)んで聞きました処、何分本年僅かに十六才の処女(おぼこ)の事とて、遂に返答はいたしません。顔に紅葉(もみじ)をちらし、畳のけばを摘(むし)って、袂の先で「の」の字を書いて居ります。「め」の字なら薬師様へ納めますが、「の」の字では是を蛇の目の紋と見たって、清正公様へ納めるより他に持ってゆき処がない。』
七『何も額の話を聞いて居(い)るのではござらん。おさとは何と答えたか。』
幸『十中の八九大丈夫。しかし念の為であるから明後日、拙者が今一度参って質(たず)ねて見ましょう。』
七『それは忝い。多分宜(よろ)しいようですか。』
幸『多分どころではござらん、まるでと宜(よろ)しい。受け合って此の縁談は纏まります。』
七『いろいろ御尽力下すって忝い。かねてお約束したお骨折りのお礼として、一竿子(いっかんし)の一刀と金子五両……』
幸『それは千万忝い。折角のお志、頂戴仕る。』
七『イヤ、是は誤りもござるまいが、明後日の返答によって其許(そこもと)にお渡し申そう。それまでは確かに拙者がお預かり申した。』
幸『ハア、是は少し驚いた。』
 中々先方(むこう)も狡猾で、迂闊(うか)とは渡さない。
七『処で中川氏。成るべく輿入れは早い方がよろしい。あなたがお出(い)でになった跡で暦を調べましたが、どうも当月は吉(よ)い日がない。そこで隣家から暦を借りて調べましたが、是にも当月は吉(よ)い日がない。』
幸『是は御冗談ばッかり。暦は何処の暦でも同じ事。御当家のと隣家のと異(かわ)りはない。』
七『どうか此の上とも何分お願い申し上げます。』
 それより七之助の両親にも、「明後日になれば判る。」という事を告げて、中川幸之助は立ち帰りました。次はいかがに相成りましょうか、明晩。

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校訂者注
 1:底本は「是は受け合(あわ)てさし上げる。」。誤植と見て訂正。
 2:底本は「泥水(どろみづ)に眼(め)をしたしては」。読みやすくする意図で修正。
 3:底本は「物(もの)は逆(さか)さに映(うつ)て」。脱字と見て一字補った。
 4:底本は「武家(ぶけ)が数人(すうにん)の娘(むすめ)を」。誤植と見て訂正。
 5:底本は「明後日(めうごにち)返答(へんとう)を聞(き)くにゆく」。誤植と見て訂正。