【四】
(お里、伝九郎に騙される 七之助と伝九郎の悪計 偽の証文 お里と沢市の別れ)
(お里、伝九郎に騙される 七之助と伝九郎の悪計 偽の証文 お里と沢市の別れ)
新六の妻おさとは、何とかして夫の眼病を癒(なお)したいけれども、療治をするにも先立つは金、今の身分では一両の融通も付かない。「どうしたものか。」と思案にくれましたが、ふと思い出したは、この高取の在に柏木村の百姓与作は父の義理ある弟。此の者に話して金子調達なさんと、新六の前は「神詣り。」と申して宅を出ました。ちょうど町の外れ、松並木迄かかると、向うから参りましたは、此の町の遊び人・伝九郎という奴。かねて新六の叔父の源兵衛と懇意な仲。自然、おさとを知って居ります。
伝『おさとさん、何処へ御出(い)でなさる。』
さと『柏木村まで用があって参ります。』
伝『そうですか。大層顔色が悪いが、感冒(かぜ)でもひきなすったか。』
さと『ハイ。』
伝『イヤサ、おさとさん。どうも私(わっし)の見た処では、言うに言われない心配があるようだ。お前さんの御亭主新六さんの伯父さんとは、子供の内から友達であるし、先方(むこう)は堅気な百姓になり、此方(こっち)は金兵衛親分から盃を貰って博奕打ちとなり、稼業が雪と墨程違うから、其の後無沙汰がちに過ごしましたが、お前さんの阿父(おとっ)さん大阪屋の旦那にも、世話になった事がある。して見れば知らねエ仲じゃアねエ。何か心配があるなら、相談相手になろうじゃアございませんか。モー私(わっし)も是五十だ。今迄した事を考えれば考える程恐ろしくなった。壺皿を握った手に、御覧なさい。此の通り、珠数を持って、今寺詣りをした帰りだ。悪党も仏いじりをするようでは往生でございます。』
さと『御親切に御尋ね下さいまして有難う存じます。実は夫の眼病の手当てをいたす為に、柏木村の親類へ参りまして、お金を借りようと思って是迄参りました。』
伝『何かエ、新六さんの眼病を癒(なお)す為。成程、アレは生来(うまれつき)の盲目(めくら)でないから、手当をしたら癒らない事もありますまい。全体、何処の医者を頼みなさる。』
さと『大阪の八軒屋に眼科のお医者で松波良山という先生が、大層な名人だと承りました。是へ遣って、療治をさせようと思います。』
伝『成程。しかしこいつは入費がかかる。新六さんの介抱人にお前さんが従(つ)いて、旅籠飯(はたごめし)を喰ってお医者様に通って居た節(ひ)にゃア、少しばかりの金じゃア中々十分な手当は出来ねエ。こう申しては失礼だが、お前さんの実家は潰れてしまい、新六さんも貯えがある方じゃアなし。ソコデ柏木村の親類へ金算段にお前さんがお出(い)でなさると言うが、先が有り余る身代なら知らねえ事、ようよう其の日を送って居(い)る百姓。お前さんの為には大切な新六さんだろうが、御親類の為には別段大切な人でもあるめエ。ソコへお前さんが出懸けて往(い)って「金を貸してくれろ。」と言った処で、二朱や一分は貸すだろうが、大阪へ二人を遣って宿屋に泊まって医者に通わせる程の金は貸すめエと思う。おさとさん、コリャアお止(よ)しなすった方が宜(よ)かろう。修羅を燃やして帰るだけ、つまらねエと思う。』
言われておさとも、「成程、伝九郎の言う通り。遠縁の与作、纏まったお金は貸してはくれまい。早くこうと知ったなら、出て来るのではなかった。」と、頻りに考えて居ります。
容子を見て取る伝九郎、
伝『おさとさん。全体いくら金があったら新六さんの療治が出来ます。』
さと『十両もございましたら。』
伝『十両。お前さんは大家(たいけ)に育って金の有難味を知りますまいが、一両は判金(ばんがね)と言い、十両は大金と言う。どうして百姓が十両、容易な事で出すものじゃアございません。田地を質に入れて金を借りるにした処で、モー十両となれば、組頭の二人も判を押して、名主立ち合いでなければ貸人(かして)がございません。しかし、お前さんの貞女に私(わっし)も感心した。どうです。奉公して、十両でも廿両でも入り用だけの金を借りたら、どうでございます。』
さと『ハイ。アノ、奉公と申しますと。』
伝『一口に奉公と言うが、是にも種々(いろいろ)あります。何も女郎になれと言うのじゃアございません。此の奈良の天蓋に桜屋という料理茶屋があって、其処の亭主と私(わっし)は昔の博奕友達。是は今では料理屋の主人(あるじ)で、元道楽者だけ人の思いやりもあり、中々判った人物です。此の間、私(わっし)が奈良へ遊びに往(い)った帰りに、桜屋に寄って昔話をした末に、酌女を一人頼まれました。「年が若くって容貌(きりょう)が美(よ)く、人応対の宜(よ)いものがあったら、少し位金は多(は)っても抱えたい。」と、こう言って居りました。「諸方の料理茶屋を飛んで歩いた渡り者は、少し尻が暖(あった)まると出て往(い)ってしまい、貸した金を踏み倒される。どうか『堅気でこういう奉公をしたい。』と言う者が慾しい。」との事だ。というのは、桜屋が馬鹿に堅い茶屋で、お客が女中に悪戯(ふざ)けをすれば、亭主が出て来てお客に小言を言う位なのです。質朴(いっこく)者で桜屋の主人(あるじ)が通って居ります。是へ奉公したら、十両や十五両の金は無理に頼んで借りて上げましょう。なアに、金せーありゃア、お前さんが従(つ)いて居なくっても、新六さんの療治は充分出来ます{*1}。』
さと『御親切に有難う存じます。それでは新六に相談いたしまして、いずれ明日(みょうにち)にもあなたのお宅へ御挨拶に参ります。』
伝『善は急げ。こういう事は早い方が宜(い)い。桜屋に女中が這入ってしまうと、お前さんの世話が出来なくなる。すぐ帰って新六さんに話して、明日(あした)の朝、返事を聞かして下さい。』
さと『それではそういう事に願いましょう。』
伝『用が済んだら早く御帰んなさい。新六さんが待って居ましょう。何しろ中年で盲目(めくら)になったから、さぞお前さんが骨が折れるだろう。じゃア明日(あした)御目にかかります。』
さと『それでは御免遊ばせ。』
と、二三間(けん)往(ゆ)くを呼び止めた伝九郎。
伝『モシモシ、おさとさん。私(わっし)の家(うち)を知ってるネ。』
さと『ハイ。存じて居ります。』
伝『それから新六さんによくそう言って下さい。「以前(むかし)の伝九郎とは伝九郎が違った。此の通り珠数を持って寺詣りをする程耄碌をした。親切で世話をするんだ。決して野心があってするのじゃない。心配をしなさるな。」と、よく話しておくんなさい。宜(よ)うございますかエ。ヘエ、さようなら。』
おさとの姿を見送る後(うしろ)の松影よりヌッと出たは、植村の家来、蔵奉行を勤める高木七兵衛の倅七之助。
七『伝九郎か。』
伝『コレは高木の若旦那。今の話をお聞きなさいましたか。』
七『イヤ、委細は此の松影で聞いた。流石は悪党。うまいものだナ。』
伝『ヘヽヽ。賞(ほ)められるんだか悪く言われるんだか判りません。かねてあなたに頼まれたおさとの一件。「普通(あたりまえ)じゃアとてもあなたの言う事をきくめエ。」と思い、先方(さき)が困って居(い)るのが幸い。茶屋奉公と欺(だま)して引き出し、あなたの思いを晴らさせようと、婆アさんの持った珠数を道具に、是から新六の処へ出懸けて往(ゆ)こうという処へ、アノおさとと出会ったのが運の尽き。七年前に郡奉行に引き立てられ、石を抱いた其の時に流した涙を、久しぶりで今日出して、アノ女を欺(だま)しました。しかし若旦那。是ほど骨を折る伝九郎に、いくらか褒美の手付をくれても宜(よ)うございましょう。』
七『イヤ、恐れ入った。サア、手を出せ。コレコレ、両手を出すには及ばん。片手で宜(よろ)しい。』
伝『貰う物なら夏も小袖。全体いくら下さいます。』
七『黙って之を取って置け。』
伝『ヘヽヽヽ。是やア二両でございますネ。』
七『事成就いたせば、約束通り十両は遣わす。』
伝『有難うございます。』
七『処で伝九郎。是から先どういうようにして、おさとを連れ出す。』
伝『細工は流々、仕上げを御覧(ごろう)じろ。ちょっと若旦那、お耳を。』
七『ウフン。成程、さようか。』
伝『お宅へ連れて往(い)って宜(よ)うございますか。』
七『宜(よろ)しい。父は大阪へ出張して留守。母も四五日前から大阪へ参って是も不在。跡は若党の佐平次に僕ばかり。別に心配な者はない。』
伝『宜(よ)うございます。それじゃア遅くも明後日(あさって)の晩までに、きっと玉をお届け申します。』
七『どうか頼む。』
悪い奴があるもので、伝九郎が頼まれて居た処へおさとが相談したのですから、間違いの出来る訳。伝九郎は我が家(や)に帰り、女房のお亀に此の話をした。「鬼の女房に鬼神。」とやら。此のお亀が、旅から旅を股にかけた悪婆(あくば)の果て。男出入りで額に受けた疵から「三日月お亀」と異名を取った毒婦。「相手は蔵奉行の高木の倅。ここの十両は安いが、一旦此の悪事を押さえて置けば、金が入り用のある度毎に七之助をゆたぶれば、小遣銭(ぜに)に不自由はない。高取町の高木という家(うち)に金の成る木の芽生(めばえ)を植えたも同じ事。大分運が向いて来た。」と、夫婦は前祝いに一杯呑んで寝に就きました。
翌朝早く起きて食事も済み、「モーおさとが来そうなものだ。」と話して居(い)る処へ、
さと『御免下さいまし。』
伝『ハイ。イヤ、是は誰かと思ったら、おさとさんでございましたか。阿母(おっか)ア、おさとさんが来たよ。』
かめ『オヤマア、よくお出(い)ででございました。どうか此方(こちら)へ……イエ、家(うち)の人から万事は聞きましたが、真実(ほんとう)に貴嬢(あなた)は貞女だねエ。新六さんの目を癒(なお)したいというので、大層御苦労なさるとの事。お気の毒さまでございますネ。』
伝『オー、阿母(おっか)ア。余計な事をベラベラしゃべりなさんナ。おさとさん、新六さんは何と言いましたエ。』
さと『いろいろと昨日も相談をいたしました処、一時不承知を申しましたが、段々と話を致しましたら、ようやく承知を致しました。』
伝『さようですか。堅気は茶屋奉公というと驚くから、どうかと思って、今朝も阿母(おっか)アと其の話をして居りました。処で、是からすぐ私(わっし)は奈良へ往(い)って、桜屋へ懸け合って金を借りて参ります。明日(あした)の朝、お金は私が証文と引き替えに、お前さんのお宅へ御届け申します。マア今日はゆっくり此処に遊んでお在(い)でなさいまし。そうでございますかエ。「病人があってそれが気になる。早く帰りたい。」御最もな事だ。それでは明日(あした)お目にかかります。』
万事親切に受け合ってくれたので、詐(だま)されるとはすこしも知らず、おさとは喜んで帰る。
すぐと伝九郎は高木の処へ出て参りました。七之助は待ち兼ねて居ります。
七『オー、伝九郎。どうした。』
伝『エー、おさとが参りました。明日(あした)証文と引き換えに金を渡す事にしましょう。どうか十五両出しなすって下さいまし。』
七『さようか。佐平次。ちょっと其処にある手文庫を持って参れ……デワ十五両。』
伝『確かに受け取りました。』
七『ソコデ、おさとはいつ連れて来る。』
伝『明日(あした)日が暮れると、此方(こっち)へ連れ込んで参ります。』
七『なるべく早い方が宜(い)いナ。』
伝『イエ、それがそういきません。と言うは、昼間此方(こっち)へ連れて来れば、おさとに判ります。夜なら駕(かご)の垂(たれ)を下ろして、殊に暗夜(やみ)だし、駕(かご)屋は此方(こっち)の同類。胡摩化してお宅へ連れて参ります。どうか其のつもりでお在(い)でなすって下さい。』
七『さようか。どうか頼む。』
伝九郎は十五両の金を持って帰って参りました。翌日新六の処へ参って其の金を渡した{*2}。
新六は、心に済まぬ事であるが、「たっておさとが、茶屋奉公をしても自分の目を癒(なお)したいという親切。それを無にするも気の毒。目さえ癒れば必死に稼いで十五両の借財を払い、おさとを連れて帰る事も出来よう。殊に、女郎になるとは違い、料理屋の酌女。おさとが操を汚す事もあるまい。」と、こう思って承知を致しました。
伝『じゃア新六さん。十五両、お前さんに渡す。処で、証文を入れてもらわなければならぬ。お前さんは目が悪いから書けまいと思って、此方(こっち)で証文は拵えて来た。どうか是へ判を押してもらいたい。それからおさとさんの爪印が入り用だ。なに、読むにやア及ばねエ。大抵判って居(い)る。只「二年奉公する。」というだけの文句だ。心配な事はねエ。』
沢『ハイ。それじゃアおさと、ちょいと判を出して。』
さと『どこへ判を捺します。』
伝『ここへ名前が書いてあるから、此の下へ捺して、お前さんの名の下へ爪印を捺しておくんなさい。それで結構結構。』
証文をクルクルと巻いて懐中に入れた伝九郎、
伝『ソコデ、おさとさん。今日すぐ私(わっし)の処へ来ておくんなさい。先方(むこう)から迎いの駕(かご)が来るから、それへ載せて奈良へ往(ゆ)くように話が出来て居(い)るんだ。』
さと『ハイ。』
とは言えど、目の見えぬ夫を一人残して行(ゆ)くおさとの腸(はらわた)は、断ち切るような思い。
さと『それでは新六さん、是から伝九郎さんのお家(うち)へ参って、奈良へ行(ゆ)きます。どうぞ其の金を持って療治をして、一日も早く癒(なお)って下さい。』
沢『イヤ、お前の親切、仇には思わない。どうか伝九郎さん、おさとの処は願います。』
伝『決して心配しなさんな。是が死に別れというのじゃアなし、十五両の金さえ持ってゆけば、いつでもおさとさんは帰って来られるんだ。サア、支度が宜(よ)ければ出懸けましょう。』
急き立てられて、おさとは着替えの衣類を小包にし、別れともなき夫に別れ、門口に出る。思いは同じ新六が、見えない眼を開いて、手さぐりながら門口へ出て、
沢『おさと、忘れ物はないか。』
さと『イエ、忘れた物はございません。新六さん、お前の身の上は、向うの伯母さんに頼んで置いたから、一日も早く大阪へ往(い)って療治をして下さい。』
沢『イヤ、言う迄もない。涙で出来た此の十五両、なんで俺が無益(むだ)に遣うものか。煩わぬようにしておくれ。コレコレ、おさと……オー、モー往(い)てしまったか。』
汚れし手拭を顔にあて、男泣きに新六が泣き出す。おさとは伝九郎に連れられ、一と足ずつに深みへ這入るとは夢さら知らず。是からいかが相成りましょうか。ちょっと休息。
校訂者注
1:底本は「何(な)アに金(かね)せ一ありやア」。読みやすくする意図で修正。
2:底本は「其金(そのかね)を渡(わた)し 新六(しんろく)は」。カスレ一字を補った。
コメント