【十一】
(伝九郎の悪計 按摩の広告 六地蔵での争闘 七之助の死 江戸金の深手)
中川幸之助に高木七之助の二人が互いに争って居(い)る処へヌッと出たは、蝮の伝九郎{*1}。
伝{*2}『あなた方が今日追放になるという事を聞いて、此処に待って居りましたが、私(わっし)の言う事を心を静めて一と通り聞いておくんなさい。』
七『誰かと思ったら伝九郎か。イヤ、どうも今度は大しくじり。』
伝{*3}『是も誰ゆえ小町ゆえ。今更愚痴を言った処で仕方がねエ。私(わっし)も女房(かかあ)は駕屋(かごや)に殺され、肝心なお里は江戸屋に引っさらわれ、虻蜂取らずで、居馴れた土地にも居(い)られねエような事になりました{*4}。』
七『それは宜(い)いが、伝九郎。貴様はひどい奴だ。俺に魔睡(しびれ)薬を飲まして、お里を引っさらって参るとは。いかに悪党でも、ちっと酷すぎるではないか。』
伝{*5}『どうか其の事は言っておくんなさるナ。今にも話した通り、さらった女(たま)は江戸屋に持ってゆかれ、お前さん達を苦しめたお蔭は微塵もございません。是から先は今までの罪滅ぼし。あなた方の味方になって、御相談に乗りましょう。』
七『既往は尤(とが)めずと言うが、どうも貴様のし方、ちっと憎い。』
伝『お前さんも悪党に似合わなねエ。思い切りが悪いじゃアありませんか。それに、今聞いて居(い)れば、路費(ろよう)が無エから、中川さんが「くれろ。」と言うのを、押し問答をしておいでなさる。俺(わっち)も悪党だ。沢山の金は出来ませんが、二人に百両出しましょう。』
七『イヤ、それは忝い。何と中川。伝九郎が二人に百両くれるそうだ。』
幸『それは有難い。魔睡(しびれ)薬を飲ました詫賃に百両とは、流石は悪党。話が判って面白い。どうか、伝九郎。早く百両出してくれ。』
伝『ここにはございませんヨ。』
七『偖はいづれかに隠匿(いけ)て置いたか。』
伝『冗談言っちゃアいけません。百両隠匿(いけ)てある位なら、こんな処に彷徨(まごまご)しては居りませんヨ。』
幸『どうして吾々に百両金をくれる。』
伝『実はネ、今度の一件も、江戸屋という奴郎(やろう)が邪魔をしたので、お前さん達も追放になり、俺(わっち)も永い草鞋を穿くようになったのだ。往(ゆ)きがけの駄賃に江戸屋を殺(ばら)してお里を引っさらい、宿場へ売って金にしたら、品物が良いのだから、二百両や三百両にはなりましょう。そうすれば、お前さん方も百両位小遣いが取れましょう。』
幸『それでは今手許に無いのだナ……しかし、此件(こいつ)は伝九郎、むずかしいぞ。今迄二度ともし損じて見れば、どうも今度もうまくゆきそうもない。』
伝『処が今度は大丈夫。江戸屋が居(い)ちゃア、し損じもありましょうが、アノ奴郎(やろう)を殺(ばら)してすぐ、其の足でお里を引っさらい、遠く往(ゆ)けば兵庫、近くは大阪。此の二ヶ所へ持って往(い)って、たんまりと金にして、暖まろうじゃアございませんか。』
幸『成程。それにしても江戸屋は中々腕が利いて居(い)るという話だが、どうして彼奴(あいつ)を殺(ばら)す。』
伝『それに手落(ぬかり)はございません。時々江戸屋が柏木村の東陽寺へ碁を打ちに行(ゆ)くとの事。其の帰途(かえり)を待ち受けて不意に斬(や)ったら、殺(ばら)せねエ事もございますまい。江戸屋を殺(ばら)して恨みを晴らし、それからおさとを引っさらい、金に替えて高飛びをしたら宜(よ)かろうと、マア、此の伝九郎は思います。』
幸『成程。いかに江戸屋が腕が利いて居っても、暗夜の礫は防ぎ難し。是は伝九郎の考え通り、うまくゆくかも知れない。高木様、あなたは何と思いなさる。』
七『イヤ、それは面白い。それでは江戸屋を殺して。』
と、同類求むる悪党達、ここに相談一決致しました。
かかる事とは知らぬ江戸屋の金兵衛。沢市お里の二人を土佐町に帰して乾児(こぶん)に言い付け、沢市が按摩をして世渡(よすぎ)の出来るように、懇意の誰彼を頼み、出入りをさせる事にした{*6}。按摩の広告は珍しい。
乾『御免下さい。』
△『イヤー。是は江戸屋の若い衆さん。何か用かネ。』
乾『お前さん、肩は充血(は)りませんか。』
△『宜(よ)い按排(あんばい)に、生まれて此の方、肩の充血(は)ったという味を知らない。』
乾『其奴(そいつ)ア困ったナ。』
△『何、困るもんか。肩なぞが充血(は)っては稼業に差し支える。』
乾『足はどうだイ。』
△『足も壮健(たっしゃ)だヨ。十里日帰り、廿五里日着(づ)けだ。』
乾『いよいよ困ったナ。お前さん、按摩に揉んで貰った事はないかエ。』
△『按摩を取るとクスグッたくていけねエ。按摩は大嫌いだ。』
乾『お前さん、人間かエ。それとも鉄か。』
△『冗談言っちゃアいけねエ。人間でなくてどうする。唯、時々頭痛がしていけない。』
乾『しめた。』
△『オイオイ、人の頭痛を疝気に病むという事はあるが、頭痛を聞いて、しめたとは何だエ。』
乾『お前さんも知って居(い)るだろうが、家(うち)の親分が世話をした按摩の沢市さんだ。何しろ俄盲目(めくら)で得意が無(ね)エ。ソコデ、親分が骨を折って出入り先を拵えるんだが、今日此方(こっち)へ寄来(よこ)しますから、頭を揉ましておくんなさい。』
△『イヤ、今日は頭は痛くない。』
乾『お前さんも達引(たてひき)の無(ね)エ人だナ。江戸屋の若い者が来て頼むんだ。痛くなくっても我慢して揉ませておくんなさい{*7}。』
△『大変な按摩があるもんだナ。今まで種々(いろいろ)の商人(あきんど)にも出会ったが、按摩の押し売りは始めてだ。』
乾『内儀(おかみ)さんはどうだネ。』
△『女房(かかあ)は血の道で二三日困って居(い)る。』
乾『血の道にゃア按摩が宜(い)い。ついでに沢市さんに揉ませよう。』
△『熱があっては按摩は毒だと聞いて居(い)るが。』
乾『何、熱があったッて構わねエ。ドシドシ揉めばドシドシ熱が出て、段々病が重くなる。』
△『オイオイ。重くなって万一の事でもあったらどうする。』
乾『死ねば血の道はきっと癒(なお)る。』
△『ふざけちゃアいけねえ。』
乾『ソコデ、揉み賃は前払いだ。百文出しておくんなさい。』
△『コリャ、驚いた。それは宜(い)いが、沢市さんは按摩は出来るかエ。』
乾『出来るも出来ねエもねエ。命に係わるような事はねエから、安心して揉ましたら宜(よ)かろう。』
△『大変な按摩があるもんだ。』
乾『どうかお願い申します。さようなら。』
すぐに隣へ来て、
乾『お婆アさん、いつも壮健(たっしゃ)だネ。』
婆『オヤ、誰かと思ったら熊さんかエ。年を老(と)っちゃアいけないヨ。近頃めッキリ弱って、モーじきに阿弥陀様のお側に行(ゆ)くのだ。』
乾『お婆アさん、何才(いくつ)になる。』
婆『さようさ。何才(いくつ)になるか。』
乾『自分の年を忘れる奴もねエもんだ。』
婆『八十四まで覚えて居たが、それから先は忘れてしまったヨ。』
乾『大層長命(ながいき)をしたもんだなア。』
婆『長命(ながいき)すれば恥多し。身体(からだ)は利かなくなるし、人には厭がられるし。早く死にたいヨ。それに近頃寸白(すばく)で腰がはっていけないヨ。』
乾『アノ沢市さんに針をして貰ったら宜(い)いだろう{*8}。』
婆『アノ人は針が出来るかエ。』
乾『出来るも出来るも針は名人だ。この間家(うち)へ往(い)ったら、水へ茄子を浮かして、それへ打って稽古をして居た。だからお前の身体(からだ)も茄子だと思って沢市さんが針をしてくれるだろう。』
婆『冗談言っちゃアいけないヨ。いかに年を老(と)ったッて、茄子と一緒にされて堪るものか。』
乾『だッてお前、今、死にたいと言ったじゃアねエか。』
婆『病で死ぬのは仕方がないが、針で死ぬのは御免を蒙る。』
乾『婆アさん、贅沢を言いなさんナ。』
何、贅沢な奴があるものか。こういうように乾児(こぶん)が周旋する。江戸屋が口入をするので、沢市お里と二人で其の日を送るだけの入費(いりよう)は取れます。時々江戸屋が見舞いに来ては、何程か金子を置いて、
金『沢市さん。是でうめえ物でも食いねエ。』
と、慰めては帰る。
ちょうど其の年の十二月の中旬(なかば)、僅かな暇を見て柏木村の東陽寺海全和尚の許へ碁を囲(う)ちに参りました。碁敵という者は別な味があるもので、誠に二人が親密につきあい、和尚海全は悟りを開いた禅家の僧侶(ぼうさん)、江戸屋は侠客俗人だが、無二の間柄でございます。
金『和尚さん。今日は三番とも勝ち続けて、お前さんに止どめをさして帰るつもりだ。』
海『ハヽア。今日は愚僧が三番続けて勝って、お前に引導を渡して遣ろう。』
和尚は和尚だけに引導という。パチリパチリと囲(う)ちはじめる。昼頃から始めて、夜(よ)に入っても中々止(や)める気色もない。
小坊主の浄念が、
浄『和尚さん。モー日が暮れました。』
海『そうだろう。モー日の暮れる時分だ。』
浄『六兵衛さんがお見えでございます。』
海『ハヽア。偖は困ったナ。』
パチリ。
浄『六兵衛さんがお見えになりました。』
海『六兵衛さんがお見えになったか。ハテ、悪い石が出来た。困ったナ。』
浄『和尚さん、私が困ります。そう碁に夢中になって居ては……。』
海『夢中にもなろうサ。イヤ、三目の負けかナ。今日は降参しました。』
ガラガラと石を碁棋へ入れて、和尚海全。
海『コレコレ、浄念。アノ、新田の六兵衛殿が今日はお見えなさる筈だが、まだ見えぬかナ。』
浄『先刻お見えでございます。』
海『なぜ早く取り次がん。』
浄『先刻から申し上げて居りますが、あなたが碁が夢中になって、お聞き入れはございません。』
海『アー、さようか。是もやはり煩悩であろう。ちょっと江戸屋の親分、失礼をします。』
和尚の立って往(い)った跡で金兵衛が、
金『浄念さん。モー何時だエ。』
浄『彼是五ツでございましょう。』
金『其奴(そいつ)は大層遅くなった。ドレ、帰るとしよう。』
浄『親分さん、表は雪が降って参りました。』
金『ちっとも知らなかった。雪になったか。』
浄『今夜、是へお泊んなすって、明日(みょうにち)お帰んなすってはいかがで。』
金『イヤ。いつもの月と違って十二月。殊に今日は十八日。家(うち)の者がいそがしがって居(い)る中(うち)を、いかに好きな道だとて、「碁を囲(う)ってそれが為、今夜は寺へ泊った。」と言っては、乾児(こぶん)に済まねエ。どうか和尚さんに宜しく言っておくんなさい。』
浄『それではお帰りでございますか。』
金『すぐに帰りましょう。イヤ、とんだお世話になりました。浄念さん。蓑と笠を貸して下さい。』
浄『畏まりました。』
金兵衛は浄念に頼んで、寺男久助が着る蓑に笠を借り、雪を凌ぎまして、草鞋を踏みしめ長脇差をぶち込んで、柏木村を立ち出(い)でました。雪は灰のように細かく降って参りまして、あたり一面銀世界。金兵衛、柏木村をはなれて、高取を指して参る此の行程一里、六地蔵の前まで参りました。
野も畑も一面の白妙。誠に景色は宜(い)いが、寒さは強い。フーと吹いてくる風の為、かぶれる笠を吹き飛ばされまいと、小端(こべり)に手を掛け、今六地蔵を出外れる途端、「エイッ。」と一声(いっせい)。不意に横から斬り込み来たった一刀。江戸屋はハッと驚いて身をかわしましたので、刀は笠を掠って、ヒラリ前へ流れる。一足跡へさがった金兵衛。
金『人違いをするナ。江戸屋金兵衛は怨みを受ける覚えはねエ。但しは物取りか。』
〇『オー。其の金兵衛の命が入り用で、最前から此処に待って居った。』
金『そういう声は高木の若旦那じゃアございませんか。』
七『いかにも高木七之助だ。』
金『若旦那。大方お里の一件で、此の金兵衛を怨んで居(い)るのでございましょう。しかしそれは若旦那、逆怨みでございましょう。立派なお武家にあるまじき、アノ沢市の女房に横恋慕。今度追放になったのも、言わば身から出た錆。若旦那、無法な事はなさいますな。』
七『言うナ、金兵衛。サア、命は貰った。覚悟をしろ。』
と言いながら、無二無三に斬り込んで来る刃(やいば)の下、願わくは此の人に怪我をさせまいと、彼方(あちら)にかわし此方(こちら)にかわし、隙を見て逃げようという金兵衛。「エイ。」横手から又も切り込む中川幸之助の一刀。此の時金兵衛、「偖は二人か。」モーこうなっては仕方がない。蓑を脱ぎ笠を取り、引き抜いた長脇差。六地蔵の堂を小楯(こだて)に取って、「サア、来イ。」と身構えた。
町人でこそあれ、数年習い覚えた直(じき)真影。腕は中々出来て居(い)る。殊に稼業がらとて、脇差の下へ身体(からだ)を賭(は)った事が二度や三度はございますから、度胸が据わって居ります。イラッテ前から切り込む七之助の一刀。「パチリ。」受けて横に払った金兵衛の脇差に、右の脇腹をしたたかに切られて、どうと倒れる。「是は。」と幸之助が切り込む刃(やいば)。同じく引ッ外して躍り込み、アワヤ中川が二ツにならんとした時、「ヤアッ。」不意に後ろから突いてまいった伝九郎の竹槍。ヒラリ身体(からだ)をかわしたが、間に合わない。腰の番(つがい)を刺された。豪気の金兵衛、
金『ウー。汝(おりゃ)ア伝九郎か。』
と言う途端、前から切り下ろして参った中川の一刀に、左の小鬢より肩へ掛けて切られた。あたりは一面鮮血(からくれない)。伝九郎は再び槍を取り直して、突っ掛け来たるを、金兵衛が痛手を堪(こら)えてズバッと七八寸、それへ切り折りました。処へ後ろの方(かた)に「ワッ。」という人声。伝九郎に中川が、見咎められては一大事と{*9}、雪を蹴立って逃げ行(ゆ)きました。どうと倒れた金兵衛。痛手を堪(こら)えて立ち上がろうとしたが、急所だと見えて、目が眩んで動く事が出来ません。
〇『親分じゃアねエか。もし。江戸屋の親分。』
と言われて金兵衛我に返り、面(おもて)を上げて見ると、高取町に居ります小間物屋の佐兵衛、其の他七八人。
〇『親分さん、どうしてあなたはこんな怪我をした。相手は誰だ。』
金『どうか家(うち)まで連れて往(い)って下さい。』
佐『親分、俺(わし)の背に乗ってゆかっしゃい。サア、みんな。手を貸してくれ。』
平常(へいぜい)人望のある金兵衛の事とて、大勢で是を担い、高取町へ帰って参りました。
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