【十二】
(中川の死 江戸金の死 お里の墓参 沢市の歎き お里の発願)
江戸屋金兵衛の為に高木七之助はあえなき死を遂げる。中川幸之助に伝九郎は、後ろより来る人々に姿を見せまいと、一生懸命雪を蹴立って山手を指して逃げ出しました。スルと「ズドン。」という音と共に「アッ。」と一声(いっせい)。中川幸之助はそれへ打ち倒れました。伝九郎、驚いて見ると、血に染まって中川が、虫の息で苦しんで居ります。
伝『中川さん、どうしたんだ。』
幸『ウー。』
伝『オッ。鉄砲で射(う)たれたか。』
と言う途端、「ヒュー。」耳元を掠めて弾丸(たま)は向うへ飛ぶ。伝九郎は之に驚いて、中川を其の儘に致して、向うの山へ逃げ込みました。是は、猟夫(かりうど)が猪(しし)を捕る為に、山家(やまが)ではこういう道へ糸を張って置きまして、元の方へ鉄砲に弾丸(たま)ごめをして、覗(ねら)いをつけて居ります。猪(しし)が張って置いた糸に触れると「ズドン。」と弾丸(たま)が出る。中川幸之助がそれに引ッかかった。
〇『与作。』
△『オイ。』
〇『うまく往(い)ったかナ。確かに手答えがあった。』
と言いながら、鉄砲を小脇に藁頭巾を頂き、ノソリノソリとしげみを押し分けて出て参りました二人の猟夫(かりうど)。雪明りにすかし眺め、
〇『オー。中々大きな猪(やつ)がかかった。オヤ。是(こり)やア猪(しし)で無(ね)エゾ。与作。ちょっと来て見てくれ。』
与『イヤ。猪(しし)にはあらで、コリャ旅の人。』
〇『是々。こんな処で勘平を気取るナ。イヤ。此の旅人、見たような面構えだゾ。』
与『御城内のお侍で中川という人によく似て居(い)る。蔵奉行の下を勤めて居さしって、御年貢上納の時には、此の奴郎(やろう)郡奉行の役宅で、袖の下が廻らねエ村々を酷い目に会わせやアがった。天罰で猪(しし)の代わりに死(くたば)ったと見える。』
〇『それにしても、人を殺して見れば只は済まねエ。お庄屋様に話して明日(あした)訴える事にしよう。えれエ事が始まった。』
と、二人の猟夫(かりうど)は大きに驚き、名主三右衛門に話して、郡奉行に翌日届けて出ました。段々検死が下りて調べると、中川幸之助である。処へ、江戸屋金兵衛の身内から、「親分が六地蔵に於いて高木七之助・中川幸之助・伝九郎の三人に取り巻かれ、七之助を斬って其の身は深手を負った。」という届が出ました。ソコデ郡奉行で容子が判った。是が為に猟夫(りょうし)二名には何の御尤(とが)めもない。七之助・中川の死骸は取り捨てになりました。
お話二ツに分かれ、高取町の小間物屋重兵衛始め、町の者が無尽に往(い)った帰りに、六地蔵の傍に倒れて居(い)る金兵衛を見出(い)だし、之を背負って江戸屋を指して参りました。
〇『モシ。お寝(やす)みでございますか。親分さんが帰ってござらしった。』
〇『エー。親分、御帰んなさいまし。』
長三郎という乾児(こぶん)が、ガラリと表の戸を開ける。雪の中に七八人立って居(い)る
〇『長三郎さんカイ。』
長『イヤ。是は重兵衛さん。親分と御一緒ですかエ。』
重『私(わし)どもは無尽に往(い)った帰りで、六地蔵の処で親分さんにお目にかかって、お連れ申して来ました。』
長『そうでございますか。親分は何処に居りますネ。』
重『私(わし)の背中に居ります。』
長『お前さんの背中に……ふだんから深く酒を飲まない親分。人様の背負って帰る程に酔った処を見た事はないが。それに、今日は東陽寺へ碁を囲(う)ちに出掛けなすった。先方(むこう)が寺だけに、酒を飲ませる訳もなし。殊によったら怪我でも……。』
重『イヤ、長さん。気の毒な事になりました。どうか之を見て下せエ。ちょっくらみんな、手を貸してくんねエ。』
〇『オー。』
数名の者が金兵衛を担って家(うち)に入れたを長三郎が見ると、腰の番(つがい)をしたたかに刺されて、蘇芳を浴びたよう。血まぶれでございます。
長『イヤー。親分。誰の為にこんなに怪我をしやした。ヤイ、みんナ来イ。親分が怪我をなすった。早く医者をよんで来イ。それから、土佐町へ往(い)って沢市さん夫婦を呼んで来イ。』
一乾児(こぶん)の勘太がそれへ来て見ると、此の始末。
勘『親分。しっかりなせエ。勘太でございます。誰が為にこんな身体(からだ)になんなすった。親分。』
と、耳元に口を寄せて二三度呼んだ。其の声が通じたか、苦しき息を、ホッと吐(つ)いた江戸屋金兵衛。
金『敵手(あいて)は高木に伝九郎・中川の三人だ。高木だけは俺が確かに斬った。伝九郎が不意に後ろから突いて来た竹槍の為に、こんな不覚を取った。』
勘『それじゃア親分。敵(かたき)は伝九郎に中川。ヤイ、みんな。六地蔵に往(い)って見ろ。』
〇『合点承知。』
と、若者ども、腰に長脇差をぶち込んで駈け出した。勘太が指図で金兵衛を奥の座敷の床の内に入れ、医者をよんで診察(みせ)たが、急所の深手。吐(た)め息を漏らすのみ。
近頃の俳人、一愚庵尋香(じんこう)と申す宗匠の附合(つけあわせ)に、
金屏にずらりと並ぶ御一門
是は長州の殿様の立句(たてく)でございます。其の跡へ伊達様が、
獅子の囃しの近う聞こえる
と附けました。是では正月の模様でございます。それを一愚庵が、「そう附けては句が狭くなって、跡を附けるのに少し困る。」と申して、
何にも言わぬ医者の吐(た)め息
と附けました。こうすると、糊屋の婆アさんが死んだのでも附ける事が出来る。医者が吐息を漏らすようでは、モーいけません。
近頃は金が無いと、助かる病人も助からない。或る医学博士に吾々のような貧乏人が診察を受けました。
〇『先生。私(わし)は肺病でございましょうか。』
博士『君はどのくらい月に所得がある。』
〇『廿円ばかりございます。』
博士『廿円か……イヤ、肺病じゃアない。是は感冒(かぜ)だ。じきに癒(なお)る。モー僕の処に来るに及ばない。』
と、断ったそうで、この話は意味深長でございます。
〇『勘太兄イ。沢市さん夫婦が来たぜ。』
勘『沢市さん。早く来て、会って遣っておくんなさい。』
沢『ハイ。今ちょっと承りましたが、親分はとんだ災難でございました。モシ、親分さん。沢市でございます。』
手探りながら、金兵衛の傍に進み寄る沢市。おさとも共に、
さと『親分さん、とんだ事になりました。あなたがこういう事になったのも、元を糺せば吾々夫婦のした事。どうぞ堪忍して下さいまし。』
と、ハラハラと涙を流すおさとに沢市。
金『イヤ。二人とも其の詫び事には及ばない。どうせこういう稼業をして居(い)る金兵衛だ。こんな事があるだろうと思えばこそ、四十になっても女房(かかあ)ももたず、乾児(こぶん)を相手に男世帯(じょたい)で暮らして居た。どうかお前達夫婦は、是から先仲よくして、友白髪の八千代まで添い遂げてもらいたい。只、憎いは伝九郎。一度は俺が乾児(こぶん)になって、身内の者に隠れても、彼奴(あいつ)の面倒を見てやった事があるが、お里さんの一件を飽く迄も根に持ち、卑怯にも竹槍で不意に突くとは憎い奴{*1}。ヤイ、勘太。俺の石碑には伝九郎の首を手向けろ。』
勘『親分。ソンナ弱い音(ね)を出しては困ります。今お医者から聞いた処が、僅かな疵だそうです。療治をすれば癒(なお)ると申します。』
金『イヤ。今度は到底助からねエ。どうか跡を頼む。沢市さんお里さん。随分壮健(たっしゃ)で暮らしなせエ。』
と、次第に細る虫の息。医者が「モーいけない。」と申しました。狂気の如く沢市夫婦が枕に縋り、「親分さん、気を確かにもって下さい。」と、右左から申します。中にも勘太は、
勘『親分。今ここで死んでは困る。どうか生きておくんなさい。アー。モーいけねエか。親分さん。苦労人にも似合わねエ。今死んじゃア困る。』
いくら苦労人だッて、死ぬ時は仕方がございません。吉田兼好が、
鳥辺野の煙立ち去らでのみあるものかは
人の情けもいかで知らん
「世は定めなきこそいみじけれ。」と申しましたが、人に「死」という事が無かったら、誠に厄介な動物でございます。
哀れ、江戸屋金兵衛は、夜(よ)の払暁(ひきあけ)に相果てました。是は東陽寺に埋葬をした。海全和尚が引導を授けた。此の届が郡奉行に出たので、金兵衛を殺しました加害者が判りました。一乾児(いちこぶん)の勘太は、草を分け瓦を起こして伝九郎のありかを探す。是が為に伝九郎は、お里をさらう事が出来ません。
沢市夫婦は身も世もあらぬ思い。中にもお里は毎日のように東陽寺の江戸屋の墓に参詣いたし、涙と共に念仏を唱えると、海全和尚がお里を居間に呼んで、
海『イヤ、お里さん。いくらお前が歎いた処で、仏になった金兵衛が元の人間にはならぬ。』
さと『アノ。仏様の教えに、人は七度(ななたび)生まれ復(かえ)るとやら。それは真(まこと)でございますか。』
沢『それは仏の教えの中(うち)です。小乗教にあるでなア。小乗教は方便の教えで、つまり凡俗の悪行を直す為、此の世に悪い事をすれば、来世は畜生に生まれてくるようと申すのじゃ。「色即是空」と言うて、形あるものは砕ける滅す。人という身体(からだ)が出来たからは、死なねばならぬ。人に生死(しょうし)のあるは、一日に昼夜のあるようなものじゃ。何の悲しい事があろう。此の世界は是から先、何万年経って滅しるやら判らぬ。して見れば、たとえ百年生きたとて、其の人は長命とは言われん。ようお前も悟りなさるが宜(い)い。他の宗旨と違うて、此の禅家はなア、「直心成仏」と言うて、凡夫から一足飛びに仏になるのが此の教えじゃ。イヤ、女子(おなご)のお前にはよう判るまいが、帰ったら沢市さんに話すが宜(え)エ。何事も因縁じゃ。』
お里は海全和尚に言われた事を立ち帰って沢市に話します。
沢『成程。そうだのう。俺の目の見えなくなったのも因縁だろう。しかし、お里。俺は夢を見るのが楽しみだ。』
さと『それは又沢市さん、どういう訳で。』
沢『俺は中年から盲目(めくら)になったから、夢を見ると元の目明きでお前の顔も判る。眼が覚めるとお前の顔も見る事が出来ぬ。夕べも夢に、江戸屋の親分さんの顔を見た。それ故、俺は寝る時に、どうか今宵も夢を見たいと思う。』
と言われて、お里は身内に針を刺されるより辛く思います。何でもないような事だが、沢市が「夢が見たい。」という一言(いちごん)は、俄盲目(めくら)の情としてありそうな事。此の沢市が盲目(めくら)になったは自分を救いし為。それを思うと、此の人の眼を癒(なお)したい。沢市は寂しそうに笑って、
沢『イヤ、お里。又してもおれが愚痴を言って、とんだお前に涙を流さした。サヽ、気を慰める為に三味線を弾いてもらいたい。』
さと『それが宜(よ)うございます。春とはいえ、余寒の強い昨日今日。陰気な話で大分お前さんも気を屈したよう。サア、三味線でも弾いて。』
と、お里が調子を合わせ、「夢が浮世か浮世が夢か。」と唄う唱歌も何となく湿りがち。其の夜(よ)は夫婦枕を並べて寝たが、翌早朝お里が東陽寺に参りまして、和尚の海全に会い、
さと『仏の利益で沢市の眼を癒(なお)したいものでございますが。』
と申しました。此の時海全、観世音の無量広大なる慈悲を説き、又は般若心経を説いて、此のお里に聞かせたのが縁で、壺坂寺へ夜更けてお里が参りまして、観世音に祈誓をかけ、ここに沢市の眼病平癒に及ぶという、壺坂霊験記の三の切(きり)とも申すべき処は次席。
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