【十三】
(観世音の御利益 壺阪寺縁起 お里の夜詣り 沢市の疑念)

 貞節なるお里は夫沢市の眼病を平癒なさしめんと、柏木村の東陽寺の和尚海全に、仏の利益で眼病が平癒するものかと尋ねました時に、和尚海全が、
海『イヤ。質(たず)ねる迄もない。一心になって仏に願えば必ず利益がある。沢市が生まれもつかぬ盲目(めくら)になったも、是皆前世の因縁。仏の教えは過去現在未来を説く。過去の行いによって現世の生(しょう)を引き、現世の行いによって未来の生(しょう)を引く。何事も因縁である。桜の花はいつ見ても桜の花、梅の花はいつ見ても梅の花である。たまには桜の枝に梅の花が開きそうなものじゃが、桜はいつでも桜、梅はいつでも梅である。しからば、桜になるべき因縁、梅になるべき因縁があるのじゃ{*1}。沢市が盲目(めくら)になったも是因縁。お前が其の妻になったも是因縁。其の因縁を破りて沢市の盲目を平癒なさしめんとは、ちと無理な願いであるが、観世音の慈悲は無量広大。一心になって祈願を籠めたら必ず利益がある。そもそも仏の慈悲と申す語は、「抜苦与楽」と申す事じゃ。苦を抜き楽しみを与えるが仏の慈悲を、一心に祈りなさるが宜(よ)い。』
さと『ハイ。有難う存じます。女子(おなご)の、浅はかにも一度(ひとたび)仏様をお疑い申しましたが、只今のお諭しでよく判りました。仰せの通り、無理な願いでございますが、観音様を祈る心でございます。和尚さま。どこの観音様が御利益がございましょう。』
 和尚海全、思わず笑いを洩らし、
海『観世音は一ツよりない。此処の観音、彼処(かしこ)の観音と、そう沢山はない。』
さと『それでも千手観音様というのがございます。』
海『イヤ。アレは、仏の悟りで、心一ツのもちようで、千本の手があっても自由に使えるという事を現したものじゃ。お前も、沢市の眼病を癒(なお)したい、どうぞ一日も早く癒(いや)したいという、心を出して祈ってはなりません。只なんとなく、一心に祈誓をこめるが宜(よ)い。祈ったら沢市の眼が癒(なお)るじゃろうというは、コリャ慾じゃ。何事も目的(めあて)があると、慾が手伝うて本心になれぬものじゃ。早い例えが、私(わし)のような僧が、修行をして名僧になろう。智識になろうというは、心に慾があるで成就せん。只何か無しに修行をすれば、自然と名僧智識になれる。処で、お前が観世音を信心をするに就いて、どういうように心をもつか、それを聞きたい。』
 是ぞ、「禅家の公案」と申しまして、所謂問題でございます。其の時お里が、
さと『只一心になって観音様を祈ります。』
海『ハヽア。其の心を忘れるな。しかして沢市に知らせてはならぬ。と言うは、お前が観音に祈誓を籠めるは自分の眼を癒(なお)したい為、アー気の毒な事じゃと沢市が思うたら、仏の眼からはお前の行いが慈悲とは見えぬ。人に有難涙を流させるは、是、慾じゃ。俗に申す「陰徳」が大事じゃ。宜(よ)いか。般若心経の中(うち)に、「位無所得古菩提薩埵依般若波羅蜜多」と出て居(い)る。之をくだいて言えば、「得る所なきをもって菩提薩埵である。」と申すのじゃ。得る所無しとは、目的(めあて)の無き事を言うのじゃ。つまり、目的(めあて)なしに仏を念ずれば、煩悩の海を離れて安楽の浄土に至るというが、此の経の教えである。必ず必ず沢市に知らせてはならぬ。ソコデ、観世音は壺阪へ安置し奉る。西国六番の尊像を祈るが宜(よろ)しい。アノ御(み)堂は、恐れ多くも人皇五十代桓武天皇の御建立であって、観世音の御(み)像は弘法大師の御作じゃ。桓武天皇様がいまだ奈良におわします頃、御眼病に罹(かか)らせられ、典薬頭(てんやくのかみ)を始め、其の他(ほか)さまざまの者より御薬を差上げ参らせ、貴僧高僧御祈祷あれども、少しも御験(みしるし)なく、御眼痛み強く、少しも御開き遊ばす事が出来ぬ。其の時皇帝(みかど)思し召しめけるは、「もはや医師の薬力(りょく)には及び難かるべし。此の上は、神仏の力ならでは癒(なお)るまじき。」とて、「まず仏法を試みるべし。」とて、「朕が眼病、七日の内に癒(いや)すべし。もし七日の内に癒(いや)さずば、仏法あって益なし。さらば仏法を滅し、寺々を悉く破り、出家は還俗致さすべし。何の法にても罷り出(い)で祈祷致せ。」と勅諚下(くだ)りしが、誰あって「吾出(い)でん。」と言う僧もない。是はそうあるべき事じゃ。七日の内に祈祷なして、御(み)心よく成らせたまへば、其の身は言うに及ばず、仏法の誉(ほまれ)にもなる事じゃが、もしし損じたる時は、其の身ばかりの罪ではない、仏法を滅する事故に、誰あって出る人も無い。其の頃大和吉野の山奥に法恩沙弥という尊(たっと)き僧あって、岩窟(いわむろ)に行いすまして居たまう。其の窟(むろ)の片脇に、柴刈る爺(おやじ)が二人、荷を下ろし休みながら、「皇帝(みかど)様の御眼病を七日の内に御祈祷申して癒(なお)す出家を御尋ねあるに、御祈祷申し上げても、七日の内に癒(いや)し奉らずば、仏法あって益なきものなれば、破滅して僧侶(ぼうず)共は悉く還俗させて、吾等と同じように凡俗にせんとの仰せじゃ。尊き御出家はあるまいか。もし何方(いずかた)よりも皇帝(みかど)の眼病を平癒なさしむる者が出(い)ずれば、えらイ功徳じゃ。」と言うを聞きて、法恩沙弥、「此の広き世界には、名僧智識もあるべきに、何故御祈祷を致さぬ事ぞ。吾は世の交わりを嫌い、山奥に住みつれば、聞き流しにもすべきなれども、此の日の本に仏法の滅すると聞きては、此の儘には捨て置かれぬ。されば吾往(ゆ)きて御祈祷を申し上げん。」と、それより窟(いわや)を出(い)でて、内裡(だいり)を指して登り玉い、御門をつかつか通ったを門番が見付けて、「何者か。」と尤(とが)めた時に、法恩沙弥は窟(いわや)に永く住んで湯水をも遣わざれば、身体真っ黒にくすぶり、髪髯長く、衣というも見苦しく、「人か、鬼か」と思うようであるから、コリャ尤(とが)めるももっともじゃ。其の時法恩沙弥が申すには、「成程、不審もっともである。皇帝(みかど)の御眼病御加持致せとの御触れありし由。吾は吉野の山奥なる洞穴(ほらあな)に住める法恩沙弥という者じゃが、仏法の滅せん事の悲しさに、皇帝(みかど)を平癒なさしめんと罷り越した。」との事。門番大いに驚いて、重役(おもやく)の手を経て、時の関白より皇帝(みかど)に奏聞を遂げたるに、「それ召せ。」との御勅諚。やがて内裏へ進み入りしに、勿体なくも一天万乗の君ましまし、御側(おんそば)に女官(じょかん)更衣の上臈方、並び居(い)られて、沙弥の体(さま)賎しげなる体(さま)を見て、人々笑いを含み玉う。法恩沙弥申すには、「御(おん)痛わしや。忝くも一天の君の御身にして、病の為に悩み玉ひ、御(み)心に任せ玉わず。イヤイヤ。拙僧祈り奉らん。」と申し上げた。皇帝(みかど)之を聞かせられ、「仏法の奇特(きどく)法力(ほうりょく)をもって癒(なお)るものなれば、七日の内に奇特(きどく)を見せべし。」と仰せあるに、法恩沙弥畏まり、「仏法の広大なるは、いかなる病に苦しむも、又は地獄に陥りたる罪人にても、験(しるし)ある事疑いなし。まして御眼の病なれば、いと易し。七日と申すは程久し。即座に平癒なし奉るべし。」と、千手陀羅尼を唱え、珠数を以て御眼を撫で玉えば、不思議や。強く痛み玉う御眼、次第に緩らぎ玉う故、愈々法恩沙弥は陀羅尼を繰り返し、百遍程唱える内に平癒あらせられ、恐れ多くも皇帝(みかど)、手を合わせ玉い、「誠に仏法の功徳有難く尊(たっと)き事。法恩沙弥の功徳の著しきよ。」と叡感ましまし、法恩沙弥も喜び奉り、「御眼病御平癒の上は、他に御用もあるまじき。見苦しき此の体(てい)にて、内裡(だいり)に恐れあり。」と、御暇(いとま)を願いたれば、「何なりとも望みあらば申すべし。」との仰せ。其の時法恩沙弥答えて申すに、「世の交わりを厭い、山奥にある身にし候へば、何事も望みなし。只、仏法の滅せん事を聞くに忍びざる故参りたり。」と申し上げ、此の時帝曰(のたま)わく、「誠に仏法を断絶すべきは朕が心にあらず。かく厳しく触れ出(い)ださば、世に隠れたる貴僧の如き出家の出(い)でん事を思うが故なり。今より汝(おんみ)を法恩長老と呼ぶべし。」と、長老の法号を賜ったが、是、長老の始めである。法恩沙弥は有難さ身に余り、「暫し滞留すべし。」と止(とど)め給えど、袖を払いて吉野の奥へと帰り給へば、其の後(のち)皇帝(みかど)思し召しには、何とぞ今一度法恩長老に対面遊ばされたく、又仏法の徳にて御眼も癒(なお)り玉えば、堂塔をも御建立遊ばされたく、御(み)心にて長老を再び召され、仏恩報謝の為、堂塔を建てられたき間、「どこにても霊場を見立て、貴僧之を開基せよ。」と命じ玉う。長老、「再び世には出(い)でまじ。」と行い澄まし玉えども、勅命辞し難く、二ツには「一ケ寺御建立あるべき。」との有難き勅諚に、法恩長老御受け申し上げ、すぐさま内裡(だいり)より墨の衣に草鞋を召し、諸国の霊場を尋ね玉う。遂に大和国壺坂の地にて日暮れぬれば、其処に野宿したまい、夜もすがら陀羅尼を唱え玉うに、いずくともなく微妙の音声にて、同じく陀羅尼を唱え玉う声聞こゆ。偖も只人の声にあらずと、心をすまして聞き玉うに、地の下に聞こえける。不思議の事と思い、夜(よ)とともに聴聞したるに、確かに地中に声ある故、偖は此処に不思議の霊仏ましますにやと、夜(よ)明けて里人と語らい、其処を堀らせ見ると、七尺ばかりの土中より、瑠璃の壺を堀り出した。蓋を開けば、一寸八分の千手観音にておわしたり。「是全く皇帝(みかど)の御望み達し、かかる霊仏出(い)でさせ玉う。」と申して、此の尊像を内裡(だいり)へ持ち登りて、皇帝(みかど)の叡覧に供えたれば、皇帝(みかど)の御喜びななめならず。即ち「出現の地に御(み)堂を建つべし。」と仰せられ、「尊像、形小さければ、御鞘仏(おんさやぶつ)に納めよ。」との勅命によって、一丈六尺の大仏を造り、其の胸へ納め玉う。法恩長老を即ち開基とし玉う。壺坂の地より出(い)でたる故、之を壺阪寺と名付けたり。こういう訳だから、お前の処より程近き、此の壺阪の観世音に祈念致せば、沢市の眼病も平癒いたすに相違無し。』
と、説き聞かせられたお里は、有難涙にくれまして、其の日は立ち帰りました。
 沢市は、こういう事とは知らず、
沢『お里、どこへ往(い)った。』
さと『江戸屋の親分のお墓詣りに参りました。』
沢『アー、そうか。寺詣りを止めるではないが、どうも私(わし)が盲目(めくら)ではあるし、お前が居らぬと万事に不自由。』
さと『イエ。それは妾(わたし)も知って居ります。』
沢『どうか留守にせんようにしてくれ。』
と言ったが、盲人は疑り深い慣(なら)い。其の夜(よ)九ツの鐘を聞いて、お里はソッと寝床を抜け出し、土佐町から南に当たって壺阪寺。峨々たる山を越えて御(み)堂に参りました。横手は数千丈、谷岩を噛んで流れる水音は物凄く聞こえ、昼も往来少なき此の山路。一心は恐ろしいもの。御(み)堂の前へ跪き、一心になって「観世音南無仏。与仏有因。与仏有縁。仏法僧縁。常楽我浄。朝念観世音。暮念観世音。念々従心起。念々不離心起。」{*2}と、観音経を読誦いたす。其の声木精(こだま)して物凄く聞こえます。漸くお詣りが果てて、ソッと立ち帰る。
 沢市はそうとは知らず、白河夜船の高鼾。「ヤレ、嬉しや。」と、其の夜(よ)は枕に就きましたが、前(ぜん)申しましたる通り、盲人(めくら)は兎角疑い深いもの。一夜(いちや)、お里の居らざるを知って、沢市、「偖は密夫があるか。」と、ここに葛藤を来たす、お里の貞節のお話にうつりますが、一息入れて。

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校訂者注
 1:底本は「梅(うめ)になるべき因縁(ゐんねん)梅(うめ)に」。誤植と見て訂正。
 2:底本は「観世音南無仏(くわんぜおんなむぶつ)。与仏有因(よぶつうゐん)。与仏有因(よぶつうえん)。仏法僧縁(ぶつぱふそうえん)。茶楽我浄(ぢやうらくがじらう)。朝念観世音(てうねんくわんぜおん)。暮念観世音(ぼねんくわんぜおん)。念々従心記(ねん(かな二字繰返し記号)じうしんき)。念々不離心(ねん(かな二字繰返し記号)ふりしん)。」。この後もたびたび現れる経文であるが、その度にどこか違って繰り返される。全てを照合し、最も正確と思われる形に全て統一、以後は一々注を加えない。