演劇脚本 壺阪霊験記
上之巻
座頭沢市内の場
座頭沢市内の場
役名
一 座頭沢市 一 伯父太左衛門
一 女房里 一 悪漢眼九郎
一 米屋八兵衛 一 薪屋杢兵衛
一 家主欲兵衛 一 五人組
一 仕出し
竹本連中
以上
本舞台、三間間、平舞台。上手、雪隠の書割。上手、板塀にて見切例も処世話。木戸正面、納戸口。傍に三味線掛けて有り。入口に琴三味線指南処という標札など掛け有り。総て大和土佐町座頭沢市住家の体裁に。女房お里、世話女房の拵えにて、針仕事を仕て居る。下手に百姓二人、烟草を呑んで居る。
この見得、在郷唄にて幕あく。
―― 幕開き 甲斐甲斐しく働くお里 ――
(百〇)コレコレ。お里坊。よく精が出ますナァ。
(百△)いつもお前さんの事は、村中でも評判じゃ。時に、この間頼んで置いた仕立物は、モゥ出来て居ますかナァ。
(里)コレはしたり。話にまぎれてトント失念を致しました。出来あがって居ります。
ト、戸棚より仕立物を出す。
(里)サァサァ、持て行て下さんせ。
(△)相変らず綺麗に出来ましたナァ。
(〇)イヤモゥ、内も何か縫うてもらいたいと言うて居ました。時に沢市はまだかや。
(里)ハィ。まだ稽古に行かれ、帰られませぬ。
(〇)そうかいナァ。それはきつう精が出ますナァ。コレ、畑作や。そろそろ出懸けようか。お里坊。そんなら往にますぞや。
(里)モゥお帰りでござりますか。
(両人)いこう邪魔いたしました。
―― お里の父、お里に説諭する ――
ト、下手へ這入る時、矢張り前の歌にて。お里の伯父太左衛門、更けたる拵え。続いて壺阪再建の講中五人組、皆々町人袴、好みのなりにて出て来たり。
(太)コレはコレは。皆様、毎日御苦労様でござります。観音堂の御再建、どうか早くお堂だけか、出来したいものでござります。
(講壱)マァマァ。何はともあれ、こうして歩けばいつか御再建が出来ると言うものじゃ。
(皆々)そうとも、そうとも。
(太)それはそうと、向うが私の娘お里の宅じゃ。一寸一服して行こうじゃ御座んせぬか。
(皆々)そんなら御造作に預りましょう。
ト、いろいろ捨台詞あって、本舞台へ来たり、門口をあけ。
(太)お里、内か。お里、お里。
(里)ハィ。どなた様で御座ります。オォ、お前はととさん。ようお出でなされました。お村衆も、ようお出でなされました。
(太)時にお里や。今日も皆の衆を頼んで観音様の御普請に歩きましたが、草臥れた故、一寸立ち寄りました。
(里)それはさぞお骨の折れる事でござんしょ。マァマァ、お茶一ツお上がりなされませ。
(皆々)モゥモゥ、決して構うて下さるな。
(太)コレ、お里や。いつかお前にも話そう話そうと思うて居たが、そなたも知っての通り、お前の婿の沢市は、わしの為には甥姪の間柄。子供の時に両親に分かれ、わしの手に引き取って育てたが、どうしたものか、疱瘡で盲目となった故、数代続いた庄屋の家も継ぐ訳にも行かず、それでやむを得ず、しょうことなしにわしが預り、そなたの嫁になし、子供が出来たらそれに跡目を相続させたいと思うて居る故、お前もその気で、不自由な沢市を粗末にしてはなりませぬぞえ。
(里)それはよう心得て居ります故、安心して下さんせ。
(太)オォ、そうか。それ聞いて私も安心しました。ドリャ、ボツボツと出懸けましょう。
(皆々)それならお里さん。いかいお世話に成りました。
ト、皆々下手へ這入る。
(里)モゥ沢市さんの帰るにも間もあるまい。そこら片付けて置こう。
ト、四辺を片附けて居る。
―― 眼九郎来、お里に絡み掛ける ――
ト、「よその畑へ一寸鍬」という唄になり、悪漢眼九郎、道楽者の拵え。一升徳利を携え出て来たり。
(眼)日頃からド盲目に添わして置くは惜しい物と、岡惚れて居るあのお里。どうかド盲目が居らねばよいが。
ト、本舞台へ来たり、内を覗き。
(眼)オィ、お里坊。また邪魔しに来たヨゥ。
ト、合方になり。
(眼)オィ、お里。沢市はどうした。
(里)沢市さんは稽古に行て、まだ帰られませぬ。
(眼)ムム、そうか。それは丁度幸い。
(里)エィ。
(眼)ナニ、丁度幸い。今日は酒を一升持て来ました。コレ、一ツ呑んでくれまいか。
(里)わたしゃ酒は嫌いでござんす。
(眼)何。酒が嫌いだと。そりゃ世間で女の酒好きほど見にくいものはないが。お前ほどの人はないぜ。器量はよし、おとなしし、仕事はできる。こんな女にド盲目。
(里)エィ。
ト、驚く。眼九もうっかり言うたという思い入れにて口を押え。
(眼)ナニ、世間の奴は悪い事言うものじゃ。われは言わぬが、沢市には惜しいものじゃと世間の噂じゃ。成程、こうなくちゃならぬわい。時にお里坊。猪口一ツ貸してくんなァ。
(里)お里お里とあたやかましい。私も沢市さんも酒が嫌い故、猪口は御座んせぬわいナァ。
(眼)成程。酒嫌いにゃ猪口は有るまい。そんなら何ぞ、茶碗でもかしてくれ。
(里)アィ。
ト、不性不性に立って、茶碗を出し。
(眼)サァ、早う呑んで帰って下さんせ。
ト、枕屏風を間に仕切り、素知らぬ顔で仕事して居る。
(眼)アァアァ。一人酌で呑むとしよう。
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