―― 食膳を待つ沢市の口説き:半生の苦衷と憂鬱 ――

(沢)アァ。今打つのはアリャ七ツの鐘。かねと言えばこの程より、どうか心配はすれど、まだ手に入らず。幼き時に両親に死に別れ、伯父さんの手に引きとられ、永らくお世話になって居たが、フトした疱瘡より、生まれも付かぬ目盲となり、親の代から打ち続いたる庄屋の株も伯父様の元へ預かられたが、アノ律儀の伯父さん故、一人娘のアノお里と夫婦にして下され、一人の子供でも出来たら、それに庄屋の家督を譲り、との事なるが、何から何までお世話になるのが気の毒サに、この土佐町に来てからモゥ三年。月日の立つのは早いものじゃ。それはそれにしても、アノ眼九郎、見るかげもないコノ我に、大枚という五両の金貸してくれるとは。もしや女房のアノお里に。イヤイヤ、思うまい、思うまい。心配するは体の毒。こう気がふさいだ時は三味線でも引いて、ふさいだ気をまぎらわそうか。
上「勝手知ったる我が内も、さぐりて取り出す三味線の、音はかわれども結ぼれぬ、てんじかえても古糸の、胸は二上り三下り。乱るる調子引きしめて、脇へかわして水調子。
 ト、沢市、捜りながら、壁にかかってある三味線をおろし。
(沢)地唄。鳥の声、鐘の音さへ身にしみて、思ひ出す程涙が先へ、落ちて流るる妹背の川に。
 ト、三味線を弾く。よき時、暖簾口よりお里、膳を持ち来る。

―― 沢市、お里に絡む ――

(里)サァサァ、えろう遅うなった。さぞ待ち遠にござんしょう。今日はお前のすきな煮〆をたいて、持て来ました。サァ、たんとたべて下さんせ。コレ、こちの人。お前はマァ、いつにない三味線弾いて、よい機嫌。何と思うて、珍らしい。
(沢)何を言うのじゃ。おれが三味線弾くを、よい機嫌に見ゆるかや。おりゃ、そんな気じゃないわいのう。モゥモゥ気が結ぼって結ぼって。
 ト、飯を食いながら、のどにつめる。お里、後へ廻り、さする事あり。
(里)コレ、沢市さん、沢市さん、沢市さん、沢市さん。ソレ、ふふ、ふふ。
 ト、茶を呑ます。
(沢)アァ、びっくりした、びっくりした。
 ト、合方になる。
(沢)コレ、お里。わしゃ、そなたにちと尋ねたい事が有る。外の事でもないが、いつぞは聞こう聞こうと思うて居たが、丁度幸い。光陰は矢の如しとやらで、月日の立つは、アァ、早い物ナァ。ソレ、わが身とおれがコゥ一緒に成ってから、モゥ三年。稚いよりいいなづけ{*4}。互いに心も知って居るに、なぜその様に隠しゃるぞ。さっぱりと打ち明けて言うてたも。
上「ト、どこやら濁る夫の詞。お里は更に合点行かず、不審ながらにすり寄って。
(里)もうし、沢市さん。気にかかるお前の口振り。この年月、何一ツお前に隠した事はないに。サァ、悪い事があるならば、ツィ「こうこうじゃ」と言うてくれるが夫婦の中じゃないかいナァ。
(沢)ムム、そう言いやれば、こっちも言う。
(里)サァ、早う言わしゃんせ。
(沢)オォ、言わいでか。
 ト、持て居る茶碗を落とす。飯粒こぼれる。
(里)アレ、勿体ない。
 ト、拾おうとする。
(沢)ほっといてくれ。知ってるわい。
 ト、捜りながら拾い食う。

―― 沢市の口説き:お里の夜の外出を詰る ――

(沢)コリャ、お里。よう聞けよ。われと夫婦に成って丸三年。毎晩七ツから先、寝所へ手をやっても、終に一度も居た事がないナァ。ソリャモゥ、おれはこの様な目くら。殊にえらい疱瘡で見るかげもない顔形。どうでわれの気に入らぬは無理ならねど、外に思う男があるなら、さっぱりと打ち明けて言うてくれたら、この様に何の腹を立ちょうぞい。もっとも、われとおれとは従弟同士。専ら人の噂にも「アノお里は美しい、美しい」とモ聞く度に、おれはモゥよう諦めて居る程に、悋気は決してせぬぞや。コレ、どうぞ明かして言うて聞かしてたも。
上「立派に言えど、目にもるる涙。呑み込む盲目の心の内ぞ切なけれ。聞くにお里は身も世もあられず。

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校訂者注
 4:底本は「雅いより言号」。