座頭沢市住家の場
壺坂寺観音堂の場
同谷門御利益の場

役名 盲人沢市。女房、お里。壺坂の神童。


―― 座頭沢市住家の場 ―― 

本舞台一面の平舞台、正面押入れ、真中納戸口、暖簾掛けあり、下手鼠壁、上手一間折廻し障子家体、いつもの所門口、下手忍び返し付きの塀、すべて大和の国壺坂辺り、沢市住居の体。ここに女房お里、やつし形(なり)、前掛、座布団の下に出来上がりの畳付け有る、着付の上に住まい、針仕事をして居る。傍に針箱、焼こて、仕事畳紙(たとう)など取りちらし、正面の壁に三味線、胡弓をかけ、きたなき琴、稽古箱、本などあり。下手台所の心にて、下家(したや)の内に台所道具、出刃包丁、俎板などよろしく。ここに講中四人、肩入、半股引、草鞋にて、畚(もっこ)を置き煙草を呑み居る。在郷唄にて幕開(あ)く。

講一 イヤこちのお里殿は、器量なら心立てなら、人一倍勝れて居ながら、
講二 たとえにも片端(かたわ)根性という、盲を夫に持って居るのみか、
講三 貧苦をいとわず賃仕事や何やかやと、心を尽くして居やるとは、
講四 誠に見上げたお里どの。ほんに此の人の事を貞女の鏡というのであろう。
講一 それに付けても沢市どの、中々の利口ものじゃ。
講二 どうか眼を明かしてやりたいものじゃ。
講三 ほんにそうなった事なれば、夫婦の悦びはどんなであろう。
講四 これが世にいう、ないものねだりというものじゃ。
四人 ハハハハ。
講三 それよりは壺坂の観音さまへ行き、
講四 早くお参り申して来ると仕ましょう。
 ト四人下手へ入る。お里暖簾口へ入る。これより床の浄瑠璃になる。
 〽よしあし曳きの大和路や、壺坂の片辺(ほと)り土佐町(まち)に、沢市という座頭有り、生まれ付いたる正直もの、琴の稽古や三味線の、糸より細き身代に、妻のお里は健(まめ)やかに、夫の手助け賃仕事、つづれさせちょう洗濯や、糊かいものを打盤(うちばん)の、音もかすかな暮らしなり。
 ト上手の障子を明ける。内に沢市三味線をひいて居る。
 〽鳥の声鐘の音さえ身に泌みて、思い出す程涙が先へ、落ちて流るる妹背の川に、
 トよろしく唄う。唄の切れに奥よりお里膳を持ち、お鉢を抱えて出て来り、捨ぜりふにて、
お里 モシこちの人、今日は何と思うてか、三味線出してよい機嫌でござんすなア。
沢市 わしが三味線を弾いたのが、よい機嫌に見ゆるかや。
お里 見ゆる段じゃござんせぬ。
沢市 ハテな。おりゃそんな気じゃない。モウモウ気がふさいで、いっそ死んで、トサア死んで仕舞う程気がふさいでならぬわいな。コレお里、わしゃそなたに、チト尋ねたい事が有るわいの。
お里 改まった、尋ねたいとは、そりゃ何の事でござんす。
沢市 ハテマア下にいやいのう。イヤ外でもないが、いつぞや聞こう聞こうと思うて居たが折もなく丁度幸い。光陰は矢の如しとやら、月日の立つのは早いもので、我が身とわしが一緒になってからもう三年、幼い時よりの許嫁、互いに心も知り合って居るに、なぜ我が身はそのように物を隠すのじゃ。いっそさっぱり打ち明けて、いうてたもや。
 〽どこやら濁る詞のはし、お里は更に合点行かず、不審ながらにすり寄って、
 トこの内沢市、思入にていう。お里合点の行かぬこなし。
お里 コレ沢市殿、そりゃお前何を言わしゃんす。嫁入りしてから三年(みとせ)越し、ほんにほんに露程も隠し立てした事はござんせぬ。それに又お前の気に済まぬ事がござんすなら、夫婦の中じゃござんせぬか。何なりというて聞かして下さんせ。
沢市 オオ言わいでかいの。コレお里、よう聞けよ。
 トめりやす上下(うえした)。
我が身と夫婦になってより丸三年、毎晩七つから先寝所(ねどころ)に居たためしがない。そりゃもうわしはこのような盲目なり、殊にはえらい疱瘡で見る影もない顔形、どうで我が身の気に入らぬは無理ならねど、外に思う男があるならさっぱりと打ち明けてくれ。人の噂にお里は美しい美しいと聞く度毎に、おりゃあきらめて居る程に、決して悋気はせぬぞや。コレ、どうぞ明かして言うてたも。
 〽立派に言えど目に洩るる、涙呑み込む盲目の、心の内ぞせつなけれ。聞くにお里は身も世もあられず、
お里 そりゃ胴欲じゃ胴欲じゃ胴欲じゃわいな。いかに賎しい私じゃとて、現在お前を振り捨てて、外に男を持つような、そんな女子(おなご)と思うてか。父様(ととさん)や母(かか)様に別れてから、伯父様のお世話になり、お前と一緒に育てられ、三つ違いの兄(あに)さんと、
 〽いうて暮らして居る内に、情なやこなさんは、生まれも附かぬ疱瘡で、
目かいの見えぬ其の上に、
 〽貧苦に迫れど何のその、一旦殿御の沢市さん、たとえ火の中水の底、未来迄も夫婦じゃと、思うばかりかコレもうし、
お前のお目を治さんと、この、
 〽壺坂の観音様へ、明けの七つの鐘を聞き、そっと抜け出で只一人、山路厭わず三年(みとせ)越し、せつなる願いに御利生(ごりしょう)の、ないはいかなる報いぞや、観音様も聞こえぬと、今も今とて恨んで居た、わたしの心も知らずして、
外に男がある様に、今のお前の一言(ひとこと)が、
 〽私は腹が立つわいのと、口説き立てたる貞節の、涙の色ぞ誠なり。初めて聞きし妻の誠、今更何と沢市が、詫びる詞も涙声。
沢市 コレお里、何にもいわぬ忝い。あやまったあやまった。そうとも知らず、片端(かたわ)の癖に愚痴ばかり。コレ堪忍してくれ、コレこの通りじゃ。
 〽こらえてたもとばかりにて、手を合わしたる詫び涙、袖や袂をひたすらん。
お里 アモシ、連れ添う女房に何の詫びる事がござんしょう。そんなら疑いはれたかいの。
沢市 オオ晴れたとも晴れたとも。日本晴れがしたわいの。
お里 お前の疑いはれた上は、私ゃ死んでも本望じゃわいの。
沢市 イヤモウ、そう言うてたもる程、わが身の手前面目ないわいのう。がそれ程にまで信心してたもっても、おれがこの目はコレ、治りはせぬわいの。
お里 そりゃお前、何を言わしゃんす。この年月の艱難辛苦、雨の夜雪の夜霜の夜も、厭わぬ私がはだし参り、その一心でもお前の眼病、その目が明かいでなろうかいなア。
沢市 それ程に祈誓(きせい)を掛け、願うてたもった志、有難いとも嬉しいとも、その貞節のそなたをば、この年月の廻り根性、観音様じゃとて罰こそ当てれ、何のまアこの目が明いてたまるものか。
お里 そんな愚痴を言おうより、ちゃっと心を取り直し、観音様へ共々に、お願い申して下さんせ。
 〽夫を思う貞心の、心遣いぞ哀れなり。沢市涙にくれながら、過分ぞや女房ども、
沢市 それ程迄にそなたが一心、すわった上は御仏の、枯れたる木にも花咲くたとえ、見えぬこの目は枯れたる木、どうぞ花が咲かせたいなア。というた所が罪の深いわしが身の上、せめて未来を、イヤサ女房ども、手を引いてたも。
お里 アイアイ。
 〽手を引いてたべいざいざと、いうに嬉しく女房が、身拵えさえそこそこに、
 トこの内薄く雨の音をあしらい、沢市捨ぜりふにて足袋をぬぐ事などよろしく、お里火鉢の火を消す事あって、仏壇にある鉦と撞木(しゅもく)を腰につけ、
 〽いたわり渡す細杖の、細き心も細からぬ、誓いは深き壺坂の、御寺をさして、
 トお里介抱して、沢市花道よき所へ留まる。
お里 モシ溝でござんす。
沢市 どっこいしょ。
 〽出でて行く。
 ト三重にて、両人向うへ入る。