病床歌話
竹の里人

◎『こゝろの華』といふ雑誌は、広い東京にもたゞ一つしかない歌の雑誌であるが、その主意が曖昧であるとか、標準が定まらないとか、いふやうな評が前からある。しかしよく考へて見ると、まだ歌の方は維新の界で衰へたまゝ、充分にその羽を伸ばして働くことが出来なかつた。そこで歌を作るものが、少いわけでもないけれど、旧弊な人が多いので、雑誌でも見やうといふやうな人は殆ど無い、そこで今日に於いて、銘々の歌の流儀を主張して、それそれ別の雑誌を出して見た所で{*1}、それが皆成立つてゆくわけにはゆくまいと思ふ。
そこでこの雑誌のやうな極めて複雑な雑誌が出来ていろいろな反対したものが一雑誌のうちに集つて居るといふやうなことも時勢上止むを得ぬことである。かういふ風にやつてゆくうちには段々と歌の世の中も開けて来て、黒は黒、白は白と、両方に立ち別れて、競争するやうなことにもなるであらう。
◎万葉集を模するのが、善いとか悪いとかいふ議論が盛んであるやうだが、それはどうでも善いと思ふ。万葉集を模するのが善いと思ふ人は模するが善し、模するのが悪いと思ふ人は別に自分の面白いと思ふ歌を作るが善し、予はいづれでも善い歌を取るばかりのことである。万葉調を模してあつても、その歌が面白ければ無論それを取る。新調の歌でもそれが面白ければそれを取る。たゞ古今集のやうな歌は見るに足らぬから、古今集を模することは善くあるまいと思ふ。
◎連作の歌といふことを、左千夫君が論じて居つた。その主意は大概推量してわかつて居るが、その文章を見ると、多少不穏当の処もあるやうに思ふ。左千夫君に代つて、少し説明して見やうならば、次の如くである。
予の松の露の歌と、曙覧の鉱山の歌と比較してどう違ふて居るかといふと、これを植込に譬へて見ると、十本の樹が植ゑてある植込ならば、予の歌は、その植込全体を右から見、左から見、立つて見、座つて見、いろいろに見て十首の歌となつたのである。曙覧の歌はさうではなく、その十本の樹を、一本づつ一首の歌として十首の歌に作つたのである。それであるから、もし予の松の露の歌の景色を鉱山の歌と同じ格に作ると、先づ第一首は庭に松の木のあることを詠み、第二首は松の木に雨の降ることを詠み、第三首はその雨が松葉に溜ることを詠み、第四首はその露が松葉から落ちることを詠み、第五首は何々といふやうな風に詠んでゆかなくてはならぬのである。どちらが善いか悪いかは、勿論形式の上で論ずべきことではない。どちらでも面白い歌は面白いのである。
◎此頃著るしく歌を上手に詠み出したのは、長塚節である。まだ幼稚な処もあつて、悉く善いといふわけにはゆかぬが、時には極めて面白き歌を詠むやうになつた。
その一例をいふと『四月の末に京に上らむと思ひ設けしことのかなはずなりたれば心もだへてよめる歌』と題して、詠みし歌などは未曽有の出来であるが、二三首挙げて見ると
 青傘を八つさしひらく棕梠の木の花さく春になりにたらずや
 たらの芽のおどろに春のたけゆけばいまさらさらに都し思ほゆ
 都辺を恋ひて思へば白樫のおち葉掃きつゝありがてなくに
 艸枕たびにもゆかず木犀の芽立つ春べはむなしけなくも
 思ふことならのさ枝の垂れ花のかゆれかくゆれこゝろは止まず
などいふのである{*2}。この歌を誉める人でもいろいろ誉めやうが違ふて、或は序の句が面白いといふ人もあり、或は万葉調が面白いといふ人もある。予の見る所では勿論序の句も面白いけれど、結の句が充分に働いて居る所が、見所であると思ふ。万葉調を模した歌でも又はその外の新派などゝいふ歌でも新聞雑誌などに出て居るのを見ると、いづれも結句が充分に働いて居らぬために、皆尻軽の歌となつて、一つも面白いのがないやうに思ふ。それに反して節の歌は、万葉の言葉を自由自在に駆使して一首の結びをつけた処は、他に一頭地を抜んでゝ居ると思ふ。

「心の花」第五巻第七号(明治35年(1902年)7月)所載

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校訂者注
 1:底本のまま。
 2:底本は「などいふのであるこの歌を」。脱と見て句点を補った。