ラフカデイオ・ハアン
チヤムブレン
ラフカデイオ・ハアンに対する余の思ひ出は、宛然一場の夢の如くなりぬ。楽しき夢の常とて、余が思出の夢も亦、余りに短しと思はるゝばかりなり。体格は小作りにて、晩年にはやゝ肥り気味に見えたり{*1}。全く明を失ひたる片つ方の凸眼は、誠にそが半面の疵なりき。然れど二三分間、彼と応接すれば、温和にして熱情ある挙動の真に愛すべく、応接者の心は自然其方に奪はれつゝ、外部の欠点には注意する暇だにあらず。彼の談話は決して日常の瑣事にわたらず。話題は大方哲学と文学とにて、詩歌は彼の常に好む所なりき。多方面の大才能はありしかど、アイリツシユ種の人にも似合はず、ユーモアの性には欠けたりき。そは彼が幼時の悲しげに過され、青年中年の折も亦、常に孤独の有様にて、或時は飢と戦ひ或時は亦世間の軽侮を忍びつゝ、憂世の憂さの心にしみ渡りて、快活ならんと欲するも、不可能なりしなり。彼の著書は既に多く出版せられ、彼が数多の書簡も亦、今や世に名高くなりたるが、書簡といひ著書といひ、何れも皆彼の談話と等しく、一種固有の趣あり。但その書物はその談話に優れり、そが書簡は又そが書物に優れりとや批評しつべき。さばかりの用意もなく書き流されし書簡文中には、読者を魅する力あり。ハアンはそが書簡の好文章中に永久生存すべく、ワルポウル、フイツゼラルド、カアライル等と共に、英文学界に頭角を表せる消息文の大家として世に記憶せられぬべし。文章家としては、以上の大家にも亦実に一層優れたり。文体は能く彼が思想の全班に適合して、一面詩的なると同時に、又一面学理的の正確なる点をも兼備しゐたりき。彼は何事に就きても、一篇の論文を作らんとすれば作り得ざる事なく、数多の事実は最初に先深く観察せられたる後、詳しき上にも詳しきにわたるがその好む所なりき。一度筆を取りて文に綴るや、巧妙なる事宛然言語上の音楽家とも称しつベき程の器量持ちたり。一眼は既に用をなさず、他の一眼の視力も亦微少なるに、物の観察に怠なきは実に驚くべき程なりき。一室に入れば室内の物をば凡て観察せんとす。観察して後人に語りいでんとす。さればにや、我顔をばほとほと壁に接しつゝ、部屋の内の彼方此方を歩きめぐるが常なりき。日常の事に忠実なりしが如く文章にも亦忠実なりき。
前に述べたる如き陰気の質に加へて、ハアンには又多少の羞渋と怒り易き癖もありたりき。晩年になりて年来の旧友とは大方交を絶つに至りぬ。友が一片の言葉も、瞬時の顔色も、何としもなき聊かなる事柄も、過敏なる彼の感情を破りしなり。彼は不意の夭死に出逢ひしが、そが運命には我知らず心づき居たりし様に思はる。一生の事業はさばかり多く、而かもそが一生の時間はさばかり短かりき。さればにや友にも多く交はらず、交りたる二三の友人にも大方は冷淡に打過ぎつゝ、孤立の生活を送りておのが業にのみ従事し果てつ、そはいふ迄もなく一時の友は捨つるも、友よりは一層大きく又一層永続すべき社会てふものゝ為に、おのが天職を尽さんとてなりけり。彼が最後の著書二巻も亦斯くて作り得られしなり。
ハアンは真に愛すべき好人物にて、そが天性の長所を文学界に貢献して此世を去りつ。彼の為に害せられたる人は無く、そが著書は能く幾千といふ読者の心を慰めつ。日本といふ名を世界の国民中に高く響き渡らせたるも亦此人なり。ハアンが知己達の亡き友に対する思ひ出は尊敬なり。否尊敬よりは今一層の愛慕なり。
{本文はもと英文にて、東京帝国大学名誉教師チヤムブレン氏が、わが心の華の為に特に筆を執られたるものなれど、茲には和訳して記載しつ。可成原文に忠実ならんと勉めたれど、訳語に過不及の点あらば、作者も読者も赦し給ひてよ。因にいふ、ハアンの始めて日本に来るや、先チヤムブレン氏の家を訪ひしといふ。大学の英文学講師になりしも、チ氏の推薦に因れりしとか。縁ある人の、縁故ある人に対する人物評、誠に当れりと言ひつべし。訳者なる余も亦、ハアン先生には大恩あり。数年間の教授を受けつ。翻訳の筆を取りつゝも先生の面影うかびいづ。先生は常に質朴なる背広の服を着給へり。家にありては日本服をも用ゐ給ヘリ。帽子の色合もくすみたるを撰み給ヘリ。物の束縛を厭ひてにや、カラーといふ物常には用ゐ給はず。交際を避けてにや、教員室に入る事少く、教授の時間と時間との間には、庭園の散歩し給ふが常なりき。池のほとり、古木の蔭の先生が御うしろ姿は、今も我が目の前に見る様なり。}
(小花清泉しるす)
校訂者注
1:底本は「見えたり全く」。脱と見て句点を補った。
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