能狂言の滑稽
芳賀矢一
新年号の事ですから、おめでたいといふ事を本にして能狂言の滑稽に就いて簡単に御話いたしませう。
すべて事実を誇大にして、実際にはとても出来ない様な事を云ふのが一つの滑稽であります。予想に反し、常規に外れて、あまりに馬鹿気て居るといふところが笑の本になるのであります。『膏薬錬』といふ狂言で膏薬の力で大きな石を引はるといふ類、『磁石』といふ狂言で磁石の精だから刀を見れば皆呑みたくなるなどいふ類がこれであります{*1}。『文相撲』などで奉公人は一人では少くて困るから千人程抱へよう。置き所が無ければ野山におかう。野山に居らぬとならばくわツと減じて五十人にしよう。もそつと減して一人にするなどいふのも{*2}、一人から千人と大袈裟になるところがをかしいのであります。
かういふ風に極端から極端に進むから、例へば『二千石』で大名が腹を立てゝ切つて棄てるといひながら、其御手許が親御に似て居るといはれ、段々と親を思ひ出し遂には怒が悲に変じ、切つて棄てると言つたものに佩刀までも授けると云ふ様に極端に変化して行くがをかしいのです{*3}。『飛越新発意』では茶の湯へ行く道で溝に落ちて、笑つたとて腹を立て、悪口をいひ遂に相撲の組討となる。風流の茶湯と殺風景な組討と其変化の激しいのが滑稽です。『悪坊』では坊主に色々なものを持たせ果は腰を叩かせて寝る。坊主が物を掠めて去つた後で目を覚まし、仏の仕業と思つて出家する。出家を嘲弄した者が出家するのも極端から極端へ進んだのであります。
かくの如く物が倒さまになつて行くのがをかしいので{*4}、『胸突』では債主が債をはたりに行つて、負債者の為にいひかゝりをせられ、債主が却つて金を出してあやまるやうになり、『釣女』では下女が別嬪で、上臈が不別品で冠者が甘い事をせしめ{*5}、主人は却つて之を羨む位地に立つ{*6}。『鬮罪人』では鬮で主人が罪人になり、冠者が鬼となつて主人を責める。其外『寝声』、『アカガリ』、『止動方角』等皆主従顛倒するところに滑稽が成立つてをるのであります{*7}。坊主が坊主らしくなかつたり、大名が大名らしくなかつたり、何でも予想に反し、通常と変つて居るからをかしいのです。
それ故すべて有名無実がおもしろいのです。『不立腹』で正直坊が無暗に名を聞かれて遂には腹を立てる様に成るの類であります。『布施無経』で坊主が布施を催促したり『米市』で貰ひ物の催促をするなど皆為すべからざる事を鉄面皮に敢てするのが滑稽なのです。
それですから嘘言をつくことが滑稽になつて居ます。併しそのうそは直ぐに誰にでも嘘言と分るのです。本心は人に悟られながら表面だけごまかさうとするところがをかしいのです。『さし縄』のいひぬけ、『成上り』、『二千石』のごまかし等皆口さきで人を欺かうとするので、結局は看破されて仕舞ふのです。『鱸庖丁』で伯父をだまさうとし、『石神』で女房を説諭するのも同じ類であります。
ごまかすのは言葉には限りません。もとより動作が加はつて来ます。すりが田舎者を釣るといふ類のものが沢山あります。『磁石』。『仏師』。『二王』の類がそれであります。『伯母が酒』、『昆布布施』など鬼になつたり、坊主になつたり骨の折れた事です。男女間のをかしいのは、妻を欺かうとして裏をかゝれた『花子』、大名をたらかして冠者の計略で発見された『墨塗』などが面白い例でせう。もともと小ざかしい浅はかな計略で、大抵は其計略の成就せず、直ぐに他人に看破されるところが滑稽なのです。つまり骨折損のくたびれ儲となつて仕舞ふのです。
あらはれる事が分つて居る、小詭計で人を欺くのがをかしいので、その敗れるのには油断が本であります。油断のあるところが、間抜けてをかしいのです。『二人大名』、『太刀奪』などは皆油断の滑稽です。他人の聞いて居るとも知らずシヤベル不用意には『さし縄』、『花子』、『瓜盗人』の類があります。寝た為の油断からしくじつたのは『抜殻』、『悪坊』、『成上り物』等であります{*8}。おもひちがひで主人を縛るのは『狐塚』、嘘言を本当とおもつて怒るのは『内沙汰』の類で、油断よりも忘れつぽいこと、臆病なこと、みえはり等から色々な失策を生ずるのが沢山あります。
中にも慾から来る失策は沢山あつて、食慾からのは『コンクワイ』、『苞山伏』の類、酒からは『棒シバリ』、『婿貰』、『河原新市』、『素襖落』{*9}、『三人片輪』、『樋の酒』など、色慾は『枕物狂』{*10}、『水汲新発意』、財慾は『昆布布施』、『とちはくれ』の類であります。『雁争』に、雁を取られながら、せめてその羽でも呉れといふのはさもしい了見を極端まであらはしてをります。『文山たち』では盗賊が死なうとして{*11}、いやになつて別れる生命の慾があります。大抵小計略、小詭計の根本動機になつて居る事は叱られるのを恐れるか、又は何か役得に有りつかうといふ慾から来て居るのであります。
それから又言葉の上の戯を本として居る滑稽が沢山あります。方言や田舎者の言語を以て仕組んで居ることは今の落語などには沢山ある事ですが、狂言にはこの方は少いのです。『茶盃拝』といふのに唐人の語を写したのがありますがこれは近松なども用ゐる一種のものです。『文蔵』の饂素麺、『忠度』の唯乗といふ当時の歌や連歌の様に同音語の上にかけた滑稽。それから当時流行の連歌を読み合ふといふことがあります{*12}。これも無論言語の上の滑稽です。『盗人連歌』、『八句連歌』などの類です{*13}。『入間川』ですべて物事を逆にいふのも、言語滑稽の中でせうし、『通円』や『楽阿弥』の様に謡曲を摸した一種のパロデイも亦言語滑稽に相違ありません。囃の上に面白味をもたせたのもあります。その歌ひ方、囃し方がおもしろいのです。『末広かり』{*14}、『せんじ売』、『烏帽子折』など沢山あります{*15}。
校訂者注
底本の狂言演目に付されている傍点を『』で代用した。
1:底本は「これであます」。脱と見て一字補った。
2・3:底本のまま。
4:底本に読点はない。行末による脱と見て補った。
5:底本は「冠者め甘い事をせしめ」。誤植と見て訂正。
6:底本のまま。
7:底本は「北動方角」。誤植と見て訂正。
8:底本のまま。
9:底本に読点はない。脱と見て補った。
10:底本に読点はない。行末による脱と見て補った。
11・12:底本のまま。
13:底本に句点はない。行末による脱と見て補った。
14:底本は「末広からせんじ売」。一字誤植と見て訂正し、読点脱と見て補った。
15:底本は「烏帽子売」。誤植と見て訂正。
16:底本に句点はない。行末による脱と見て補った。
17:底本は「坊主の料理番俗人の坊主が」。脱と見て一字補った。
なお、リンクのある演目は、当ブログ「狂言」記事でお読み頂けます(一覧はこちら)。
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