苞山伏(はしやまぶし){*1}
▲山伏[次第]「貝をも持たぬ山伏が。貝をも持たぬ山伏が。道々嘘をふかうやう。
罷出たるは。大峯葛城参詣致し。只今下向道(だう)で御ざる。扨も扨も。今日は平日(いつ)にかはつて。暑う御ざる。此処に涼しさうな所が御ざる程に。先づ此大木(おほき)の下(もと)に。先づ少(ちと)まどろみませうず。
罷出たるは。大峯葛城参詣致し。只今下向道(だう)で御ざる。扨も扨も。今日は平日(いつ)にかはつて。暑う御ざる。此処に涼しさうな所が御ざる程に。先づ此大木(おほき)の下(もと)に。先づ少(ちと)まどろみませうず。
▲柴刈「罷出たるは山人(やまうど)で御ざる。柴を刈りに参らう。何とやら。暑うおぢやる程に。先づ此涼しい処に。一寝入致さう。
▲侍「罷出たるは山の彼方(あなた)迄。少(ちと)用有(あつ)て参る者で御ざる。何とやら暑う御ざる程に。此木蔭で少休らひませう。ゑ。山人も。寝て居らるゝよ。見れば昼飯(ひるげ)がつけてある。あれを何であれかし。食べてから休らひませう。ゑゝおきなよ。まんまとたん(食)ました。いや某(それがし)も{*2}。此処に又。少寝ませうず。去乍(さりながら)。山人が起て。飯(めし)を食(く)たなどゝあれば。悪う御ざる程に。先づ参らうか。ゑ。あれに山伏が寝て居る。山伏の口の辺(はた)に。飯をにぢつて置きませう。ゑ。如斯(かう)して置いてからは。如何程寝ても苦しう御ざらぬ。
▲柴刈「あゝ最早(もはや)。はて扨。日が晩(ばん)して御ざる。先づ。序に涼しい処で。昼飯(ひるめし)を食べうず。いゑ。此処な。無いが。鳶が食たか。鳶が食たら。蓋がせずにあらうに。誰れが食たぞ。いゑ。此処に寝て居らるゝしてが食はれたものぢやあらう。起こしませうず。なうなう起(おき)やれ。
▲侍「あゝ。あゝ。甚(いかう)寝た事。何ぢや。
▲柴刈「いや。足下(そなた)は。我(おれ)が昼飯は。食やらなんだか。
▲侍「や。此処な奴は。侍に云ふやうな事を云ふたがよい。
▲柴刈「いや。侍といふても。ひだるい事は。堪忍はならぬよの。
▲侍「やい。其処な奴。四辺(あたり)を見て物をぬかせ。
▲柴刈「寝て居た者は。足下に我とかおぢやらぬわいの。
▲侍「彼(あ)れを見居れ。彼処(あそこ)にも。山伏が寝て居る。
▲柴刈「はア。誠に寝て居りまする。彼奴(あいつ)起して。問ひませう。
▲侍「行て問へ。
▲柴刈「なうなう。
▲山伏「あゝ。甚寝た事かな。して何ぢやぞ。
▲柴刈「いや。お山伏。起すのは別(べち)の事ではおぢやらぬが。某が昼飯をば。ようお食やつた。
▲山伏「あいつは。ありや。何事をぬかす。
▲柴刈「はてなあらがやつそいの。口の側(はた)に付(つい)てあるわいの。
▲山伏「ゑ。こゝな思ひ付(つけ)た事がある。食はぬ飯(いひ)が髭に付(つく)とは。此(この)やうな事であらうず。食たか食はぬか。山伏の手柄には。祈り出して見せう。
▲柴刈「したら頼みまする。
▲侍「やいやい。山人。いや某は埒が明いたぞ。最早往ぬるぞ。
▲山伏「なうなう。お侍。先づ。往なつしやんな。こなたも此処に休ましやつて御ざつたさうなり。身供も此処に伏せつて御ざる。ふせうながら。まそつと御ざれ。祈出して見せませう。夫(それ)山伏といつぱ。貴(たつと)い人なり。頭巾(ときん)といつぱ。一尺斗(ばかり)の布を。黒く染め。襞をとつて。額に当(あつ)るを以て。頭巾といふ。珠数といつぱ。誠の珠数であらばこそ。珠数玉を百八つなぎ珠数と為(す)る。一祈祈(いのりいの)つたり、ぼろおんぼろおん。あつたらけたを。はちがさす。ぼろおんぼろおん。
▲柴刈「なうなう。の。けくてそのぼろおんで。少し残つた飯が。減りさうに御ざるぞや。
▲侍「な。山伏が。可笑い事するな。
▲山伏「橋の下の菖蒲は誰(た)が植ゑたしやうぶぞ。ぼろおんぼろおん。やいやい。山人。彼(あ)れを見よ。お侍の物に狂ふを見よ。
▲柴刈「はア。誠に。狂ひまするわ。
▲山伏「山伏のてがらには。祈出してからでは無いか。
▲柴刈「何の彼(か)の仰しやれても。我(おら)が昼飯はよそへずい。
校訂者注
1:底本のまま。
2:底本は「某(なれがし)」。
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