凡例
一、狂言記続狂言記拾遺狂言記合十五冊は狂言記刻本中の最も完きに近きものにして、また最も世に広布せるものなり。故に此の刻またこれを原本として採用したり。
一、狂言一道、大蔵流あり、鷺流あり、和泉流あり。世に行はるゝ狂言記は和泉流の書にして、大蔵、鷺二流の書は刊本無し。若し其の流布の広きより論ずれば、蓋し和泉流第一たるべしと雖も、其の辞章の備はれるより論ずれば蓋し大蔵流第一たるべし。此の刻安田善之助君より大蔵流の写本を借り得て、彰考館諸参考本の例に傚ひ、和泉流の文の後に大蔵流の文を載す。鷺流の文を載せざるものは、既に両端を尽す、其の中間のもの推知すべきを以て也。
一、仮名遣ひは大抵正しきに従ふと雖も間々発音に従へるところあり。蓋し狂言の性質たるや、うたひものを以て目すべきかどをも具するを以て、旧来の面目を保存せしめざる能はざるの事情無きにあらざるが故なり。はやしやれ、着せやれ、一しようにかゝれや、おぢやる、おりやるの類、かなひそむない坊主の類、皆発音に従はざる時は却て真を伝へずして異様の観をなすに至るべければなり。
一、旧刊仮名甚だ多くして文字甚だ少し、仮名甚だ多ければ意を取るに苦み、文字甚だ少ければ読下に時を費す。こゝを以て成るべく文字を填めて仮名を減じたり。たゞ、おはすといふ語の転じて、わするとなれるに、御座の二字を填めたるが如き、填字せざる時は意を取り難く、填字する時は牽強付会に近き虞あるものもまた成るベくは填字して意を明らかにせんことを務めたり。
一、日も暮れてといふべきを、日も晩してといふが如き時代の語法の奇異なるおもかげ、狂言中に甚だ多く見ゆ。読者あやまちて校訂者の誤謬と為して之を咎むる勿れ。
一、本文中囃し唱ふところは、旧本には節付の点を施しあり、今は一々其の節付を付する能はざるを以て、たゞ傍点を施して、常なみの言辞にあらざるを示したり。
一、本書の仮名づかひを正し墳字をなせるはじめより第二校正に至るまで、殆ど皆観象軒卜部君の労力によりたり。こゝに同君の労の大なるを特記す。
明治癸卯初夏
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