どちはぐれ

愚僧は。此辺(このあたり)に小庵をむすんで住居(すまゐ)致す者で御ざる。今日(けふ)は或(ある)御方に志をなされ。其上十疋の布施物をひかせらるゝが有(あり)て。昨日愚僧にも参る様にと御使(つかひ)で御ざつた程に。成程参りませうと申(まをし)て約束致して御ざるが。乍去(さりながら)又常斎(じやうとき)を下さるゝ御方が有(あつ)て。毎月(まいげつ)定(さだめ)てこれへ参る。誠に粥から御斎(おとき)を下されて。其上に結構なお菓子迄下さるゝが。何方(どなた)へ参らうぞと。左(と)や右(かう)と思案に落(おち)ませぬ。されば有生衣食住(うじやういじきぢう)と聞く時は。一切生(さいしやう)を請(うけ)たるものの食(じき)を求(もとめ)ぬは御ざらぬ程に。只斎(とき)の方(かた)ヘ参らう。布施は後のことでこそあれ。いやいや檀徒は是万行(ばんぎやう)の宗門。是に依て親疎を残さず。仏も布施を取れとこそ説玉(ときたま)ふ程に。左右(とかく)布施を取る方(かた)へ参らう。乍去(さりながら)一時(じ)の栄華に千年(ちとせ)を延(のぶ)ると申(まをす)程に。粥からお斎(とき)迄食べ。点心を食(くふ)て。御馳走にあふは。出家の身としてたれに上越(うへこ)す思ひ出は有るまい。只斎(とき)の方(かた)ヘ行かう。又此処に在る。らたいふはたうばゑんさいと聞く時は。裸躰(はだか)にては安からず。其上麻の衣(ころも)に紙の衾設け易うして。道心の望(のぞみ)少なし。十疋の布施を取(とつ)て真中(まんなか)より押切(おしき)り。半分は塩噌(えんそ)。薪(たきゞ)を買うて。衾を被(かぶ)り。寒気を防いだが勝(まし)であらう。殊に布施の方(はう)にも一飯(はん)は有ると申(まをす)程に。左右(とかく)布施の方(かた)へ参らう。やアやア。何と云ふぞ。一飯(はん)が過(すぎ)て。出家連はお帰りやつたと申(まをす)か。是は如何(いか)な事。誠に独言(ひとりごと)を云ふて居た内に日がたけた。尤ぢや。是非に及ばぬ。今からなりともお斎(とき)の方(かた)ヘ参らう。やア何と。愚僧が遅いといふて余の出家を喚(よ)ばせられて。夫(それ)もお帰りやつたと申(まをす)か。南無三宝。是は何方(どち)もはぐれた。扨も扨も苦々しいことをした。能(よく)々思案するに。人死して六道に迷ふと申(まをす)が。愚僧は生(いき)ながら迷ふた。誠に色々のちゆうさいを調(とゝのへ)て待(まつ)所へ行(ゆか)ぬは。是則(すなはち)餓鬼道なり。又布施の方(はう)へ行(ゆか)ふか。斎(とき)の方(かた)ヘ行(ゆか)うかと迷ふ所が畜生道。檀那も遅いと思ふて腹を立(たて)。愚僧も取外(とりはづ)して一人腹を立(たつ)る所が修羅道ぢや。布施の方(はう)とも。斎(とき)の方(はう)とも。一道(だう)に弁(わきま)へなんだ処が人道(じんだう)ぢや{*1}。四道を構へながら天台の剃刀(かみそり)にて頭(かしら)を円(まる)め。解脱抖擻(とそう)の衣(ころも)を着て。口に仏意を唱ふるとも。成仏得脱ならずして。無限地獄へ落入(おちいる)こと疑(うたがひ)あるまじ。あら浅ましの愚僧が心中や。はア扨もしなしたり。南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏。

底本:『狂言全集 中巻 続狂言記』「巻の四 十 どちはぐれ」

校訂者注
 1:底本は「処か人道(じんだう)」。