盗人連歌
▲シテ「(傍(わき)正面にて名乗る)これは此の辺(あたり)に住居(すまゐ)する者で御坐る。某(それがし)頃日(このごろ)若い衆と。初心講を結んで御坐るが。近き中(うち)に。身共の当番で御坐る。手前貧しい某が事なれば。何を一色(しき)調へも致さぬ。又身ども一人でも御坐らぬ。爰(こゝ)に誰と申して。念比(ねんごろ)致す人に。相当(あいたう)が御坐る。今日はそれへ参り。相談致して見やうと存(ぞんず)る。誠に手前何ともならぬ身代で。いらぬ事で御坐れども。好(すき)の道なれば是非も御坐らぬ。やア。参る程にこれで御坐る。物もう。案内も。
▲ア「やア。表に案内とある。何方(どなた)で御坐る。
▲シテ「いや。私で御坐る。
▲ア「やれやれ。能(よ)うこそ御出でなされた。定めて近日の当番につき。御出でゞ御坐らう。
▲シテ「中々。其の通りで御坐る。何とこなたには。何ぞ用意をなされたか。
▲ア「いや。私は只今迄。何と調(とゝのへ)も致さぬ。若(もし)かいしきが要らうかと存じ。用意致しました。
▲シテ「いやいや。夫(それ)では埒が明きますまい。身共は又。若杉楊枝が要らうかと存じ。調(とゝの)へました。
▲ア「扨は身共同前で御坐る。此の分では。中々。当を営むことはなりますまい。
▲シテ「されば。私も左様に存じて。今日は此方(こなた)と相談に参つた。如何に念比(ねんごろ)の中ぢやと申して。云ひにくい談合の御坐る。
▲ア「これは。何と改つた事で御坐る。何成(なになり)とも。遠慮なう仰せられ。
▲シテ「夫(それ)ならば申しませう。何の誰殿(たれどの)は。隠れもない分限者で御ざるとの{*1}。
▲ア「中々。左様に申します。
▲シテ「身共の存ずるは。兎角此の様に申してはなりますまい程に。今夜あれへ忍び入り。何ぞ一色預りて参り。当を営まうと存ずるが。何と御坐らう。
▲ア「是は一段の事を思(おもひ)立たせられた。内(ない)々。身共。左様に存じて御坐る。
▲シテ「扨は左様で御座るか。夫(それ)なれば。二人の分別が合うて御坐る。又誰殿は。両人共に見知つて居られます程に。自然身へ当りたりとも。別の事も御坐るまい。
▲ア「左様(さう)で御坐る。最早(もはや)日も暮れかゝります。いざ。そろそろ参らう。
▲シテ「中々。よい時分ぢや。此の様な事は。宵からつけたが好いと云ふ。いざ。参らう。
▲シテ「喃(なう)々。只今何ぞとつて参りたとまゝよ{*2}。仕合(しあはせ)致したら。また返しませう。
▲ア「中々。左様で御坐る。
▲シテ「何彼(なにか)といふ中(うち)に。是で御坐る。是は頃日(このごろ)普請致されたが。結構になりました{*3}。是では。なかなか表から入られますまい。いざ。裏へ廻りませう。
▲ア「よう御ざろ。
▲シテ「是々。まだ半造作ぢや。塀の手があはぬ。いざ。此の塀を越しませう。此方(こなた)も越(こさ)せられ。
▲ア「心得ました。先へ越せられ。
▲シテ「越されうか知らぬ。さらば越して見ませう。嬉しや。まんまと越した。
▲ア「さらば身共も越しませう。嬉しや嬉しや。越しました。
▲シテ{*4}「やア。これに葦垣(よしがき)がある。破りませう。是々。此の様なものも要らうかと存じて。鋸を用意致した。先(まづ)縄節(なはふし)を切らう。先縄を切解(きりほど)いた。さらば。垣を破らう。
▲二人「めりめりめり。扨も扨も夥(おびたゞ)しう鳴つた事哉(かな)。されども。誰も聞かぬと見えて。出合ふ者も無い。先心安い。さ。垣を潜(くゞ)らう。
▲ア「一段よからう。
▲シテ「嬉しや。潜りました。これに戸が立つてある。此の戸を開(あ)くれば坐敷ぢや。いざ開けう。さらさら。是は火が点(とも)してある。誰ぞ人があるか。人も無いさうな。扨は有明をおかれたと見えた。先心安い。さらば入らう。さアさア。御坐れ御坐れ。是々見させられ。見事さうな道具が並べてある。風呂。釜。茶入(ちやいれ)。茶碗。どれも好い物さうな。
▲ア「是はどれを一色(しき)とつても。大分の物であらう。
▲シテ「其の通(とほり)ぢや。やア。是に懐紙が掛けてある。何時(いつ)の懐紙ぢや。十月朔日(ひとひ)とある。徒移(わたまし)の連歌さうな。
▲ア「何としてある。見さしめ。
▲シテ「水に見て月の上なる木の葉哉とあるわ。さらば是に添へ発句いたさう。
▲ア「一段能(よ)からう。
▲シテ「此の様な所で。遂に連歌した事がない。先下(した)にとうと居さしませ。
▲ア「さらば此方(こなた)召され
▲シテ「夫なら身共致さうか。斯(か)うも有らうか。
▲ア「何と。
▲シテ「梢散り顕れやせん下紅葉。と致した。
▲ア「一段と出来た。さりながら少しさしあひがある。
▲シテ「いやいや。発句に指合(さしあひ)はあるまい。
▲ア「今宵これへきたに就いて。顕れやせんが指合ぢや。
▲シテ「いや。顕れやせぬぢや。
▲ア「これは能う直つた。さらば傍(わき)を致さう。
▲シテ「よかろ。
▲ア「時雨のおとを盗む松風。
▲シテ「一段出来てをりやる。
▲亭「やア。坐敷がにぎやかな。誰ぞ有るか。やア。盗人が入つたぞ。表へ人を廻せ。爰(こゝ)は身共が防ぐぞ。
▲シテ「申(まをし)申。盗人では御坐らぬ。
▲亭「何者ぢや。
▲シテ「いや。御坐敷を見物に参りました。
▲亭「夜中(やちう)に見物とは。唯(たゞ)一打(うち)にして呉(くれ)うぞ。さりながら。何やら最前声高(こわだか)にいふたは何事ぢや。
▲シテ「さアさア。其方(そなた)云はしませ。
▲ア「此方(こなた)おしやれ。
▲シテ「其事で御坐る。先御坐敷を見物に参つた所に。是に懐紙が御坐つた程に。夫に添へ発句を致して御坐る。
▲亭「夫は優しい。何とした。
▲シテ「先懐紙を見ますれば。水に見て月の上なる木の葉哉と御坐つた程に。梢散り顕れやせん下紅葉と致しましたれば。茲(こゝ)に一人小盗人(こぬすびと)が御坐ります。傍(わき)を致しました。さアさア。出でゝ云はしませ。
▲ア「其方(そなた)おしやれ。
▲亭「急いで申せ。
▲ア「時雨の音を盗む松風と致しましたが。まだ楊枝一本とりは致しませぬ。
▲亭「はア。これは。盗人の中(うち)でも優しい事ぢや。某も好(すき)じや程に。第三の致さう。
▲二人「夫は一段よう御坐りませう。定めて出来ませう。
▲亭「闇の比(ころ)月をあはれと忍び出で。としたわ。
▲シテ「天神もなりますまい。扨も出来ました。
▲亭「さアさア。四句目付けたら。手柄によつて助けてやらう{*5}。
▲ア「早う云はしめ。
▲シテ「斯うも云はれませうか。
▲亭「何と。
▲シテ「覚むべき夢ぞゆるせ鐘の音(ね)。
▲亭「是は一段出来た。最早(もはや)許すぞ。帰れ帰れ。
▲シテ「忝う御ざる。少し其所(そこ)をのいて下され。
▲亭「心得た。やア。誰かと思ふたれば。我御料(わごれう)達か。夫なら夫と仰やらいで。
▲シテ「私は参るまいと申したれど。茲(こゝ)な人が無理に連れて参りました。鋸迄持つて参られました
▲亭「扨々。中々の事ぢや。唯今の間窮屈にあらう。酒を一つ申さう。
▲シテ「いやいや。食べたう御坐らぬ。只帰して下され
▲亭「いや。是非とも申さう。下に居りやれ。さらば一つ参れ。
▲シテ「扨々忝い。殊にお酌まで。何ぞ取(とり)に参つたかと。思召(おぼしめ)す御心中が恥(はづか)しう御坐る。
▲亭「さアさア。一つ宛(づつ)飲ましませ。もうとらうか。
▲二人「なかなか。最早下されますまい。
▲亭「夫ならとるぞ。
▲二人「中々。
▲亭「此の太刀は持古(もちふる)したれど。我御料におますぞ。
▲シテ「夫は思(おもひ)も寄りませぬ事で御坐る。斟酌申しませう。
▲亭「いやいや。身共が心得が有つての事ぢや。取つておりやれ。
▲シテ「夫なら戴きませう。忝う御坐る。
▲亭「これこれ。此の刀は重代なれど。そなたにやるぞ。
▲ア「これは。私に迄忝う御坐る。戴きませう。
▲亭「喃(なう)々。斯様(かやう)に致すは。重ねておでやらば表から案内云うて御でやれ。夜中(やちう)に裏からおでやれば。気遣(きづかひ)致す程に。
▲シテ「如何(いか)にも畏つて御坐る。最早両人が参らぬからは。別に参るものも御坐るまい。御気遣ひなされますな。
▲亭「定めて窮屈に有らう程に。身共は入るぞ。寛(ゆる)りと休んで帰りやれ。
▲シテ「心得ました」。
▲シテ「扨も扨も。是は思(おもひ)の外な事ぢや。是と申すも。天神の御納受であらう。この様な目出度い時には。謡を唄うて帰らう。
▲ア「よからう。
▲シテ{*6}「げにや。和歌の言葉にも。鬼神迄も納受とは。
▲ア「かゝることをや申すらん。
▲二人{*7}「それ世のつねのならひには。ぬす人をとらへては。きるこそ法ときくものを。このぬす人はさはなくて。連歌にすけるとくにより。
▲シテ「太刀。
▲ア「かたな。
▲二人{*8}「たびにけり。是からやことのたとへにも。ぬすびとにおひと云ふことは。かゝることをやまをすらん。かゝることをやまをすらん。
▲シテ「喃(なう)々。其方(そなた)と身共が命は。五百八十年。
▲ア{*9}「七廻(まわ)り。
▲シテ「近頃目出度い。此方(こなた)へおりやれ。此方(こなた)へおりやれ。
▲ア「心得た。心得た。
底本:『狂言全集 下巻 狂言記拾遺』「巻の一 三 盗人連歌」
校訂者注
1・2:底本のまま。
3:底本は「▲シ。「」。
4:底本は「結搆」。
5:底本は「手抦(てがら)」。
6・8:底本、6▲シテ「から8▲二人「の最後まで傍点がある。
6・8:底本、6▲シテ「から8▲二人「の最後まで傍点がある。
7:底本は「▲二人ト」。
9:底本に「はない。
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