吟聟(ぎんじむこ)

▲しうと「罷出たるは。娘の親で御ざる。左様に御ざれば。太郎冠者を呼び出し申付(まをしつけ)うと存ずる。太郎冠者あるか。

▲ぐわじや「御前に。

▲しうと「念無う早かつた。汝を喚(よ)び出す余の義で無い。今日(こんにち)は最上吉日。聟の御坐(わす)るげな。掃除などを云ひ付け。ゑつ。

▲くわじや「はつ。皆々今日は。聟様の御出ぢや。平日(いつも)のやうに。見苦しくして。御ざらずとも。上臈衆も。身だしなみを肝要でおじやる。申付(まをしつけ)て御ざる。

▲しうと「聟わせたらば。是へと申せ。

▲くわじや「はア。

▲むこ「罷出たるは舅に可愛がらるゝ。花聟で御ざる。左様に御ざれば。度々。聟入をせいとあつて。節(せつ)々の使が立(たち)まする。今日(こんにち)は何であれかし。聟入を致さうと存ずる。聞けば聟入には。色々の辞宜(じぎ)が御ざるげな。某(それがし)いまともにはじめで御ざる。茲(こゝ)に又。六郎兵衛様とて。何もに功者(こうしや)な御方が御座る程に。是へ参り。辞宜の様子を習ふて。参らうと存ずる。程無う是で御ざる。ものも。お案内。

▲六郎兵衛「おもてに案内があるが誰ぢや知らぬまでい。いゑ。作兵衛。ようおりやつた。

▲むこ「はつ{*1}。

▲六郎兵衛「して又是は。平日(いつも)より。綺羅びやかにおりやる。

▲むこ「此様子をば。目利(めきゝ)なされませい。

▲六郎兵衛「さればの。聟入などではおりやるまいか。

▲むこ「然(さ)ればこそよ。物に心得さつしやれた程御ざりまする。聟入で御ざりまする。

▲六郎兵衛「して又是へは。何として。寄りやつたぞ。

▲むこ「いや。その御事で御ざりまする。あまた聟入には辞宜があると承て御ざる。こなたに一つ習はうと思ふて参つて御ざる。

▲六郎兵衛「はてさて好うこそおりやつたれ。をすへ（教へ）てまつせう。それにお待(まち)やれ。さてもさてもをかしい事を申して参つた。おもふさま笑草(わらひぐさ)ををすへ（教へ）てやりませう。なう。ゐさしますか。

▲むこ「はつ。

▲六郎兵衛「そなたは。仕合(しあはせ)な人ぢや。聟入の書が物の本のうへにおりやつた{*2}。

▲むこ「はれ。すりや又。仕合で御ざりまする。

▲六郎兵衛「さりながら。大昔。中(なか)昔。当風といふて。三段おぢやるが。何(どれ)を習(なら)やるぞ。

▲むこ「然れば申(まをし)。昔も高等に御ざらうず。さるから当世も悪う御ざらう。只中昔を教(をそ)へて下されい。

▲六郎兵衛「なう。こなたは聟入をめさるれば。分別までが上つた。中昔はまづ舅の方(かた)へ行きやつたらば。案内を請(こ)やらうず。其時に御内(みうち)の者が。出るであらう。其時おしやらうには。舅内ゐらるゝか。聟が参りて候と。それそれ申せ。太郎冠者。ふやらのふやらのふん。とおしやつたがよい。さて。舅の前で。此(この)き。きつ。そこで一つまはつて。此(この)て。て。てゝこてんのて。ふやらのふやらのふん。とおしやればよい。

▲むこ「畏(かしこまつ)て御ざる。余のは皆合点で御ざるが。此ふんが。合点がまゐりませぬ。

▲六郎兵衛「おう合点のゆかぬこそ道理なり。物のあとでふんと云ふを以て。之を吟聟(ぎんじむこ)といふ。

▲むこ「あゝ合点で御ざりまする。かうさへ申すれば。好う御座りまする。

▲六郎兵衛「中々。

▲むこ「したらかう参りまする。

▲六郎兵衛「ようおりやつた。

▲むこ「はつ。やれさて。まんまと習ふて御ざる。急いで参らう。程なう是で御ざる。物も。お案内。

▲くわじや「こりや誰様(どなた)から御ざりました。

▲むこ「汝(おのれ)は誰ぢや。

▲くわじや「御内の者で御ざる。

▲むこ「冠者か。

▲くわじや「はつ。

▲むこ「行て申さうずるには。聟が参りて候と。それそれ申せ。太郎冠者。やいやい汝(おのれ)は。聞きも定めいで行きさる。大事の辞宜がある。

▲くわじや「はつ。

▲むこ「ふやらのふやらのふんと云へ。

▲くわじや「申(まをし)々御ざりまするか。

▲しうと「何としたぞ。

▲くわじや「聟様の御出で御ざる。

▲しうと「何故(なぜ)に此方(こなた)へと申さぬ。

▲くわじや「先(ま)づ待たつしやれませい。面白いお辞宜が御ざりまする。

▲しうと「何とした。

▲くわじや「聟が参りて候。それそれ申せ。太郎冠者。ふやらのふやらのふん。と。御意なされまする。

▲しうと「やい。冠者。聟殿は浮世人(うきよじん)じやによつて。さやうに御意なされたものじやあらう。いで申さうずるには。舅内に在りまする。御這入りなされ。ふやらのふやらのふん。と云はう。

▲くわじや「はつ。御ざりますか。舅内にありまする。お這入りなされませいの。ふやらのふやらのふん。

▲むこ「さてもさても。太郎冠者奴(め)が。中昔のたゞ中を申(まをし)た。やい冠者。ありや。誰様(どなた)ぢや。

▲くわじや「舅殿で御ざりまする。

▲むこ「鈍な奴の。しうと殿なら舅殿とはいはいで。辞宜が有る。や。此(この)き。このき。きゝら。きんのき。あゝ。騒がしやんな騒がしやんな。辞宜で御ざる。此。こゝで。一つまはつて。此て。てゝこ。てんのて。はゝ。あ。疾(とう)も参らうと。存じたれども。彼此(かれこれ)といたして。暇もえませいで遅なはりましたる所。御赦免あられませいのふん。

▲しうと「苦しう御座らぬのふん。太郎冠者。盃出しませいのふん。

▲くわじや「まゐりませいのふん。

▲むこ「先づまゐれのふん。

▲しうと「たべて申(まをす)ふん。

▲むこ「戴きますのふん。

▲しうと「舅受(うけ)持つて御ざる。聟殿に。一つ音曲を遊ばせと申せふん。

▲くわじや「申(まをし)まする。舅受持つて御ざる。聟様に音曲を遊ばしませいのふん。

▲むこ「やい。冠者。行(い)て申さうずるには。是ヘ音曲を申(まをし)やはせ（合せ）ませぬ。

▲くわじや「申(まをし)。聟様。そりや何のことで御ざりまする。

▲むこ「音曲の事ぢやわいやい。

▲くわじや「音曲とは謡(うたひ)のことで御ざりまする。

▲むこ「謡なら謡と疾うは云はいで。

[謡]親子の道となるからは。たゞ何事も。か事も。[下]許したまへや舅殿。

▲しうと「[上]も一つ参れ聟殿。

▲むこ{*3}「[ハル]も一つ参れ舅殿。三三九こん重(かさ)なれば。後は酒宴の余りにて。

[つれまひ]聟も舅も諸[下]共に。聟も舅も諸共に。合舞(あひまひ)まふて[ハル]ぞ帰りけれ。ふやらのふやらのふん。

　1：底本には句点はない。

　2：底本は「聟入の書か物の本のうへに」。

　3：底本、「余りにて」まで傍点がある。