笠の下

▲僧{*1}「われは仏と思ひども{*2}。われは仏と思ひども。[下]人は何とか思ふらん。

[地][上]思ふらん。

斯様にさふらふ者は。貴(たつと)い出家にて候。われ未(いま)だ都を見ず候程に。只今都へ上り候。

[道行]住み馴れし我(わが)古寺をひよつと[ハル]出て。[下]住み馴れし我古寺をひよつと出て。[下]足に任せて行く程に。そんじよう其処に着きにけり。

急ぎ候程に。何処(いづく)ともなく着いて御ざる。日の暮(くれ)て候程に。彼(あ)れなる在処に立寄り。一夜を明さばやと存ずる。物も。

▲宿「誰(た)ぞ。やア。

▲僧「是は旅の出家にて御ざる。日の暮て候間。一夜の宿を貸して下されい。

▲宿「易い事にて候が。此処は。一人(り)出家に宿貸す事が禁制にて御ざる。なりますまい。

▲僧「はつとは。尤にて候へども。出家の悪い事は致さぬもので御ざる。一夜是非共貸して下されい。

▲宿「いやなりますまい。

▲僧「確(しか)となりますまいか。

▲宿「はてならぬと云へば。

▲僧「ならざ好うおぢやるわいの。

▲宿「はて。すこすい坊主の。

▲僧「我御料(わごれう)が宿貸さぬとて。夜を明さずに居やうか。と申(まをし)ても。何処(いづく)へ参らうやうもならず。どうぞ分別で宿貸りませう。又お案内も。

▲宿「又案内がある。最前の出家ぢやよ。

▲僧「はつ。最前の坊主で御ざる。私は何処(いづく)に臥せつても。苦しう御ざらぬ。此笠ばかり預けたう御ざる。一夜預からつしやれて下されまいか。

▲宿「おう。笠ばかりは苦しからぬ事。何処(いづく)になりとも置きやろ。

▲僧「いや。大事の笠で御ざる程に。座敷の真中(まんなか)に置いて下されませい。

▲宿「ふん。それは何処になりとも置きやろ。

▲僧「はつ。辱(かたじけ)なう御ざる。然(さ)らばこゝもとに置きませう。

▲宿「なうなう。夜が明けたらば。早々取りにおぢやれや。

▲僧「畏つて御ざる。然(さ)らば然らば。はつ。宿はかつたものぢや。先づ此笠を着て。一夜を明しませう。はア。最早(もはや)御経時(ごきやうどき)ぢや。経を読みませう。

▲宿「あら不思議や。座敷に経声がするが。何者ぢや知らぬまでい。是は如何(いか)な事。最前の坊主が。座敷の真中に。松茸の生えたやうに笠を被(き)て居る。其処に居られるは最前の坊主では無いか{*3}。

▲僧「中々。最前の坊主でおぢやる。

▲宿「誰に宿を貸つて居るぞ。

▲僧「なうなう。御亭に尋ねたい事が御ざる。

▲宿「何事ぞ。

▲僧「此お家は誰様(どなた)の御家(ごいへ)で御ざる。

▲宿「此は身が家でおぢやる。

▲僧「此お家の内は。足下(こなた)のまゝで御ざるか。

▲宿「なんでも無い事。家の内の物は。皆身共がまゝでおぢやる。

▲僧「此笠は。誰(た)が笠でおぢやるの。

▲宿「それは其方(そなた)の笠でおぢやる。

▲僧「宵よりあづけましたは。合点でおぢやるか{*4}。

▲宿「おう。笠ばかりは。預つておぢやる。

▲僧「笠を預けたはぢやう。笠の下は笠がまゝよ。身は笠に宿借つておぢやる。

▲宿「是は如何な事。坊主奴(め)が理詰(りづめ)に仕居つた。して又。笠より出た処はなんと。

▲僧「それは。其方(そなた)の屋敷の内ぢや程に。欠いてなりとも。はつゝてなりともおとれやろ。

▲宿「確(しか)とか。

▲僧「中々。

▲宿「茲処(こゝ)が出た。

▲僧「どつこい{*5}。

▲宿「いや。茲処が出た。

▲僧「いや。心得た。

▲宿「あはゝ。扨も扨も。気の薬な坊主ぢや。一夜を貸しませう。なうなう。

▲僧「何で御ざる。

▲宿「余り不憫に御ざる程に。一夜を貸しませう。笠を脱(と)つて。寛(ゆる)りと休ましやれい。

▲僧「いゑ。御亭様の。笠を脱(と)らせて。追ひ出さうと思ふて。

▲宿「弓矢八幡誠でおぢやる。

▲僧「此上からは。先づ。家主(いへぬし)から下(おろ)しませう。あら。窮屈や窮屈や。

▲宿「扨も扨も。御坊は面白い人ぢや。夜と共話しませう。

▲僧「扨も扨も。辱(かたじけ)なう御ざる。

▲宿「なうなう御坊。酒を一つ参らぬか。

▲僧「辱なうは御ざるが。私は。五戒を保ちまする。取分け。飲酒戒(おんしゆかい)とて。殊の外酒を戒めて御ざる。下された同前で御ざる。辱なうこそ御ざれ。

▲宿「扨々。尊い御出家かな。是非に及ばぬ。某(それがし)ばかり。寝酒に飲(た)べませう。御坊一つ参らぬの。

▲僧「念も無い事念も無い事。なう御亭様。其肴は何で御ざる。

▲宿「ろくしやう。裙帯菜(わかめ)で御ざる。

▲僧「然(さ)あらば。其肴ばかり。少(ちと)これへ下されい。

▲宿「誠に気が付きませなんだ。

▲僧「然(さ)らば其酒を。此裙帯菜(わかめ)にかけて下されい。

▲宿「御坊は。禁酒にては御ざらぬか。

▲僧「いや。酒しほとて。苦しからぬ。一つ盛らつしやれい。

▲宿「是は酒しほ過ぎませう。

▲僧「なう。御亭様。足下(こなた)も所の法度を破り。宿を貸さつしやれた{*6}。私も五戒破りで。一つ飲(たべ)ませう。

▲宿「一段の事。夜と共酒盛して遊びませう。

▲二人「さゞんざ。

▲宿「なう御坊。一つ肴を致さう。

▲僧「あゝ。それは面白う御ざる。

▲宿（何事でも小舞(まひ)を舞ふ）

▲僧「あゝ。扨も扨も。しほらしい事かな。然(さ)あらば慮外申(まをし)ませう。

▲宿「なう御坊。何ぞ肴が見たう御ざるの。

▲僧「私は出家の事にて御ざれば。御経ならでは存じませぬ。

▲宿「いや。何にても。立姿が見たう御ざる。

▲僧「此上からで御ざる程に。一つ舞ひませう。

[ふし][中][カカリ][クル]一のせどのはしよだいない[クル]人で。え踊らぬ[下]われにをどれとおしやる。踊りてふりを見せまゐらせう。踊りてふりを見せまゐらせう。[中]くわんこくわんこ。くわんこや。てれつくにてれつくに。[入]したんに。たゝたんに。たつほゝ。たつほゝ。たつかたつかたつほゝ。ゑいはらにゑいはらに。ゑいきりにゑいきりに。からりちんに。ひゆやにひゆやに。ちやうらくに。ひゆやに。ついやついや。ついやろに。[二]ちやうらくに。

ひつ。

▲宿「扨も扨も。しほらしう。面白い事かな。

▲僧「ま一つ下されう。なうなう。御亭様。最早(もはや)。夜も明けて御ざる。是から私は舞立ちに致さう。囃いて下されい。

▲宿「何と噺しませう。

▲僧「地蔵まひと囃して下されい。

▲宿「心得て御ざる。

{*7}地蔵舞を見まいな見まいな。

▲僧「地蔵のすみし所は。からだせんに。あんにようかい。ぢごく餓鬼畜生しゆら。にんてんにあまねく。罪の深き衆生を救はんと思(おぼし)召し。錫杖をおつとつて。かいすくうでがつたり。ひつすくうでかつたり。昔釈迦だいしの。御説法の有りし時。辱(かたじけ)なくも。如来の黄金(こがね)の御手(みて)をさしあげ。ぜんさいなれやぜんさいと。地蔵ばうが頭(つむり)を。三度迄撫(な)で給ふ。今より後に。衆生を地蔵に預け置くなりと。仰せまかりかうぶり。走りまはり廻(めぐ)れど。誰やの人があはれみ。お茶一服くれざるに。此ざしきに参りて。七斗入(いり)にとうとう。えんにちにまかせて。二十四杯飲みければ。かうじの花がめにあがり。左の方(かた)へよろよろ。右の方へよろよろ。よろりよろりよろりと。よろめきわたる地蔵坊が。踊つたを見さいの。ほつひやりひやり。ほつはいひやろのひつ。

　1：底本、「われは仏と思ひども（二字以上の繰り返し記号）」に傍点がある。

　2：底本のまま。

　3：底本は「坊主では無いが」。

　4：底本は「合点でおぢやるが」。

　5：底本は「どつこい「」。

　6：底本は「宿を費(か)さつしやれた」。

　7：底本、ここから▲僧「の最後まで傍点がある。