長光(ながみつ)

▲田舎者「某(それがし)が頼うだる者は。遥(はるか)遠国(をんごく)の者で御ざる。永(なが)々在京仕(つかまつ)り。只今本国に罷下(まかりくだ)るやうに御ざる。某に。土産物などを調(とゝの)へいと申され候。町屋へ行(い)て。土産物を買はうと存ずる。先づ急ぎませう。
▲すり「斯様(かやう)に候者は。此辺(このあたり)のすつぱにて御ざる。此程は打続(うちつゞき)仕合(しあはせ)の悪(あし)い儀ぢや。町屋へ出て。仕合を致さうと存ずる。
▲田舎者「はア。たいたりたいたり。種(いろ)々の売(うり)物が有るわ。此張子(はりこ)何程(いくら)。やア。それは高いの。ま。まつとまきや。否(いや)。ならぬ。はつて。まきやらいでの。
▲すり「やア。彼(あれ)に田舎漢(もの)と見えて。何やらわつぱと申(まをす)。見れば。黄金作(こがねづくり)の太刀を持(もつ)て居る。少(ちと)たづさはつて見ませう。
▲田舎者「亭主。茲処(こゝ)に在るは何ぞ。何。おきあがりこぼしぢや。子供達の土産に此が好からう。価(ね)は何程(いくら)で。やア。なにも高いの。然(さ)う云はずと。まけてお売(うり)や。是はいかな事。人の後(うしろ)へ何者やら来て。此太刀に目をかけてうろうろするが。好かぬ奴ぢやまでい。先づ爰許(こゝもと)をすかしまして。上(かみ)の町へ行(い)て買ひませう。
▲すり「扨々利発(りこう)な奴ぢや。騙されまい。いや。何卒(なにとぞ)して。彼(あ)の太刀をしてやりませう。
▲田舎者「はア。此見世も。見事な見世の。此くしはらひは何程(いくら)ぞ。やア。下町も高いが。上(かみ)の町も高いまでい。まつとまけて売(うり)や。是非ともまきやまきや。平(ひら)に平に。これは何者ぞ{*1}。
▲すり「何者とは。汝(おのれ)は何者ぞ。人の大事の太刀に手を掛(かく)るぞ。
▲田舎者「是は如何な事。人のとりなは([韋蒦]{*2})を己が腰へ結付(ゆひつけ)て{*3}。人の太刀に手を掛(かく)るとは。おほきい盗人めぢや。昼強盗。出やへ(出合へ)でやへ。
▲すり「人の佩(はい)て居る太刀を。抜いて取らうとする昼強盗よ。出合へ出合へ出合へ。
▲目代「やいやい。これは何事ぞ。
▲田舎者「はつ。これは所の目代様ではござりませぬか。
▲目代「応。目代にてあるが。汝等は何事を仕(つかまつ)る。
▲田舎者「はつ。目代様ならば。聞かつしやれて下されい{*4}。私が主(しゆう)は遠国の者で御ざる。買物を仕(つかまつ)れと申付(まをしつけ)られて。此見世で買物を仕る所へ。此盗人めが。私の持(もつ)て居りまする太刀のとりおびを。己が腰に結(ゆ)ひ付(つけ)て。私を盗人ぢやと申(まをし)まする程に。聞き分(わけ)て下されませい。
▲すり「扨々。嘘を云ふ盗人めかな。此太刀は私の太刀で御ざる。買物を致しまする処へ。彼(あ)の盗人めが。太刀を抜いて取らうと致しまする。きつと仰せ付(つけ)られて下されませい。
▲目代「これは何方(どちら)も埒が明かぬ。身がきつと埒を明けてとらせう。其内。太刀を身が預らう。
▲田舎者。すり「畏つて御ざる。
▲目代「両方水かけ合(あひ)のやうにては。埒が明かぬ。身が分別で。明けてとらせう。やいやい田舎漢(もの)。此太刀の出処(でどころ)銘は何にてあるぞ。
▲田舎者「それは易い事でござる。私の太刀の御ざる所で。好く存じて御ざる。
▲目代「然(さ)らば云へ。
▲田舎者「先づ。出所は備前で御ざる。銘は長光。ながは長(ちやう)。みつは光(ひかる)で御ざる。あの盗人が知つたか。問はつしやれて下されい。
▲目代「やいやい。彼(あ)の者は。太刀の出所(でどころ)。銘を存じてあるが。汝も申せ。
▲すり「はつて。私が太刀で御ざりまするものを。それを存ぜぬ者が御ざらうか。
▲目代「はやう申せ。
▲すり「先づ。出所は備前で御ざる。銘は長光。ながは長(ちやう)。みつは光(ひかる)で御ざる。
▲目代「是は不思議な事ぢや。両方ながらが同じやうに申(まをす)。不思議な事ぢや。抜いて見ませう。はア。彼らが申(まをす)如く。備前長光で御ざる。不思議な事ぢやまでい。やい田舎漢(もの)。して又。肌(はだへ)は如何様(いかやう)にあるぞ。
▲田舎者「はつ。肌(はだへ)は。霜月師走の氷の上。薄雪がちらりちらりちらりと。降(ふり)かゝつたが如くで御ざりまする。これをば彼(あれ)が得(え)知りますまい。
▲目代「やい。其処な者。彼(あ)の者は肌(はだへ)を申(まをし)てあるが。汝も急いで申せ。
▲すり「彼(あ)の盗人めさへ存じましたものを。太刀の主(ぬし)が。夫(それ)を知らぬと云ふ事が御ざりませうか。
▲目代「急いで申せ。
▲すり「先づ。肌(はだへ)は。霜月師走の氷の上へ。薄雪がちらりちらりちらりと。降(ふり)かゝつたる如くで御ざりまする。
▲目代「やいやい。田舎者。両方ながら同(おなじ)やうに申(まをす)。これでは埒が明かぬ。疾(とく)々此太刀は。なかゝら身が太刀にせう。
▲すり「あゝ尤で御ざる{*4}。彼(あ)の盗人ゆゑに。難義をかけまする。其代(かはり)に鞘と柄(つか)とは。目代様に上げませう程に。中(なか)が身は{*5}。某(それがし)に渡さつしやれませい{*6}。
▲田舎者「是はかゝる迷惑で御ざりまする。私の今合点がまゐつて御ざる。私は田舎者で。何を申せども。高声(かうせう)たかに御ざるによつて。彼が聞取(きゝとつ)て左様に申(まをす)と存じまする。今度は寸の長(ながさ)を彼が得(え)聞かぬやうに。耳語(さゝや)いて申(まをし)ませう。聞かしやれて下されい。
▲目代「是も斯(か)うぢや。然(さ)らば寸尺を申せ。
▲田舎者「はつ。お耳を寄せさつしやれて下されい。寸は二尺五寸で御ざりまする。
▲すり「南無三宝。耳語(さゝや)いてぬかいた所で。得聞かなんだ。何とせう。知らぬまでい。
▲田舎者「ゑい。今度は得聞くまい。疾(とう)から耳語(さゝや)かうものを。
▲目代「やいやい。彼(あ)の者は寸を申(まをし)あるが。汝も寸を申せ。
▲すり「畏つて御ざる。
▲目代「さア申せ。
▲すり「備前で御ざりまする。
▲目代「それは出所(でどころ)の事。寸尺を申せ。
▲すり「長光で御ざる。
▲目代「夫は銘。寸尺を申せ。
▲すり「みつはひかる。長(なが)はながいで御ざる。
▲目代「茲(こゝ)な狼狽(うろたへ)者めが。寸を申せ。
▲すり「霜月師走の薄氷で御ざる。
▲目代「狼狽(うろたへ)者。寸をぬかせ。
▲すり「ちらりちらりちらりと降る所で御ざる。
▲目代「扨は騙者(すり)に相極(きまつ)てある。一寸もやるまい。
▲すり「御免なつて下されい。
▲目代「御免なれとは。一寸も遁(のが)すまいぞ。
▲すり「御免御免。
▲目代。田舎者「どつこへ。やるまいやるまい。

底本:『狂言全集 上巻 狂言記』「巻の五 七 長光


校訂者注
 1:底本は「これは何物ぞ」。
 2:底本の漢字にはテキストがなく、偏と旁を別の漢字で示し、二字で一字とした。
 3:底本は「已(おのれ)が腰へ」。
 4:底本は「あゝ尤て御ざる」。
 5:底本は「中(なか)か身は」。
 6:底本は「某(それが)しに」。
 7:底本は「目代様ならば 聞かつしやれて」。