つんぼ座頭

▲主「罷出たる者は。此辺(このあたり)の者で御ざる。某(それがし)二三日或方(さるかた)へ参る。身共の使ふ者は聾(つんぼ)で御ざる。あれ一人(り)では。留守が心許(もと)無う御ざる。夫(それ)に就(つき)。爰(こゝ)に菊市と申(まをし)て。出入致す座頭が御ざる。これを喚(よ)びに参り。相(あひ)留守に頼まうと存ずる。急いで参らう。
[道行]内に居れば宜(よ)う御ざるが。何と御ざらうぞ。定(さだめ)て宿に居るで御ざらう。やア。何かと申(まをす)うちにこれで御ざる。物もう。菊市内に居らるゝか。
▲キク「やア。表に案内が有る。誰様(どなた)で御ざる。
▲主「いや身共ぢや。
▲キク「やア。好うこそ御出なされました。只今は何と思召(おぼしめし)御出で御ざる。
▲主「其事ぢや。某二三日他所(よそ)へ参る。夫(それ)に付(つき)身共の使ふ者は聾(つんぼ)で。何共心許無い。其方(そなた)を相留守に頼(たのみ)たう思ふて来た。来てくりやるまいか。
▲キク「能(よ)うこそ御出なされました。幸(さいはひ)今日(こんにち)は暇で居ります。成程参りませう。
▲主「夫は近頃過分(くわぶん)。其義なら。いざ同道致さう。さアさアおりやれおりやれ。
▲キク「畏つて御ざる。慮外ながら。少(ちと)手を引(ひい)て下され。
▲主「心得た。
[道行]なう菊市。此間は久しう見えなんだ。何として見えぬぞ。
▲キク「然(さ)ればで御ざります。方(はう)々勤(つとめ)ますに依り。暇を得ませいで。御見舞も申(まをし)ませぬ。
▲主「それは一段ぢや。兎角暇の無いが好うおりやる。やア早(はや)これぢや。先(まづ)奥へ通りやれ。それに寛(ゆるり)と居やれ。
▲キク「畏つて御ざる。これに居りませう。
▲主「聾(つんぼ)々。太郎冠者(くわじや)太郎冠者。
▲シテ「何ぢや。喚(よ)ばりやるか。何で御ざる。
▲主「身共は二三日他所(よそ)へ行く。能(よ)う留守をせい。
▲シテ「何と。二三日の内に雨が降らうかとおしやるか。
▲主「いやいや。さうでは無い。二三日他所へ行く。能う留守をせいと云ふことぢや。
▲シテ「聞きました。二三日他所へ御ざる。能う留守をせい。
▲主「いかにも然(さ)うぢや。又彼(あれ)に菊市も来て居る程に。言ひ合ふて能う留守をせい。
▲シテ「菊畠の事は御気遣(きづかひ)なされますな。大事に致しませう。
▲主「いや然(さ)うでは無い。菊市も来て居る程に。言ひ合ふて能う留守をせいと云ふ事ぢや。
▲シ「何と菊市が来て居ますか。
▲主「中々。
▲シ「いかにも言ひ合ふて能う留守を致しませう。
▲主「それそれ。これへ出よ。
▲シ「心得ました。
▲主「菊市。最早(もはや)身共は行く程に{*1}。聾(つんぼ)もこれに居る。言ひ合ふて能う留守をしてたもれ。
▲シ「畏つて御ざる。頓(やがて)御帰りなされませ。
▲主「やがて帰らうぞ。
▲シ「扨も扨も。彼(あ)の菊市が目も見えぬ形態(なり)で。頼まるればとて。留守に来るものか。若(もし)盗人が這入つたら何とせうと思ふて来た知らぬ。
▲キ「やア。聾(つんぼ)が身共がことをいふと見えた{*2}。聾(つんぼ)々。太郎冠者。
▲シ「やア菊市か。好う来た。
▲キ「何と此中(このぢゆう)は久しう逢はぬが。息災さうな。
▲シ「おう此中は好い天気ぢや。
▲キ「否(いや)さうでは無い。此中は久しう逢はぬと云ふことぢや。
▲シ「然(さ)れば然れば久しうおりやる。今日は好う留守におりやつた。
▲キ「其事ぢや。頼うだ人の二三日他所(よそ)へ行(ゆく)とおしやつた程に。留守に来た。言(いひ)合うて能う留守をせうぞ。
▲シ「これは聞いた。いかにも言合ふて。能う留守をせうぞ。
▲キ「乍去(さりながら)。若(もし)盗人が這入(はいつ)たら。其方(そち)は目が見えても耳が聞(きこ)えず。身共は耳が聞(きこ)えても目が見えず。何としたものであらう。
▲シ「何ぢや。其方(そち)を目が見ゆるといふか。
▲キ「扨も気の毒な。さうでは無い。盗人が這入たらば。身共は耳が聞(きこ)えても目が見えぬが。何とせうといふこと。
▲シ「聞いた。誠に其方(そち)が云ふ通(とほり)ぢや。何とせうなア。
▲キ「身共がつくづく思案するに。若(もし)盗人が這入(はいつ)たら。身共が耳で聞き付けて。其方(そち)が膝を突かう程に。夫(それ)を相図(あひづ)に防げ。
▲シ「これは聞いた。若(もし)盗人が這入(はいつ)たらば。其相図(あひづ)に身共が膝を突かうといふか。
▲キ「中々さうぢや。
▲シ「是は一段好からう。若盗人が這入たら膝を突け。身共が防がうぞ{*3}。
▲キ「心得た。あゝ扨も扨も聾(つんぼ)に物云へば。精も心も尽(つき)ることぢや。
▲シ「これは如何な事。座頭と云ふ者は。智恵の深いものぢや。好い思案を思ひ付(つい)た。
▲キ「やア。甚(いかう)淋しい{*4}。少(ちと)聾(つんぼ)を嬲(なぶつ)て遊(あそぼ)う。そりやそりや。盗人よ盗人よ。
▲シ「心得た。やれ盗人が這入(はいつ)たぞ。出合へ出合へ。やるまいぞやるまいぞ。
▲キ（笑ふて）「扨も扨も可笑い事かな。よう盗人が居やうぞ。是は好い慰(なぐさみ)ぢや。面白いことかな。
▲シ「やい菊市。盗人は居ぬわ。
▲キ「何ぢや居ぬか。居やうがあつてこそ。（笑ふ也(なり)）
▲シ「是は如何な事。座頭めが甚(いかう)笑ふが。扨は身共を嬲(なぶ)りをつたと見えた。憎い事ぢや。致しやうが有る。やい菊市。身共は此中。小舞を稽古して好う舞ふが。其方(そち)が目が見ゆるなら。舞ふて見せたいなア。
▲キ「夫(それ)は面白からう。目こそ見えずと。舞の声を聞(きい)て慰まう。舞(まよ)て見せい{*5}。
▲シ「何と。置けと云ふか。
▲キ「否(いや)舞へと云ふこと。
▲シ「夫(それ)なら舞はうか。乍去(さりながら)。是も果(はて)た処で賛(ほめ)ねばならぬ。其相図(あひづ)には。果(はて)た処で。其方(そち)が顔を撫(なで)う。其時賛(ほめ)い。
▲キ「何と。相図に。果た(はて)た処で顔を撫(なで)るか。
▲シ「中々。
▲キ「いかにも。賛(ほめ)て遣らう。舞へ舞へ。
▲シ「心得た。然(さ)らば舞ふぞ。
[舞]こゝ通る熊野道者の。手に持つたも竹栢(なぎ)の葉。笠にさいたもなぎのは。これは何方(どなた)のお聖(ひじり)様ぞ。笠の内がおゆかし。大津阪本のお聖(ひじり)ぢや。あゝくわんじや聖(ひじり)ぢや。（足にて顔なでる。）
▲キ「ゑいやア。扨も扨も。舞ふたり舞ふたり。
▲シ（笑(わらふ)て）「是は如何な事。目の見えぬ者は。何も知らぬ。身共が足で撫(なで)たを知らいで嬉しがる。扨も扨も。面白事かな。
▲キ「是は合点がいかぬ。彼(あれ)があの如くに笑ふ筈は無いが。思ひ付(つけ)た。扨は某が顔を。臑(すね)で撫(なで)居つたと見えた。扨も憎い事ぢや。やア。返しに又致しやうが有る。やい聾(つんぼ)。身共も今の返礼に。平家を稽古した。其方(そち)が耳が聞(きこ)えるなら。語(かたつ)て聞(きか)せたいなア。
▲シ「何といふぞ。平家を語らう。好かろ好かろ語れ。
▲キ「乍去(さりながら)。語(かたつ)ても其方(そち)が耳が聞(きこ)えぬ程に。これも相図に果(はて)た処で。手をさし上(あぐ)る程に。其時賛(ほめ)い。
▲シ「何と今の手を上(あぐ)るが相図か。
▲キ「中々。
▲シ「如何にも賛(ほめ)う。語れ語れ。
▲キ「心得た。語るぞ語るぞ。
[平家]抑(そもそも)此の聾(つんぼ)めは。片輪者の癖として。根性は拗(す)ねふて臆病聾のやけ聾め{*6}。（手を上げる）
▲シ「ゑいやア。扨も扨も。面白ことかな。
▲キ（笑(わらふ)て）「是は如何なこと。聾(つんぼ)と云ふ者は。己が身の上のこといふも知らいで{*7}。出来たと云ふて嬉しがる。これは可笑い事ぢや。
▲シ「やア又座頭めが笑ふが。扨は身共が身の上の事を云ふたと見えた。又致しやうが有る。やいやい菊市。今の平家は面白かつた。身共も今一番舞をまふて見せうぞ。
▲キ「何と云ふぞ。又舞はうと云ふか。
▲シ「中々。
▲キ「いかにも舞へ舞へ。
▲シ「相図は最前の通(とほり)ぢや。又顔を撫(なで)るぞ。
▲キ「心得た。なでい。賛(ほめ)うぞ。
▲シ[舞]「宇治のさらしに。嶋に洲崎に立(たつ)浪をつけて。はんま千鳥の友呼ぶ声は。ちりちりやちりちり。ちいりちりやちりちりと。友呼ぶ処に。嶋かげよりも。艪(ろ)の音が。からりころりからりころりと漕(こぎ)出して。釣(つり)する処に。釣(つゝ)た処が面白{*9}。（足にて顔なでる）
▲キ「どこへ倥(ぬか)ることでは無いぞ。（シテの足持つ）面白いとのとの{*8}。（廻る）
▲シ「是は何とするぞ何とするぞ。
▲キ「汝(おのれ)がやうな奴は。斯(か)うして置いたがよい。（打(うち)こかす）
▲シ「やアおのれ。座頭の分として憎い奴の。（座頭の足を取り引(ひき)廻す）
▲キ「是は何とする何とする。
▲シ「おてつまゐつた（負つた）の{*10}。（打(うち)こかし入る）
▲キ「やいやい。目も見えぬ者を。此様に仕居つて。将来が好うあるまいぞ。やるまいぞやるまいぞ。

底本：『狂言全集　中巻　続狂言記』「巻の三　六　つんぼ座頭」
校訂者注
　1：底本に句点はない。
　2：底本は「聾(つんぼ)か身共がことをいふ」。
　3：底本は「身共か防がうぞ」。
　4：底本に句点はない。
　5・6：底本のまま。
　7：底本は「己か身の上のこと」。
　8：底本のまま。
　9：底本に句点はない。
　10：底本のまま。