六人僧

▲シテ「罷出たる者は。此辺(このあたり)に住居(すまゐ)致す者で御ざる。此中(このぢゆう)思ひ立(たつ)て。仏詣(ぶつけい)致さうと存(ぞんず)る。某(それがし)ばかりでも無し。一両人申合(まをしあは)せたが御ざる程に。これを誘ふて。同道致さうと存ずる。参る程にこれで御ざる。誰殿御宿(おやど)に御ざるか。
▲アト「誰様(どなた)で御ざるぞ。
▲シテ「いや。某で御ざる。
▲アト「何と思ふて出ませられた。
▲シテ「其事で御ざる。今日は日も好く御ざる程に。内(ない)々申合(まをしあふ)た如く。仏詣致さうと存(ぞんじ)て。これへ参つて御ざる。
▲アト「能(よ)うこそ御ざつたれ。誰殿もこれに御ざる。それへなりとも参つて誘ひませうと存じて御ざる。さらば追付(おつゝけ)参りませう。
▲シテ「さらば御ざれ。
▲アト「先(まづ)御ざれ。
▲シテ「参らうか。
▲アト「中々御ざれ。
▲シテ「斯様(かやう)に同道致すからは。自然腹の立つ事が御ざるとも。互に堪忍を致いて同道致さう。
▲アト「仰せらるゝ通(とほり)。長(なが)の旅ぢや程に。戯事(ざれごと)をもせいでも叶はぬことぢや。如何(いか)やうの事が有るとも。堪忍を致いて同道致さう。
▲シテ{*1}「や。殊の外草臥(くたびれ)て御ざる。折節これに辻堂が御ざる。先(まづ)腰をかけて休みませう。あゝ。甚(いかう)草臥て御ざる。少(ちと)某はまどろみませう。
▲アト「彼(あ)の人は殊の外草臥と見えた。
▲後アト「鹿島発(たち)ぢや程に。さうもおぢやらう。
▲アト「少(ちと)これへ御ざれ。申(まをし)。能う寐入(ねいつ)たと見えた。夫(それ)に就(つき)最前彼(あ)の人が。何事を仕たりとも。腹を立(たて)まいと云はれた程に。少(ちと)嬲(なぶ)つて見ませう。
▲後アト「誠に。堅(かた)々口固(くちがため)をせられた程に。嬲らうか。何として好からうぞ。
▲初ア「彼(あ)の人はねごい程に。こかいても知られまい。いざ坊主になさう。
▲後ア「夫(それ)は余(あまり)ぢやが。
▲初ア「いやいや。何事も腹を立(たて)まいと云ふからは。苦しうあるまい。其上腹を立(たて)たらば。其時の様子に依(よ)らう。其方(そなた)は剃刀をお持(も)たぢやつたか{*2}。
▲後ア「いや持(もち)ませぬ。
▲初ア「不嗜(ふたしなみ)な人ぢや。自然鬚を剃らうと思ふて。某は剃刀をたしなうだ。然(さ)らばお揉(もみ)やれ。
▲後アト「心得た。(其うちに。剃刀手合せをして。剃りにかゝる。)
▲初ア「先(まづ)一方(はう)は剃つたが。何とせうぞ。思ひ出した。耳へ水を入るれば。寐返るものぢやと聞(きい)た。(と云ふて剃刀の柄で。耳へ一雫(しづく)落(おと)す真似をする。そこで寐返る。又揉うで剃る。頭巾被(かぶ)せて。肩衣取り。衣(ころも)着せて。)いざ。少(ちと)まどろまう。
▲後ア「好からう。(と云ふて。二人ながらぬる(寐る)。坊主目を覚し。衣頭(ころもあたま)の様子見て驚き。二人(り)の者を起(おこ)す。二人(り)ながら起きて。)
▲初ア「やア。其方(そなた)は何と思ふて法躰(ほつたい)したぞ。
▲シテ「何と思ふてとは聞(きこ)えぬ。此様な事を為(す)るものか。其方(そなた)達ならではせまい。
▲後ア「いや。聞(きこ)えぬ事を云ふ。それ程に思ひ寄つたらば。少(ちと)某等(ら)にも知らせいで。
(殊の外腹を立て。二人(り)を叱る。)
▲初ア「其事ぢや。譬(たとへ)ば吾等が仕たにもせよ。最前何事にてもあれ。腹立てずく無しと約束した上は。夫程に云はうことでは無い。
▲シテ「尤なれども。事によつたものぢや。此如くに。坊主になつて好いものか。
(と云ふて。散々に言葉争(ことばからかひ)して。坊主は戻る。二人(り)は行く。坊主太鼓打(うち)の傍に居る。)
▲二人「扨々聞えぬ人ぢや。いざ参らう。
(と云ふて。大臣柱の側(そば)にさして居る。)
▲シテ坊主(立て)「扨々腹の立(たつ)事で御ざる。此返報を致したい。や。思ひ寄つた事が御ざる。先(まづ)宿へ戻らう。誰の。内におぢやるか。又誰のもおりやるか。お出やれ。
▲女(二人ながら出る)「なうそれの声ぢやが。何として帰らせられたぞ。是は如何(いか)な事{*3}。それは何とした姿(なり)で御ざるぞ。
▲シテ坊主「さればされば。其方(そなた)達に逢ふても面目無い。
▲女「先づ何事で御ざるぞ。妾(わらは)が所のは何とめされて御ざるぞ。お帰りやりませぬか。
▲シテ「先づ斯(か)う通らしめ。其方達に逢ふて云はうとは思へど。涙に咽(むせ)んで云はれぬ。
▲女「左様に仰せらるれば。いよいよ聞きたう御ざる。早う仰せられい。
▲シテ「それならば隠いてもいらぬこと。云はう。先(まづ)三人同道して参つた。所を云ふても合点が行くまい。道に大きな川があつた。二人(り)は渡らうと云ふ。某は深さうな程に。先づ様子を見て渡らしませといふたれど。聞かいで。手と手と取りようて(合(あふ)て)渡つた程に。真中(まんなか)で。深い処へ陥没(はまつ)て。二人(り)ながら。棒やなどを振る如くに。ぶらりぶらりと流れて死んだ。
▲女「扨も扨も。苦々しい事で御ざる。
▲又女「夫は誠で御ざるか。(と云ふて二人の女さめざめと泣く。)
▲シテ「某も不便(ふびん)に思ふて。此如くに様(さま)を変へて。高野(かうや)へ登るが。其方(そなた)達が知るまい程に。知らせうと思うて。これへ立(たち)寄つた。
▲女「扨は誠で御ざるか。此中(このぢゆう)夢見が悪かつたと思ふて御ざる。此上は川へなりとも。身を投(なげ)て死なう。
▲又女「妾(わらは)も自害してなりとも死にませう。(と云ふて歎く。) 
▲シテ「それ程に思(おも)やらば。死んでいらざること。頭(つむり)を剃つてなりとも。念仏申(まをし)て。お弔(とむら)やれ。
▲女「誠に左様に致いて。後世を吊(とむら)ひませう。
▲シテ「それは一段ぢや。左様にめされい。
▲女「誰頼まう人も無い程に。こなた剃つて下され。
▲シテ「真実左様に思やるか。それならば剃つておませう。(二人(り)して。われ先と剃らする。剃りてから綿帽子被(かぶ)せ)
▲シテ「某は最前もいふ如く。これから高野へ参る程に。序(ついで)に此髪を高野へ納めておませう。
▲女「如何(いか)やうにもなされて下され。
▲シテ「二人ながら。比丘尼なりが好い。さらばさらば。一段の事をした。まだ是では腹がいぬ。彼(か)の者共が遠いへは(遠くへは)行(ゆく)まい。追付(おつゝ)いて致しやうが御ざる。
(と云ふて行く。二人(り)は立ち。)
▲二人「彼(か)の者は。在所へも得(え)戻るまいぞ。(そこで互に見て)
▲シテ「そなた達は誰ぢや。
▲アト「誰とは何事を云ふぞ。誰々ぢや。
▲シテ「声を聞けば。正しう誰々ぢやが。不思議な事ぢや。
▲アト「何事を云ふぞ。
▲シテ「其事ぢや。某義在所へ戻つたれば。誰が云ふたやら。二人(り)ながら川へ陥没(はま)つて死んだといふて。在所では泣(なき)歎く。
▲アト「やれ。其様な事はな云ひそ。彼(か)の返礼に云ふものであらう。な。おかまやつそ。
▲シテ「いや。さう云はば云へ。女房衆が生(いき)ても死んでもと云ふて。自害して死んだ。
▲アト「やれ。だまされはせまいぞ。 
▲シテ「夫(それ)なれば是非も無い。乍去(さりながら)。証拠が有る。
▲アト「夫は何事ぞ。
▲シテ「これこれ。此髪を見さしませ。此は其方(そなた)の女房衆の。又此は我御料(わごりよ)のお内義のぢや。覚(おぼえ)は無いか。
(二人ながら手に取り見て)
▲アト「これは如何な事。髪が短うてあかい。
▲又一人は{*4}「鬢が縮(ちゞ)うて有る。扨は誠か。
▲シテ「中々。何の偽(いつはり)があらう。其方(そなた)達が知るまいと思ふて。これまで来て知らせた。
▲アト「誠に思ひ合(あは)する事がある。女どもが毎(つね)々云ふたは。しぜんのことがあらば。生(いき)ては居まいと云ふたが。一ぢやう(定)ぢや。情(なさけ)ない事ぢや。(と云ふて。二人(り)ながらさめざめと泣く。)
▲シテ「夫程に思(おも)やらば。後世を吊(とむら)ふておやりやれ。
▲アト「何として好からうぞ。いざ様(さま)を変(かへ)て。高野へ参らう。
▲又アト「一段好からう。其方(そなた)剃つてくれさしませ。
▲シテ「心得た。
(二人ながら剃りて頭巾被(かぶ)せ。肩衣脱(と)り。衣(ころも)着て{*5}。)
よし。法師姿(なり)も好いわ。いざ参らう。乍去(さりながら)。先づ在所へ戻つてからのことに致さう。
▲アト「さうも仕(つかまつ)らう。
▲シテ「参る程にこれぢや。誰々の女房衆お出やれ。(二人の女出る。)
▲シテ「某を此様にしたが好いか。
(四人ながら腹を立て{*6}。)
▲四人「是は如何な事。何として好からうぞ。彼(あ)のわろの女房衆も喚(よ)び出して剃らう。
▲シテ「夫(それ)は免(ゆる)してくれい。
▲四人「なんの免せ。
(と云ふまゝ。喚び出して剃(す)り。綿帽子被(かぶ)せ。六人ながら舞台へ出。)
▲シテ「昔からも。強戯(こはざれ)はせぬことぢやと云ふが。此事ぢや。乍去(さりながら)。これは只事であるまい。後世を願へとあるお告(つげ)であらうぞ。
▲アト「誠に短い命を持(もつ)て。徒(いたづら)に暮(くら)さうことでない程に。これを菩提の種として。後世を願はう。
▲シ「夫ならば。某音頭をとつて申さう。なまふだ。
▲三人「なまふだ。
▲比丘「なまふだ。
▲皆々「なまふだなまふだなまふだなまふだ。とつぱいひやろひ。

底本:『狂言全集 中巻 続狂言記』「巻の 九 六人僧」
校訂者注
 1:底本は「堪忍を致いて 同道致さう。シテ▲「」。
 2:底本のまま。
 3:底本は「是は如何(いな)な事」。
 4:底本のまま。
 5:底本は「衣着て。よし。)法師姿も好いわ。」。
 6:底本に「)」はない。