箕かつぎ
▲シテ「罷出たる者は。此辺(このあたり)の者で御ざる。頃日(このごろ)此処許(もと)の若い衆が寄合(よりあひ)て。連歌をなさるゝに付(つき)。某(それがし)此道に不堪(ふかん)なりといへども。各(おのおの)に雑(まじはつ)て口真似を致す様に御ざる。誠に高き賤(いやし)きを分(わか)ず。貴(たつと)からずして高位の交(まじはり)をなし。此様な面白い事は御ざらぬ。夫(それ)につき。今晩は某が頭(とう)に当(あたつ)て御ざる。先(まづ)女共を喚(よ)び出して申付(まをしつけ)うと存ずる。これの居りやるか。
▲女「妾(わらは)を喚ばせらるゝは何事で御ざるぞ。
▲シテ「別の事でもおりない。連歌の頭に当(あたつ)たに付(つい)て。何方(いづれ)もが御出なさるゝ程に。其用意をさしませ。
▲女「扨も扨も軽忽(きやうこつ)なことを云はせらるゝ。只さへならぬ資産(しんだい)で。今日も連歌。明(あす)も連歌といふて。連歌にばかり関(かゝ)つて御ざるに依(よつ)て。此如くに資産(しんだい)零落(おちぶれ)たことでは御ざらぬか。むざとしたことを仰せられず共。何卒(なにとぞ)資産(しんだい)のつゞく思案をさしませ。
▲シ「いや。其方(そなた)は連歌の頭にさへ当(あた)れば腹を立(たて)る。誠に此様な葎(むぐら)の宿へ。各(おのおの)の御出なさるゝを忝(かたじけな)いと思ふて。いぶせき小屋の塵をも払うて。喜ばうはずを。其如くに機嫌にするは。定(さだめ)て某に連歌を止(やめ)よといふ事さうな。これは我御料(わごりよ)が此道にたづさはらぬ故ぢや。少(ちと)連歌を仕習はしやりませ。力をも入(いれ)ずして。天地を動(うごか)し。鬼神(おにかみ)の心をも和らげ。猛き武士(ものゝふ)もなぐさむ。其方(そなた)が様に不束(ふつゝか)の拙(つたな)い者もならぬことでは無い。道は近きにあれど。これを遠きに求め。事は易きにあれど。これを難(かたき)に求むといふ。誓言(せいげん)の金言が有る。又歌にも。植(うゑ)て見よ。花のそだゝぬ。里も無し。心からこそ。身はいやしけれ。といふて。移せばなることぢや。唐(もろこし)の高適は。五十にして。初(はじめ)て詩を作つたとさへ云ふ。我(わが)朝に住(すん)で連歌。歌に心を寄せぬは。水に住む蛙(かはづ)には劣(おとつ)たことでおりやる。
▲女「また訳も無いこと仰せらるゝ。最早(もはや)今夜の頭をいとなまう様が御ざらぬ。
▲シ「いとなまう様が無い。
▲女「中々。
▲シ「扨々夫(それ)は苦々しいことぢや。何方(いづれも)の御出なさるゝ様にと。固(かた)々契約をしたに。其様なことなれば皆手筈が違ふ。ならぬといふては置かれまい。物は仕(し)やう。事は才覚ぢや。何卒調(とゝの)ふやうにしてくれさしませ。
▲女「何と云はせられても。いとなむことはなりませぬ。
▲シ「夫ならば云ひ兼(かね)たれども{*1}。我御料(わごりよ)が嫁入(いり)の時持(もつ)ておりやつた手箱を代(しろ)なさしませ。
▲女「妾が手箱が今迄御ざらうか{*2}。夫は疾(と)う代(しろ)なしました。
▲シ「其方(そなた)は先日(いつぞや)の会の時も。それも代(しろ)なして無い。これも代なして無いとおしやつたれ共。見事調へさせました。
▲女「其時は何共仕様は御ざらず。妾が親里へいふて遣(やつ)て。やうやう調へました。
▲シ「誠に其才覚が好い筈ぢや。又此度も其方が親里へ云ふて遣て。調へてくれさしませ。
▲女「たれが一度や二度のことでは御ざらず。其様にさいさいいふて遣ることはなりませぬ。
▲シ「たれが悪いことではなし。我御料が親も連歌を好きやる程に。厭とはおしやるまい。如何(どう)でも云ふて遣つてくれさしませ。
▲女「思ひもよらぬこと。云ふて遣ることはなりませぬ。其上連歌にかゝつて御ざる故。身躰(しんだい)(生活(みすぎ)の義也){*2}なりませぬ。向後(きやうご)連歌をやめさせられまいなら。妾には暇(ひま)を下され。
▲シ「やア汝(おのれ)は憎いことを云ふ奴ぢや{*3}。尤某が日頃連歌に好いて。農作を怠る故に。資産(しんだい)零落(おちぶ)れたれども。分際相応の理を弁(わきま)へぬでは無い。貧福は自然の物なり。果報は寝て待(まて)といふことが有る。今こそ時にあはで零落(おちぶれ)たりとも。今少(すこし)連歌を仕覚えて。各(おのおの)の宗匠もするならば。世を送る方便(たつき)になるまいものではない。汝(おのれ)は人の気にあたるさし合(あひ)も知らぬ奴ぢや。先(まづ)前句(ぜんく)に連歌を止(やめ)よと云ふやり句をいふ。あげ句に出ていねともいはぬに。暇(いとま)をくれいといふ。出す五(いつ)文字から合点がいかぬ。汝(おのれ)が様な奴は。人倫たる者は。下女はしたにしても使ふまいずれ共。元より悪女のさり嫌ひも無い某なればこそ。今迄添ふて居たれ。常々気にいらぬ女ぢやと。姙(はら)み句に思ふて居たに。幸(さいはひ)の事ぢや。片時(へんし)も早う出ていね。
▲女「おんでもないこと。出て行かいで何とせう。其方(そなた)が様なる人に添(そひ)合はするが前世の因果でおりやる。妾が持(もつ)て来た道具小袖を。代(しろ)なせ代(しろ)なせと云ふて。皆にさしました程に。父(とゝ)様や母(かゝ)様に云ふて。取(とり)返さずば置くまいぞ。
▲シ「扨も扨も可笑いことをいふ。我御料は今云ふたを。真実ぢやと思はしますか。これは皆当座の云ひ捨(すて)でおりやるわいの。又其方が出て行(い)なうと云ふたも。某は誠と思はれぬ。連歌を止(やめ)よと云ふ枕詞ぢやと合点した。今云ふたは皆虚言(きよごん)でおりやる。必(かならず)気にかけさしますな。
▲女「いやいや如何(どう)御ざつても。暇(ひま)を取らねばなりませぬ。
▲シ「扨は今云ふたことが。夫程腹が立(たつ)か。其方が出ていなうと云ふ対句にいふておりやる。これ程のことを口号(くちずさみ)にいふまいものではない。某が思ふとは裏表の違(ちがひ)ぢや。天神も照覧あれ。戯言(ざれごと)でおりやる。兎角夫婦は何事も同意せねばならぬ。斯(かう)云ふてあざる(戯る)からは堪忍してくれさしめ。
▲女「いや真実で御ざらうとも。戯言で御ざらうとも。連歌をさせられては。資産(しんだい)つゞきませぬ程に。如何でも暇を下され。
▲シ「これはかゝる難句を云ひかけさします。譬(たとへ)ば骨を朽(くた)し。肉を曝(さら)す共。此面白い連歌を止(やめ)ることはならぬ。よし此上は出て行(ゆき)たくば行かしませ。去(さり)ながら貞女両夫に見(まみ)えずといふて。一度結(むすん)で二度改(あらたむ)る道は無いこと。三従(じゆう)の慎(つゝしみ)を知らぬ女は。神祇釈教にも背(そむく)ぞ。我御料は生類では有(ある)まいぞ。あゝ誠に家貧にして新知(しんち)少く。いやしき身には故人疎(うと)しといふが。資産(しんだい)ふりよくしたれば。女房にさへ見捨(すて)られた。貧は諸道の妨(さまたげ)といふが尤ぢや。世をも人をも恨むまい。二世(せ)をかねた妻とても。退(のけ)ば他人ぢや。暇(いとま)が欲(ほし)くば遣る程に。早う出て行かしませ。
▲女「中々出て行きます程に。証拠(しるし)を下され。
▲シ「夫(それ)は追出すが証拠(しるし)ぢやは。
▲女「いや女の作法で。塵を結んでなりとも。証拠を取(とら)ねばなりませぬ。
▲シ「夫は安いことぢや。これこれ塵遣ろ。
▲女「塵を結んでと云ふたは詞(ことば)で御ざる。何なりとも証拠(しるし)になる物をおこさせられい。
▲シ「其方が知る通(とほり)。何も遣らう物が無い。家についた柱なりとも引抜(ひきぬい)て行かしませ。
▲女「柱が持(もつ)て行かるゝもので御ざるか。何なりともおこさせられい。
▲シ「何を遣らうぞ。爰(こゝ)に其方が朝夕手馴(なれ)た箕(み)が有る。此を遣(やる)ぞ。
▲女「此でも苦しう御ざらぬが。路次で人にも逢(あひ)ませうに。此様なさもしい物が持(もつ)ては行かれますまい。
▲シ「持(もつ)て行かれずば。担(かつい)で行かしませ。道で人に逢(あつ)て。顔が見えいで好からう。
▲女「此如くにきぬぎぬになるとても。互に厭(あ)き厭かれぬ中ぢや程に。近い処を通らしますならば。必(かならず)寄らしませ。
▲シ「又其方が親達へも。好いやうに心得てくれさしませ。さらばさらば。扨も扨も興(きよう)がつた姿(なり)かな。彼(あ)の箕を担(かつい)だ姿(なり)は。何とぞあらうことぢや。なうなう。先(まづ)戻らしませ。
▲女「いや用も御ざるまい。
▲シ「暇(いとま)の証拠(しるし)にまだ添(そへ)てやる物が有る。戻らしませ。
▲女「何で御ざるぞ。
▲シ「其方が其箕を担(かつい)で行(ゆく)姿(なり)を見て。三日月の。出(いづ)るも惜しき。名残(なごり)かな。と発句をした程に。其方が親達へ話してくれさしませや。
▲女「心得ました。誠に斯様(かやう)のことに返歌をせねば。口無い者に生(うま)るゝと申(まをす)。此脇を致さうと存(ぞんず)る。申(まをし)御ざるか。
▲シ「其方は何をして居るぞ。夜分にならぬうちに。早ういないで。
▲女「されば只今の発句に脇をしました。
▲シ「夫は誰がいの。
▲女「妾が。
▲シ「何とめさりやつた。
▲女「秋のかたみに。暮(くれ)てこそゆけ。としました。
▲シ「是は如何なこと。其方はこれ程の心得があらうとは思はなんだが。勧学院の雀は蒙求を囀(さへづ)り。智者の辺(ほとり)の童(わらんべ)は。習はぬ経を読むといふが。其方のことぢや。此上は戻らすることでは無い。連歌を止(やめ)よならば。いかにも止(やめ)うず。是非止(やめ)がたくば世帯を営むすぎすぎに。其方と両吟にするであらう。最早(もはや)いんでくれさしますな。
▲女「何が扨。連歌さへ止(やめ)させらるるならば。如何(いか)にも行(い)にますまい。
▲シ「それは嬉しいことぢや。しやうじんの元の女(め)に媒人(なかうど)なしと云ふがこのことぢや。仮初(かりそめ)ながら二度の縁ぢや。芽出度(めでたう)唄はう。
▲女「好う御ざらう。
▲シテ[謡]「はまのまさごはよみつくすとも。このみちはつきせめや。たゞうちすてよなにごとも。なにはのふる箕(み)うちかづけて。ありしちぎりにかへりあふ縁(えん)こそ嬉しかりけれ。
なうなう。其方に。身どもが命は五百八十年。
▲女「なゝまはり。
▲シ「芽出たうおりやる。此方(こち)へおりやれ。此方(こち)へおりやれ。
(シテ担(かた)げたる箕を持ち舞ふ。古箕(ふるみ)うちかつけにて。女に担(かつ)げ。後(あと)は扇にて仕舞(しまふ)なり。)
校訂者注
1:底本は「云ひ兼たれとも」。
2:底本「生活(みすぎ)」の「す」は不明瞭。
3:底本は「やアら汝は」。
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