算勘聟

▲シウト「これは此辺(このあたり)の者で御ざる。某(それがし)一人(り)娘を持(もつ)て御ざる。何者にはよるまい。算勘(さんかん)の達して。五百具(ぐ)の采目(さいのめ)を中(ちゆう)で申(まをす)人があらば。聟に取らうと存(ぞんず)る。先(まづ)高札をうたう。はつしはつし。一段と好い。やいやい太郎冠者(くわじや)あるか。
▲太「これに居ります。
▲シウト「汝喚(よ)び出す別の事で無い。高札の面(おもて)に付(つい)て聟殿の御出なら。此方(こなた)へ申せ。
▲太「畏つて御ざる。
▲初ムコ「罷出たる者は。此辺(このあたり)の者で御ざる。此中(このちう)承れば。山一つ彼方(あなた)に。一人娘を持たれた人が御座るが。何者なりとも算勘の達した者を。聟に取らうと。高札が挙(あげ)て御ざる。某程算の達した者は御ざるまい程に。此度彼(あれ)へ参り。聟にならうと存ずる。先づ急いで参らう。
[道行]やれやれ。身共が彼(あれ)へ参つたら。如何様(いかやう)の六ヶ敷(しい)算が有るとも埒明(あく)ることで御ざる。定(さだめ)て聟になるで御ざらう。やア参る程にこれぢや。案内申さう。物もう。案内。
▲太「表に案内とある。誰様(どなた)で御ざる。
▲初ムコ「身共で御ざる。高札の面(おもて)に付(つい)て参つた聟で御ざる。
▲太「其通(とほり)申しませう。それに御ざれ。申(まをし)々高札に付て聟殿の御出なされて御ざる。
▲シウト「いかにも御目にかゝらう。これへ通らせられと申せ。
▲太「畏つて御ざる。申(まをし)々此方(こなた)へお通(とほり)なされと申されます。
▲初ムコ「畏つて御ざる。不案内に御ざる。
▲シウト「初(しよ)対面で御ざる。高札の面(おもて)には算勘の達して。五百具の采目(さいのめ)を空で仰せらるゝ御方を。聟に取らうと申(まをし)て御ざる。足下(こなた)には采目を御存(ぞんじ)で御ざるか。
▲初ムコ「中々存(ぞんじ)ました。申(まをし)ませう。先(まづ)此右の手の指が五つ。左が五つ。合(あはせ)て十ぢやに依つて。
▲シウト「いやいや。其様な事ではなりますまい。帰らせられ帰らせられ。
▲初ムコ「いや。も一度仕直して見ませう。
▲シウト「いやいや。如何(どう)でも埒が明(あき)ますまい。帰らせられ。太郎冠者戻せ戻せ。
▲太「畏つて御ざる。さアさア帰らせられ帰らせられ。
▲初ムコ「是は面目(めんもく)も御ざらぬ。
▲二ムコ「これは此辺(このあたり)に隠(かくれ)も無い算者(さんしや)で御ざる。山一つ彼方(あなた)に一人娘を持たれて御ざるが。算勘の達した者を聟に取らうと。高札打たれて御ざる。某が参り聟にならうと存ずる。恐らくは如何様(いかやう)の算でも心許(もと)無いことは御ざらぬ。やア早(はや)これぢや。物もう。案内。
▲太「又表に案内とある。誰様(どなた)で御ざる。
▲二ムコ「これは高札の面に付(つい)て参つた聟で御ざる。
▲太「其通申(まをし)ませう。それに御ざれ。
▲二ムコ「心得ました。
▲太「申々。高札に付て又聟殿の御出なされて御ざる。
▲シウト「いかにも此方(こなた)へ通せ。
▲太「畏つて御ざる。申々。これへ御通(とほり)なされと申(まをし)ます。
▲二ムコ「心得ました。不案内に御ざる。
▲シウト「初対面で御ざる。札の面(おもて)には。算勘の達した。五百具の采目を空で仰せらるゝ人を。聟に取らうと挙(あげ)て御ざるが。足下(こなた)には覚えて御ざるか。
▲二ムコ「中々存じて居ます。申(まをし)ませう。先(まづ)此扇の骨が十本有(ある)に依つて十。又足の指が十。これで合(あはせ)て二十。
▲シウト「いやいや其様なことでは。中々埒は明(あき)ますまい。帰らせられ。帰らせられ。
▲二ムコ「いや。も一度申(まをし)て見ませう。
▲太「いやいやなりますまい。帰らせられ。帰らせられ。
▲二ムコ「はア。扨も扨も面目も御ざらぬ。帰りませう。
▲シテ聟「罷出たる者は。此辺(このあたり)に住居(すまゐ)致す者で御ざる。此中(このぢゆう)山一つ彼方に。一人娘を持たれた人が。何者なりとも算勘の達した者を聟に取らうと。高札を挙(あげ)られて御ざる。某は恐らく如何やうの算でも。存ぜぬことは御ざらぬ程に。只今彼(あれ)へ参り。聟にならうと存ずる。
[道行]やれやれ。身共の参つて御ざらば。何程六ヶ敷(しい)算なりとも。埒明(あか)ぬと云ふことは有るまい程に。舅が喜うで聟に取るで御ざらう。やア参る程にこれで御ざる。物もう。案内。
▲太「又表に案内が有る。誰様で御ざる。
▲シテ聟「身共は高札に付(つい)て参つた聟で御ざる。
▲太「其通申ませう。夫(それ)にまたせられ。申々。又高札に付(つき)。聟の望(のぞみ)で御出なされて御ざる。
▲シウト「此方(こなた)へ通らせられといへ。
▲太「畏つて御ざる。申々これへ御通なされませ。
▲シテ「心得た。不案内に御ざる。
▲シウト「初対面で御ざる。扨札の面(めん)には。算の達した。五百具の采目を空で仰せらるゝ御方を。聟に取らうと上(あげ)て御ざる。足下(こなた)には御存(ぞんじ)で御ざるか。
▲シテ「何と五百具の采目を申せ。
▲シウト「中々左様で御ざる。
▲シテ「夫は易い事で御ざる。早速只今空で申(まをし)ませう。とてものことに。拍子にかゝつて申さう。五百具の采目。さらば数へ申さん。一壱千に二弐千。三三千に四四千。合(あはせ)て是迄一万也(なり)。五五千に六六千。都合二万千なり。少(すこし)も違(ちがひ)は候まじ。
▲シウト「成程さうで御ざる。違(ちがひ)は御ざらぬ。算の達したことで御ざる。此上は如何にも聟に取(とり)ませう。幸(さいはひ)今日は吉日(きちにち)で御ざる。娘も連(つれ)て参り。引合(ひきあは)せませう。それに御ざれ。
▲シテ「心得ました。(つれにはいり)
▲シウト「なうなう。是が則(すなはち)身共が娘で御ざる。向後(きやうご)は中を好うして世帯をなされ。身共が一跡(せき)も足下(こなた)へ渡します。万事此上は打任(うちまかせ)ますぞ。
▲シテ「如何にも心得ました。何事も気遣(きづかひ)なされますな。
▲シウト「嬉しうこそ御ざれ。其義なら。身共は只今から隠居致しませう。先(まづ)それに寛(ゆるり)と御ざれ。
▲シテ「畏つて御ざる。さらば先(まづ)此絹を取らせられ。少(ちと)ごげんざう申(まをし)ませう。(かぶりふる)いやいや其様に厭(いや)と仰せられてはなりませぬ。是非ともこれを取らせられ。身共が取(とり)ませう。やアこれはをとごぜぢや。なうなうおとましやおとましや。
▲女「なうなうこちの人。今からこなたと仲好うして。千年も万年も添(そひ)ませう。此方(こち)へ御ざれ。
▲シテ「いや身共は少(ちと)用が有る程に。行(い)んで参らう。
▲女「いやいや最早(もはや)一寸も側(そば)を離れることはならぬ。
▲シテ「いや一寸(ちよつと)帰つて参らう。
▲女「いやいややることでは無い。
▲シテ「先(まづ)離しやれ。なうなうおとましやおとましや。
▲女「やることでは無いぞ。遣るまいぞ遣るまいぞ。

底本:『狂言全集 中巻 続狂言記』「巻の五 九 算勘聟」