祐善

▲ワキ[次第]「我が荒増の末とけて。我が荒増の末とけて。ゑげがさや友となるらん。
[詞]これは若狭国(わかさのくに)ろくろ谷の者で御座る。某(それがし)世を味気(あぢき)なう存じ。斯様(かやう)な姿となつて御座る。又これより都へ上らばやと存じ候ふ。住みなれし{*1}。我がゑげがさをはるばると{*2}。後(あと)に緑の青葉山。のちせの山のしいの笠。はりはた峠打(うち)過ぎて。都のうちにさしかゝり。いらかの軒につきにけり。
[詞]急ぐ程に。これは早(はや)都五條油(あぶら)の小路に着いて御座る。俄(にはか)に時雨が降り来(きた)つて候ふ。これなる宿(やどり)に立(たち)寄り。時雨を晴(はら)さばやと存ずる。
▲シテ「喃(なう)々。御僧(おんそう)。何とて其のやどりに立寄(よら)せ給ふぞ{*3}。
▲ワキ「唯今の時雨を晴(はら)さん為に。立寄つて候ふ。扨。これなる宿(やどり)は{*4}。如何なる人の宿にて候ふぞ。
▲シテ[詞]「これは祐善(ゆうぜん)が宿とて。雨もたまらぬ所なり。かまへてよくよく御吊ひあれと{*5}。
[地]夕(ゆふべ)アの作のかさかさと。藪の中にぞ入りにけり。藪の中にぞ入りにけり。
▲ワキ[詞](中入也)「余り不思議なる事にて候ふ間。所の人に尋ねばやと存ずる。所の人の渡り候ふか。
▲間「所の者と御尋(おんたづね)は如何様(いかやう)の事にて候ふぞ。
▲ワキ「これなる宿(やどり)を見れば。如何様(いかさま)やうありげに見えて候ふ。謂(いはれ)のなき事は候ふまじ。教へて玉はり候へ。
▲間「さん候ふ。あれは。古(いにしへ)此の所に祐善と申す笠はりの。久しう笠をはりじにしられ候ふ。即(すなはち)これなるが祐善が宿(やどり)にて候ふ。お僧も逆縁ながら。吊(とむら)ふて御通り候へ。
▲ワキ「さあらば。逆縁ながら。吊ふて通らうずるにて候ふ。
▲間「又御用候はゞ。重ねて仰せられ候へ。
▲ワキ「頼みましよ。
▲間「心得ました。
▲ワキ[謡]「扨は。これなるは祐善がやどりかや。いざや跡とひ申さんと。永き日ぐらしつくづくと。永き日ぐらしつくづくと。五條辺(あたり)のあばらやに。けさのまゝにて待(まち)居つゝ。かの祐善を吊はん。かの祐善を吊はん。
▲シテ「笠ぎぬの。すげの五月雨降る雨に{*6}。夜のみのりを受くるばかりぞ。
▲ワキ{*7}「不思議やな。さも破れたる人家(じんか)より。影の如く見え給ふは。如何なる人にてましますぞ。
▲シテ[色詞]「これは祐善が幽霊なるが。御吊(とむらひ)の有難さに。これ迄顕(あらは)れ出でゝ候ふ。
▲ワキ[色詞]「扨は祐善が幽霊なるかや。最後の有様語り給へ。尚々跡を吊はん。
▲シテ[色詞]「いでいで。さらば語り申さん。とお前にさしかゝり{*8}。
[地]さしかゝり。祐善がから笠は。祐善がから笠は。日本一の下手なりと。名をもらしはなれやすし。いやとて召す人なかりしかば。彼所(あすこ)へ差(さし)かけ此所へさしかけ。お笠召されよかさ召されよと。叫べども呼ばゝれども。人は答へずはるながら。月笠も早くたけ笠のほね折(をり)や腹立(たち)やとて。かみけの如くに狂ひ回るは。只酔狂や。かほは朱笠(しゆがさ)の。赤きは猿の山王祭か。さはらば冷(ひや)せと悪口すれば。彼がかしらを。大わりだめや。茶しやく撓(だめ)に。ろくろを放せとありしかば。命を既にはへ取笠(とりかさ)にて。地獄の底にすみ笠(がさ)なりしを。今ありがたきみ法(のり)をゑげ笠。弘誓(ぐせい)の舟にはんぼを掲げて。蓮の花笠蓮の葉笠を。さしはりて行く程に。これぞ誠に極楽せかい。極楽世界の編笠(あみがさ)や。南無阿弥笠の。ほのかに見えてぞ失せにける。

底本:『狂言全集 下巻 狂言記拾遺』「巻の二 二 祐善


校訂者注
 1:底本、「住みなれし」から「つきにけり」まで傍点がある。
 2:底本は「はる(二字以上の繰り返し記号。濁点なし。)と」。
 3:底本、「何とて其のやどりに立寄せ給ふぞ」に傍点がある。
 4:底本に句点はない。
 5:底本は「かまへてよくよく御吊ひあれと」に傍点がある。
 6:底本、「降る雨に」以降に傍点がある。
 7:底本、ここは全て傍点がある。
 8:底本、「さしかゝり」以降に傍点がある。