双六僧

▲ワキ[次第]「われは貴く思へども。われは貴く思へども。人は何とか思ふらん{*1}。
[詞]これは東国方(かた)の者で御ざる。某(それがし)諸国修行申さず候間。此の度(たび)思ひ立(たち)。北国(ほくこく)にかゝり。夫(そ)れよりまた西国修行致さばやと存じ候。遠近(をちこち)のたつきも知らぬ修行者を修行者を{*2}。たれか哀れとおもふらん。彼方此方(あなたこなた)で鉢開き。知らぬ所に着(つき)にけり。
[謡]やらこれなる石塔を見候へば。でうす袋を数多(あまた)かけ置かれて候。これは如何様(いかさま)仔細の候べし。所の人に尋ねばやと存じ候。所の人の渡り候か。
▲間(あひ)「所の人との御尋(たづね)は如何(いか)なる御用にて候ぞ{*3}。
▲ワキ「これなる石塔を見申せば。でうす袋を数多かけ置かれ候。理由(いはれ)の無き事は候まじ。教へてたまはり候へ。
▲間「御不審御尤にて候。彼(あれ)は古(いにし)へ此所(このところ)に双六僧と申(まをし)て。双六打(うち)の候ひしが。或(ある)時双六の上にて口論の致され{*4}。対手(あひて)を切(きり)殺し。其身も当座に相果(はて)申され候。則(すなはち)其僧の標(しるし)にて候。夫(それ)に付(つき)不思議なる事の候。此石塔に袋をかけ候へば。双六の目が思ひのまゝに出ると申して。今に於(おい)て斯様(かやう)に袋を掛け申(まをす)事にて候。御僧も逆縁ながら。吊(とむら)ふて御通(おとほり)あれかしと存(ぞんじ)候。
▲ワキ「懇(ねんごろ)に御教へ満足申(まをし)候。さあらば逆縁ながら吊ふて通らうずるにて候。
▲間「又御用候はゞ被仰(おほせられ)候へ。
▲ワキ「頼みましよ。
▲間「心得ました。
▲ワキ[謡]「扨は双六僧の旧跡かや。いざや跡とひ申さんと。鐘がらがらと打(うち)鳴らし。今宵は爰(こゝ)に旅寝して。彼(か)の御跡を訪(と)ふとかや。彼の御跡を訪ふとかや。
▲シテ{*5}「双六のおくれを打(うつ)其の心。半(はん)一つ斗(ばかり)のたのみなりけり。
▲ワキ{*6}「不思議やな。これなる塚のかげよりも。まぼろしの如く見えたまふは。如何(いか)なる人にてましますぞ。 
▲シテ[詞]「これは双六僧と申(まをす)双六打(うち)の幽霊なるが。御吊ひの難有さに。これまで現れ出たるなり。
▲ワキ{*7}「双六僧の幽霊ならば。最後の有様語りたまへ。跡をば吊ひ申(まをす)べし。
▲シテ[詞]「さあらば昔の有様語りて聞かせ申べし。跡を訪ふて玉はり候へ。扨も或徒然(つれづれ)の事なるに。例の友達打寄(うちより)て。競(きほ)ひおくれを打(うち)けるに。対手の曲者(くせもの)石を撒(まき)散らす。こは如何にと怒りて。腰の刀に手をかくる。[上]朱(じゆ)三さらりとひんぬけ(引抜(ひきぬけ))ば{*8}。
[地]ひんぬけば。五六のやうなる対手もぬめ持(もち){*9}。白黒になつて追ふつ捲(まく)つゝ鎬(しのぎ)をけづり。[ハル]切(き)つゝ切られつ{*10}。[下]われは後(おくれ)になりしかば。
▲シテ{*11}「敵(かな)はじと思ひて。
[地]{*12}敵はじと思ひつゝ。三六かげにかゞむ所を。つゞけ切(きり)に切りたてられて。われは其処にて四の二けり。四三をはなれて五二となつて修羅道に落ちにけり。
▲シテ{*13}「[上]あらものものしい騒動。(カケリ有)あゝら苦しや。斯様(かやう)に苦を受(うく)ること双六の。
[地]{*14}[下]最後の。一念悪鬼となつて。修羅道の苦しみなるを助けたまへや。御僧よ御僧よ。と云ふかと思へば失せにけり。

底本:『狂言全集 下巻 狂言記拾遺』「巻の五 十 双六僧


校訂者注
 1:底本、「人は何とか思ふらん」まで傍点がある。
 2:底本、「遠近のたつきも知らぬ」から「知らぬ所に着にけり」まで傍点がある。
 3:底本は「所の人の御尋は」。
 4:底本は「口論の致され 対手を切殺し」。
 5~7:底本、ここは全て傍点がある。
 8:底本、「朱三さらりとひんぬけば」から最後まで傍点がある。
 9:底本のまま。
 10:底本は「切(きり)つゝ切られつ」。
 11:底本、ここは全て傍点がある。
 12:底本の「地」、不鮮明。
 13:底本、ここは全て傍点がある。
 14:底本の「地」、不鮮明。