〇禅興寺
福源山と号す。関東十刹の一たり。其始め、北條時頼、幽栖の地を卜し、遁世の素懐を遂げんとて、此地に一宇を造立し、最明寺と名づけ、堂の傍に一亭を構へ、之に閑居す。弘長三年十一月二十二日{**1}、時頼、此亭に法衣を着し、坐禅して卒す。是より後は自然、廃寺となりしにや{**2}。文永の頃、時宗、故基を再興して福源山禅興寺と名づけ、道隆を延きて常住たらしむ。康暦元年、足利氏満、堂塔建立あり。明月院は、当時塔頭たりしとぞ。天文{*1}の頃、小田原北條氏より田園山野を寄附せし事あり。其後荒廃して、今は明月院のみ纔に存せり。〇明月院は、開山・守巌、開基は上杉憲方(憲方、法名は明月院天樹道合。応永元年十月廿四日卒。六十歳。)なり{*2}。憲方卒す、此に葬る。今は建長寺の塔頭に属せり。
 最明寺時頼墓・時頼茶毘所、仏殿の傍にあり。
 法名道崇又最明寺崇公禅門覚霊
 上杉道合石塔 方丈の西北、岩窟の中にあり。窟中、左右に十六羅漢、中央には釈迦の像を彫る。『鎌倉九代記』に、道合を極楽寺に葬りし事を記す。然らば、当所は全く塔所のみなるにや。詳かならず。
   〇円覚寺[臨済宗]
瑞鹿山と号す。鎌倉五山の第二。弘安五年の草創にして、開山は祖元{*3}、開基は北條時宗。時宗、役夫を督し、親(みづか)ら耒耟を採りて之を開くと。時に一石櫃を掘得たり。中に円覚経を収む。又、開堂の日、白鹿群り来り、衆と共に法を聴く。故に山号及寺号とす。応安七年{**3}失火、堂宇煨燼となる。永和四年十一月再興す{*4}。応永八年二月、災す。満兼、造営。十四年十一月、諸堂悉く焼亡す。二十一年五月、営す。二十八年、又炎上す。永禄六年十二月、又炎上す。寛永二年、再建すと云ふ。
〇舎利殿
 此舎利伝来の事は、建保四年六月、宋人陳和卿{**4}、鎌倉に来り、実朝に謁し、「幕下の前生は、育王山の道宣律師たり。」と云ふ。是より先、実朝、夢に大宋国に渡り、一寺に至り高僧に遭ふ。其寺を問へば能仁寺と云ひ、僧の名を問へば道宣律師と云ふ。又云ふ、「実朝は、律師の再生なり。」と。是に至り、和卿の云ふ所と符合す。是より渡宋の志念を発し、和卿に命じて船を造らしめ、陪従の徒を定む。五年四月、船成る。由比浜に泛て試みんとするに、動かず。遂に渡宋の事を止む。使節を宋国・能仁寺に遣はし、道宣の牙舎利を請ひ、之を得て還る。応永年中、足利義持、之を京師に徴す。応仁乱の際、所在を失す。後年、霊験ありて当所に復す{*5}。
〇洪鐘
寺内の山上に在り。北條貞時、父・時宗の志を継ぎ、巨鐘を鋳造し、永く法器に備へんと、住僧・西澗と議し、其の教に任せ江嶋弁財天に祈請しけるに、不慮の示現を蒙り、当寺宿竜池{*6}の水底を捜りて金銅一塊を得しかば、感激に堪えず、其銅をもて鋳鐘の功を竣ふ。是故に、江嶋より石像・蛇形の弁財天{*7}を洪鐘の真体として鐘楼の傍に勧請し、洪鐘大弁功徳天と号す。時に正安三年八月なり。
   〇東慶寺秀頼息女墓
松岡山と号す。臨済宗の尼寺なり。弘安八年、北條相模守時宗の後室・覚山尼が創建なり{*8}。五世・用堂は、後醍醐天皇の皇女なり。二十世天秀は秀頼の女にして、家康の外孫たり。将軍家より「其望を申出てよ。」との事ありしかば、天秀は、「開山よりの寺法、永く断絶なからん事を。」と{**5}申されしかば、其乞に任せらる。開山よりの寺法、左の如し。
 凡て、婦人、一旦不法の夫に配し、容易く休離し難き故ありて、冤屈に堪えず、躬(み)づから身を過つ者あり。其類、奔りて当寺に入る時は、三ヶ年の際{*9}抱へ置き、其身の望を果さしむるを以て寺法とす。会津城主・加藤明成の臣・堀主水の妻子の匿るゝも此寺なり。
  右は、北條貞時の頃、天聴を経て其事成りぬ。然れども中間断絶せしを、天秀に至りて幕府に乞ふて之を行ふと云ふ。

二行割書注
 1:十六年か。(〇禅興寺)
 2:開山・守巌の像及び憲方の木像あり。(〇禅興寺)
 3:祖元。仏光禅師。宋国慶元府人。(〇円覚寺)
 4:氏満の時。(〇円覚寺)
 5:「天より降り、復す。」と云ふ。(〇円覚寺 〇舎利殿)
 6:三級峰の下に在り。開祖来朝の時、竜現じて船を守護し来りて、遂に此に止る。故に此称あり。(〇円覚寺 〇洪鐘)
 7:瑪瑙石にて、弘法の刻する所。長一尺三寸許りにして蛇形なり。(〇円覚寺 〇洪鐘)
 8:覚山。秋田城介義景の女にて、貞時の母。時宗卒する後、尼となる。(〇東慶寺秀頼息女墓)
 9:用堂の御時、「三ヶ年を経ん事、不便なり。」とて、更に二十四ヶ月を定期とす。(〇東慶寺秀頼息女墓)

校訂者注
 1:『新編相模国風土記稿』「鎌倉郡巻之十三 禅興寺」に従い訂正。
 2:『新編相模国風土記稿』「鎌倉郡巻之十三 禅興寺」に従い訂正。
 3:『新編相模国風土記稿』「鎌倉郡巻之十一 円覚寺」に従い訂正。
 4:『新編相模国風土記稿』「鎌倉郡巻之十二 円覚寺下 正続院 舎利殿」に従い訂正。
 5:『新編相模国風土記稿』「鎌倉郡巻之十三 東慶寺」に従い訂正。

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