〇大谷帯刀左衛門公嘉城蹟
御幣山御林の地、是なり。永禄の頃、公嘉、在城せり。十二年、武田信玄、小田原へ発向の時、当所にかゝりしに、公嘉、北條氏に赴援して此に在らざりしかば、信玄悉く城兵を追捕す。後又公嘉、還住しけるが、天正小田原の役、上州・西牧に至りて籠城し、遂に其所にて討死せり。此役に当城も落去し、廃城となりしなり。
   〇俟野五郎景久宅蹟
西見庄東俣野村小名堀込にあり。西は崖、南北二方は谷にて、東は平地に続けり。景久は、大庭庄司景宗の季子にして、三郎景親の弟なり。別れて当所に住するが故に俣野を称す。兄・景親、戦敗れて固瀬に斬らるゝの後、潜かに上洛して平氏の陣に在り。北国・篠原の戦に先登して死す。
   〇玉縄城蹟
城廻(しろめぐり)村の中程、山上にあり。小名・城宿より凡(およ)そ{**1}一町許りを登りて大手口に至る。大手は西に向へり。此郭を御厩曲輪と呼べり。総て空塹を廻らし、東方に一路を通ず。頗る岨嶮にして屈曲し、七曲と呼べり。此郭より北に続きて一郭あり。本丸蹟と云ふ。郭内、中程より北は一段高し。最北に一口あり。裏口と唱ふ。惣て空塹を廻らし、土手の形、尚存す。本丸・御厩の二郭を合せて、東西凡て一町、南北二町許りに及べり。又、厩曲輪西南の空塹を隔てゝ一小郭あり。円光寺曲輪と云ふ。本丸東南の空塹を隔てゝ太鼓櫓、東北に諏訪檀、其北に蹴鞠場等の名あり。是等皆{**2}、当時郭外の内なるべし。今は少し許りの芝地ありて、其余は皆、林となれり。永正九年十月、北條早雲の築く所なり。大永・享禄の頃は、北條氏時{*1}の居城たり。享禄元年四月、北條綱成、城主となれりと云ふと雖も、纔に十四歳{*2}なり。未だ城主となるべき理なし。天文の頃、居城せしなり(岩瀬大長寺記録に、「天文十四年、綱成、城主となる。」云々。北條系図に、「大永元年、父・正成討死の時、綱成七歳。後、北條氏綱に属し、婿養子と為る。」云々)。綱成、実は、駿州今川氏の被官・福島上総介正成の孤子にて勝千代と称す。氏康と同甲なるを以て、氏綱、養ひて子となし、北條氏を冒さしめ、且、一女を娶せ、当城を与ふ。綱成、勇武絶倫、黄絹に八幡大菩薩と書せる背旗を挿し、常に先陣をなし能く敵を破るを以て、世人、黄八幡と称せり。後に、長子・氏繁に背旗を譲れり。永禄四年三月、上杉景虎、鶴岡拝賀の時、当城を囲む。時に綱成は総州有吉に在りしが、氏繁、能く防戦して攻落し難ければ、景虎、押を置きて退陣す。天正六年八月、氏繁、父に先だちて卒す。子・氏勝、城主となる。天正十七年、秀吉、小田原攻めの聞へありければ、箱根・山中に新城を築きて、氏勝は之に赴けり。其後、山中落城し、氏勝、小田原に帰り入るは面目なしとて当城に帰り、死を決して籠城す。此に徳川家康は、予て氏勝を知りしより、密使をして降参を勧めしも、承引せず。因りて、氏勝が師資の契り浅からざる、大応寺の住僧・良達をかたらひ、屡勧めしかば、氏勝遂に志を転じ、四月廿一日、当城を避けて薙髪して家康の陣に至る。幾(いくば)くなく北條氏亡びて、家康、関東を領せしかば、水野忠守をして此城を守らしむ。其後、廃城なりしならん。抑(そもそも)当城は、鎌倉・藤沢の際にありて、鎌倉より二里、藤沢宿へは纔に半里許り、山を負ひ、海に対し、四方通塞無双の要地たり。故に寛永の頃、徳川幕府、再興の僉議ありしも、遂に事罷みぬ。

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   〇竜宝寺[故大応寺 植木村]
陽谷山瑞光院と号す。曹洞宗。開山は泰絮、開基は北條綱成。故(もと)山居と云ふ所に在りしを、天正三年、氏勝、此地に移す。
 天正十八年、小田原の役、氏勝、玉縄に籠城して死を決せし時、当寺の住僧・良達、扱ひて降参なさしむ{**3}。
   〇首塚
岡本村戸部橋辺にあり。相伝ふ、大永六年十二月、里見左馬頭義弘、鎌倉乱入の時、玉縄城主・北條氏時、戸部川に出て戦ひ、兵三十五人戦死す。氏時、敵の首級と交易して此に埋め、塚を築きしなり。土人、塚上に榎樹を植ゆ。近き頃枯槁して、今、雑木林となる。又、一名を甘糟塚、或は甘糟榎と唱ふるは是、甘糟氏、戦死の魁たるに因れるとぞ。
   〇北條政村邸蹟
常葉村{*3}の東にあり。今、陸田となり、御所の内と字す。政村は義時の第四子なり。陸奥四郎と称す。文永元年八月、長時に代りて執権となり、五年、時宗に譲り、十年五月廿七日卒す。政村の居邸は小町にありて、当所は別業なり。故に政村を常盤と号す。
   〇平義政邸蹟
村の東、小名・殿の入にあり。塩田武蔵守義政。北條重時の第四子。初、時景と号し、信州塩田を領す。建治三年五月、信州善光寺に退去。弘安の頃卒す。義政の居邸は名越にあり。是も別亭たりしなり。

二行割書注
 1:氏綱弟。(〇玉縄城蹟)
 2:綱成、永正十二年生。(〇玉縄城蹟)
 3:登幾波牟良(〇北條政村邸蹟)

校訂者注
 1・2:『新編相模国風土記稿』「鎌倉郡巻之三十六 玉縄城蹟」に従い訂正。
 3:『新編相模国風土記稿』「鎌倉郡巻之三十六 竜宝寺」に従い訂正。

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