武蔵国久良岐郡
〇金沢山称名寺
町屋村にあり{**1}。弥勒院と号す。真言律にして、南都の西大寺の末なり。当寺は、亀山帝の勅願所にして、金沢顕時が、其父・実時{*1}菩提の為に建立する所なり。称名寺は実時の法号なり。開山を審海と云ふ。
永亨十年、足利持氏の、京勢と戦ひ、鎌倉に敗れ還る。上杉憲実の宰・長尾芳傅、持氏を金沢称名寺に移し居く、云々。
△金沢顕時墓
阿弥陀院後の山の中腹にあり。高さ七尺余。五輪の石塔なり。
△同貞顕墓[顕時の子なり。]
△金沢文庫旧趾
阿弥陀院の後の畠をいふ。相伝ふ、顕時の営建する所にして、内に和漢の群書を納め、儒書は墨印、仏書は朱印を用ゆ。印文は楷字にして、竪に金沢文庫の四字を注す。後、上杉憲実、再興せしかども、其後は荒廃して書籍散失せりとぞ。〇『鎌倉大草紙』に云、武州金沢の学校は、北條九代の繁昌の昔、学間ありし旧跡なり。是をも今度、彼文庫を再建して、種々の書籍を入置き、又{**2}、上州は上杉の分国なりければ、足利は京並に鎌倉御名字の地にて他に異なりと、彼、足利の学校をも建立して、種々の文書を異国より求め納めける。此足利の学校は、上代・承和六年に、小野篁、上野の国司たりし時建立の所、同九年、陸奥守となりて下向の時、此所に学校を建てける由、其旧跡今残れりと。応仁元年、長尾景久が沙汰として、政所より今の所に移して建立しける。近代の開山は、快元と申す禅僧なり。今度、安房守{*2}、公方御名字掛り地なればとて、学領を寄進し弥(いよいよ)書籍を納め学徒を憐愍すれば、此頃諸国大に乱れて学道絶へたりしかば、此所、日本一所の学校となる。是より安房守を人々誉めざるはなし。西国・北国よりも学徒悉く集る。云々。
〇瀬戸明神社 〇瀬戸弁財天
明神は、治承四年四月八日、頼朝、豆州三嶋の神を勧請せしなり。『鎌倉年中行事』、四月八日、瀬戸明神臨時の祭礼あり。弁天は、政子、江州・竹生島の神を勧請せしなり。
〇上行寺
当寺、往古は真言の古刹にして、六浦山金全寺と号す。然るに応安年中、住持・某、日蓮の法を尊み日蓮宗となり、中山の日祐上人を開祖とし、自ら妙法日荷上人と号す{*3}。日荷、嘗て称名寺の住僧と戯に碁を囲み、称名寺二王門の二王を賭物とす。然して日荷、終に勝を得たりければ、之を負ふて甲州・身延山へ至りしとぞ。実に大力無双の人なり。当寺に今尚(な)を、其二王の玉眼なりと称する五寸あまりの玉を伝へけり。
〇六浦
海辺絶景なり。鎌倉将軍家、此地に遊覧の事、『東鑑』に往々見へたり。
建久三年二月、上総五郎兵衛尉忠光を此所に梟首す。〇応永四年正月、小山若犬丸の幼児二人を此海に沈むる事あり。
〇三艘浦
六浦の南向、三艘村にあり。かつて{**3}唐船三艘、此浦に着岸せり。故に名づく。『鎌倉志』に、其時舟に載せ来りし一切経及び青磁の香炉・花瓶等は皆、称名寺に伝へありと云ふ。
〇海蔵山太寧寺[建長寺末 界地蔵より二丁余あり。]
三艘ヵ浦の東、瀬崎村にあり。往古は薬師寺と号し真言宗なりしが、浦曹司・源範頼の生害ありし後、其法号を採りて大寧寺と号し、千光国師開山として禅林に転ず。本尊薬師の立像なり。[運慶の作。]
往古、伏見帝永仁年間、此村に貧女あり。父母の忌日に当ると雖も、仏に供養し奉るべき便なし。夫より糸を繰り、巻子(へそ)として、之を売りて仏餉に備へんと思ふ。然れども容易に買ふ人なし。或時、童子一人来りて之を買ふ。其価を以て父母の忌日の供養の料に充つ。然して仏前に至るに、件の巻子多くあり。因りて知りぬ、薬師如来、貧女が純孝の志を感じて斯くありしなりと。〇爾来、当寺の薬師を巻子薬師と云ふ。此故に今も宿願ある時は、其祈願成就の日、報賽として麻苧を臍巻にして奉ると云へり。
△蒲冠者範頼霊牌{*4}
△範頼墓[本堂の後山麓にあり。高さ二尺六寸。五輪塔。]
『異本源平盛衰記』に、範頼、伊豆の修善寺に在りけるを、景時等、五百余人にて之を襲へり。範頼力戦の後、坊に火を懸けて自害せり。景時、其焼首を取りて鎌倉に帰り頼朝に呈するとあり。『鎌倉志』に、其首級を此に葬りしとあれども、未だ詳かならず。
鎌倉旧蹟地誌[終]
二行割書注
1:義時の孫。実泰の子。実泰は義時の六男。金沢祖。(〇金沢山称名寺)
2:憲実。(〇金沢山称名寺 △金沢文庫旧趾)
3:荒井平次郎光吉、削髪得度す。(〇上行寺)
4:(表)大寧寺殿道悟大禅定門神儀。(裏)範頼公建久四癸丑年八月。(〇海蔵山太寧寺 △蒲冠者範頼霊牌)
校訂者注
1:『新編武蔵国風土記稿』「巻之七十五 久良岐郡之三 寺前村」に「称名寺」の條がある。
1:『新編武蔵国風土記稿』「巻之七十五 久良岐郡之三 寺前村」に「称名寺」の條がある。
2:ここ以降は、関東管領・上杉憲実の足利学校復興を記す『鎌倉大草紙』の抄録であり、金沢文庫から離れている。
3:『新編武蔵国風土記稿』「巻之七十四 久良岐郡之二 小名 三艘」に鑑み訂正。
3:『新編武蔵国風土記稿』「巻之七十四 久良岐郡之二 小名 三艘」に鑑み訂正。
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