解題
 取れど取れど生えるくさびらあり。山伏を招じて祈祷を頼む。山伏、菌に耳ひかれ、鼻つまゝる。

菌山伏(くさびらやまぶし)

▲男「このあたりの者。わたくしが庭に、くさびらが俄に生えた所で、取りて捨て申すれば、あとから生えあとから生え仕(つかまつ)る。あまり不審な。つねに御懇(ごねんごろ)の山伏殿がある。頼うで見て貰ひまうせう。急いで参らう。ものも。お山伏殿は内にござるか。
▲山伏「九識{*1}の窓の前、十乗{*2}の床のほとりに{**1}、瑜伽{*3}の法水(ほつすゐ)を湛へ、三密{*4}の月を澄ます所に、案内申さんとは誰ぢや。
▲男「それがしでござる。
▲山伏「何と思うてお出ぞ。
▲男「此中(このぢう)、某の庭にくさびらが生えましてござる。取りて捨てますれば、また生えまた生え致す。不審にござる。お出なされて、御祈祷をなされて下されい。
▲山伏「心得た。他所(よそ)へは参らぬが、そなたの事ぢや{**2}。参りてやらう。
▲男「追付(おつつけ)お出なされませい。
▲山伏「心得た。
▲男「これこれ、このくさびらでござる。
▲山伏「これはぐひん{*5}のわざぢや。一祈(ひといのり)してやらう。
▲男「忝なうござる。
《梟山伏の如く、いろいろ祈る。山伏きもつぶす。祈る程四つ五つ菌いづる。後{**3}、山伏の耳ひく。鼻つまむ。山伏いやがり、逃げてはいる。》

底本:『狂言記 下』「狂言記外編 巻の一 四 菌山伏

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底本頭注
 1:九識(くしき)――静坐思惟すること。眼識・耳識等、九あり。
 2:十乗――坐床観行の法に十種あり。
 3:瑜伽(ゆが)――一切諸法を云ふ。水に譬ふ。
 4:三密――身語意の三密あり。修行の道也。月に譬ふ。
 5:ぐひん――天狗の事。

校訂者注
 1:底本は「ほとりに 瑜伽の」。
 2:底本は「事ぢや 参りて」。
 3:底本のまま。「後見(舞台の後方にいて進行の介添えなどをする人)」の意か。