解題
 北野御手水の夜、それに参る男、若狭小浜の昆布売に遇ひて、己が太刀を持たせ、却って昆布を売らせらる。


昆布売(こんぶうり)

▲アド「これは、このあたりの者でござる。今夜は北野の御手水(おてうず)の夜でござる程に、参らうと存ずる。やあ、さて、某は、人あまた使ふ者でござれども、今夜は皆使に遣し、一人も内に居ぬによつて、この如く、自身太刀を持つてござる。しばらくこの所に休んでゐて、似合しい者も通らうならば、言葉をかけて、太刀を持たせて参らうと存ずる。
▲こぶ売「これは若狭の小浜の昆布売でござる。毎年嘉例で、都へ昆布を商売に参る。当年も相変らず、昆布を商売に上らうと存ずる。まづ急いで参らう。
▲アド「や、重畳の者が参つた。詞をかけう。や、なうなう。
▲こぶ売「こちの事でござるか。
▲アド「いかにも、わごりよの事ぢやが、これはどれからどれへお通りやるぞ。
▲こぶ売「私は、若狭の小浜の昆布売でござるが、毎年こぶを商売に、都へ上る事でござる。
▲アド「さてさて、それこそ重畳の事よ、某も都へ上る者ぢや。同道致さう。
▲こぶ売「いやいや、こなたは御仁体{*1}と見受けてござる。私がやうな者は、おつれには似合ひませぬ。かうお先へ参ります。
▲アド「いや、これ、総じて世には似合つたつれもあり、又似合はぬつれもある。是非とも同道申さう。
▲こぶ売「それならばお供致しませう。
▲アド「さあさあおぢやれ。
▲こぶ売「畏つてござる。
▲アド「やあさて、ふと詞をかけたに、早速同心のしてくれられて、これ程嬉しい事はをりない。さて、わごりよに始めて会うて、頼みたい事があるが、聞いておくりやらうか。
▲こぶ売「いかにも、わたくしに似合ひました御用ならば、うけたまはりませう。
▲アド「無心を云へば、早速聞いてくれうとあつて満足いたす。まづ一礼を申す。
▲こぶ売「これは迷惑でござる。
▲アド「いや、別の事でもない。某は、人あまた使ふものなれども、今日は方々(はうばう)へつかはして、一人も人が無いゆゑ、見らるゝ通り、自身太刀を持つておぢやる。これが、わごりよに持つて貰ひたいと云ふ事でおりやる。
▲こぶ売「いかにも畏つてござるが、さやうの結構な太刀は、見た事もござらす、まして持つた事はなほござりませぬ。これは御免(ごゆる)されませ。
▲アド「いや、結構なとおしやれば、迷惑いたす。わるい太刀ぢや程に、持つておくりやれ{**1}。
▲こぶ売「是はどうござつても御免(ごゆる)されませ。
▲アド「さては侍に一礼まで云はせて、ていどお持ちやるまいか{*2}。
▲こぶ売「いや、持ちませう。
▲アド「なんぢや、持たう。これはざれごと{*3}。気にかけずとも、持つておくりやれ。
▲こぶ売「こなたのおざれごとは、いやなおざれごとでござる。
▲アド「さあさあおぢやれ。
▲こぶ売「心得ました。
▲アド「これこれ、そのやうな太刀の持ち様があるものか。手に持つておくりやれ。
▲こぶ売「手があきませぬ。
▲アド「それそれ左の手があいてある。
▲こぶ売「これはかう、肩をかへる時いりまする。
▲アド「すれば、こちらの手が遊んである。
▲こぶ売「これもかう、肩をかへる時いりまする。
▲アド「これは昆布があるによつてぢや。どれどれ、そのこぶを買うておまうせうぞ。
▲こぶ売「それは忝なうござります。
▲アド「さあさあおぢやれ。
▲こぶ売「参ります。
▲アド「是はいかな事。それは進上太刀の持ちやうぢや。身にひつ添へてお持ちやれ。
▲こぶ売「心得ました。
▲アド「おぢやるか。
▲こぶ売「参ります。
▲アド「これはいかな事。それは子をだいたやうな持ちやうぢや。そなたは、真実太刀の持ち様を知らぬさうな。みどもが教へておまうせうぞ。
▲こぶ売「それは忝うござる。
▲アド「総じて、自身の太刀は、左にもち、主(しう)の太刀は、右に持つものぢや程に{**2}、右に持つておくりやれ。
▲こぶ売「私はおまへの内の者ではござりませぬ。
▲アド「内の人ではなけれども、頼む上からぢや程に、持つてくれさしませ。
▲こぶ売「なるほど心得ました。
▲アド「さて、この上でまだ無心が有るが、これも聞いておくりやらうか。
▲こぶ売「この上でござる。いかやうな事なりとも仰せられませ。
▲アド「いや、別の事でもない。若(も)し道で近附に逢うた時、そなたを内の者のやうに云はうが、答へておくりやらうか。
▲こぶ売「何がさて、うけたまはりませう。
▲アド「なんぢや{**3}、聞いてくれう。某がつかふ者を太郎冠者と云ふ。太郎冠者と云はゞ、答へておくりやれ。
▲こぶ売「畏つてござる。
▲アド「やいやい太郎冠者来るか。
▲こぶ売「はあつ。
▲アド「ひつついて来い。あはゝゝゝ。
▲こぶ売「さてもさても、腹のたつ事でござる。がつきめ{*4}。遁(のが)さぬぞ。
▲アド「あゝ、ざれ事をするな。いやいや、そちにそれを持たしておくによつてぢや。さあさあ、その太刀をおくせ。
▲こぶ売「なんの、おくせ。
▲アド「あゝあぶない{*5}。これはなんとするぞいの。
▲こぶ売「なんと、これがよいか。最前の様に云うたがよいか。たつた一打(ひとうち)にするぞ。
▲アド「あゝ、あぶない。これはまづなんとするぞいの。
▲こぶ売「なんとするとは。そのさいて居る物をおくせ。
▲アド「これか。
▲こぶ売「なかなか。
▲アド「これはやりたうはあれども、侍の一腰をはなす事はならぬ。
▲こぶ売「おくしやるまいか。
▲アド「あゝ、やるてに。これこれ。
▲こぶ売「柄(つか)の方からおくせ。
▲アド「やりやうが気に入らずは、おかうまで。
▲こぶ売「何、おくすまいか。
▲アド「あゝ、はてさて、やると云ふに。これこれあぶない。
▲こぶ売「やい。
▲アド「なんぢや。
▲こぶ売「この昆布を売れ。
▲アド「侍の昆布を売つた事はない。
▲こぶ売「何、売るまい。
▲アド「はてさて売ると云ふに。やいやい、昆布買へ、昆布買へ。 
▲こぶ売「やい。
▲アド「なんぢや。
▲こぶ売「そのやうに云うて、皆様が召すものか。なるほど慇懃に売れ。
▲アド「慇懃に売ると、その太刀や刀を返すか。
▲こぶ売「それはその時の仕儀によらう。
▲アド「それならば売らうが、さりながら昆布の売りやうを知らぬ。売つて聞かせ。
▲こぶ売「いかにも売つて聞かさう。よう聞け。
▲アド「心得た。
▲こぶ売「昆布召され候へ。こぶめされ候へ。若狭の小浜のめしのこぶを召し上げられ候へ、召し上げられ候へと、かう売れ。
▲アド「心得た。昆布めされ候へ昆布めされ候へ。若狭の小浜のめしのこぶを召し上げられ候へ、召し上げられ候へ。さあさあ返せ。
▲こぶ売「なんの返せ。この度はまた謡節に売れ。
▲アド「売らでかなはずは、売つて聞かせ。
▲こぶ売「心得た。《うたひぶし》こぶめせこぶめせ、おこぶめせ。わかさのをばまのめしの昆布、若狭の浦のめしのこぶと売れ。
▲アド「心得た。《前の如く、うたひぶしに売る。》さあさあ返せ。
▲こぶ売「なんの返せ。
▲アド「これはなんとする。
▲こぶ売「今度は浄瑠璃節にうれ。
▲アド「これも売つてきかせ。
▲こぶ売「心得た。つれてんつれてん、てれてれてん。まづこれが三味線の心持ぢや。こぶめせこぶめせ、おこぶめせ。若狭の小浜のめしのこぶ。つれてんつれてん、てんと売れ。
▲アド「こゝろえた。《前の如く浄瑠璃ぶしにて売る。》さあさあ、かへせ。
▲こぶ売「なんのかへせ。今度は小歌節にうれ。これも売つてきかせう。昆布めせ昆布めせ、おこぶめせ。わかさのをばまのめしのこぶ。めしのこぶ。この、しやつき、しやしや、しやつきしやつき。しやつきしや、と売れ。
▲アド「さやうに売つたらば、その太刀や刀を返すか。
▲こぶ売「その時の仕儀によらう。
▲アド「それならば売らう。《前の如く小うたぶしに売る。》
▲こぶ売「やい。
▲アド「なんぢや。
▲こぶ売「にじかふむつた者をいつまでなぶらうぞ{*6}。某が行末繁昌と売つたらば、この太刀や刀を返さうぞ。
▲アド「それはまことか。
▲こぶ売「まことぢや。
▲アド「真実か。
▲こぶ売「真実ぢや。
▲アド「一定(いつぢやう)か。
▲こぶ売「一定ぢや。
▲アド「《謡》やらやら、数知らずの君が御代のよろこぶや。
▲こぶ売「何とよろこぶと。かへすまいぞ。この大刀、これがほしいか。
▲アド「あの横著者。やるまいぞやるまいぞ。

底本:『狂言記 下』「狂言記外編 巻の一 五 昆布売

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底本頭注
 1:御仁体(ごじんたい)――身分ある人。
 2:ていど――きつと。
 3:これはざれごと――刀に手をかけて嚇したるを冗談也といふ。
 4:がつきめ――「餓鬼め」とて、斬つてかかる也。
 5:あゝあぶない――太刀を抜きて向かへば也。
 6:にじかふむつた者――「武士とて二字蒙つたる者」の意か。

校訂者注
 1:底本に句点はない。
 2:底本は「程に 右に」。
 3:底本は「なんぢや 聞いてくれう」。