解題
 一名「伯養」。検校の弟子・伯養、師匠の為に琵琶を借りに行く。勾当の坊も亦借りに行く。勝った者が借り得んとて、竟に二人、相撲をとる。

琵琶借座頭(びはかりざとう)

▲はくやう「このあたりの座頭でござる。やがて、検校様たちの寄合がある{*1}。某の頼うだ者も出られまする。琵琶が損ねた、借りて来いと申さるゝ。参り、借りて参らう。貸して下さるればよいが、何とあらうぞ。これぢや。お案内も。ござりまするか。
▲びは主「案内とは誰ぢや。
▲はくやう「某でござる。
▲びは主「何と思うて来たぞ。
▲はくやう「某の師匠坊が、やがて検校衆の寄合に出られまするが、琵琶が損ねましてござる。こなたのびはをお借しなされて下されいと申さるゝ。
▲びは主「近頃やすい事。貸してやらう。
▲はくやう「忝うござる。
▲勾当「これは、このあたりの勾当の坊でござる。近日検校たちの寄合に、某も、出よとおしやる。琵琶の絃(いと)がきれた。こゝによい琶琵を持つた人がある。これを借りに参らう。ものも、ものも。
▲びは主「たれぢや知らぬ。誰(た)そ。
▲勾当「勾当の坊でござる。
▲びは主「ようござつた。
▲勾当「ちと御無心がござる。近日検校たちのよりあひに、某も参るが、琵琶の絃(いと)がきれました。こなたの琵琶を貸して下されい。
▲びは主「やすい事ぢやが、早、伯養に貸してござる。
▲勾当「あいつめは琵琶は入るまい。それがしに貸して下されい。
▲はくやう「いやいや、わたくしが借つてござるぞ。
▲勾当「やいやい伯養。おれが借る。おのれ推参な{*2}。
▲はくやう「そなたはわがまゝな事を云ふ。
▲勾当「憎いやつの。
▲びは主「これこれ、その如く云うては、どちへも貸すことはならぬ。とかく何でも勝負々して、勝の方(かた)へ貸しまうせう。
▲勾当「勝負には歌をよみませう。
▲はくやう「申し申し、勾当の坊が歌をよまれたらば、某もよみませう。
▲びは主「さあさあよましられい。
▲勾当「庭中(にはなか)に歯欠(はかけ)の足駄ぬぎすてて、はくやうなくて谷へほうかす。
▲びは主「さあさあよめ。
▲はくやう「酒もりの座敷へ人の呼ばざれば、犬や勾当門(かど)にたゝずむ。
▲勾当「おのれ、犬にたとへたか。にくいやつの。
▲はくやう「足駄にとへたか。
▲びは主「このとほりでも埒あかぬ。
▲はくやう「今度は相撲とりまうせう。
▲勾当「あいつがとらば、とりませう。
▲びは主「さあさあお手つ。
▲勾当「伯養がにげる、伯養がにげる。
▲はくやう「勾当が逃げらるゝ。
▲びは主「身共が手をとり組ませうぞ。お手つ。
▲はくやう「どこへ。負くる事ではない。
▲勾当「おのれに負けうか。
▲はくやう「なうなう、それがしぢや。やあやあ。
▲勾当「やあやあ。
▲はくやう「お手つ。勝つたぞ勝ったぞ。
▲勾当「どこへ。おれをこかして。やるまいぞやるまいぞ。

底本:『狂言記 下』「狂言記外編 巻の一 七 琵琶借座頭

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底本頭注
 1:検校――盲官也。勾当・座頭の上に位す。
 2:推参――無礼。